「福祉も保険も受けていない」という立派な人
世の中には、ときどき実にたくましい人がいる。
「自分は福祉も保険も、まったく受けていない」
胸を張って、そう豪語するのである。
どうやらその人は、生まれてから一度も医療保険を使わず、病院にも行かず、将来の年金も受け取らず、失業しても雇用保険には頼らないらしい。
事故に遭っても救急車は呼ばず、家が燃えても消防車を断り、犯罪被害に遭っても警察には相談しないのだろう。
実に立派な覚悟である。
もちろん、道路も使わないはずだ。信号機に守られることもなく、橋やトンネルの点検にも頼らず、上下水道も自前で用意しているに違いない。
台風が来ても気象情報は見ず、洪水が起きても避難所には行かず、地震で家屋が倒壊しても行政や消防、自衛隊の救助を拒否する。
感染症が流行しても、検査体制やワクチン、公衆衛生の恩恵を受けるつもりはないのだろう。
そこまで徹底しているなら、確かに「何も受けていない」と言ってよい。
だが現実には、その人も舗装された道路を歩き、警察によって一定の治安が保たれた街に暮らし、急病になれば病院へ行ける社会の中にいる。
健康保険に加入していれば、今この瞬間に病気でなくても、高額な治療費によって人生が崩壊する危険を軽減してもらっている。
保険とは、給付金を受け取った瞬間だけ利益が発生する仕組みではない。
「何かあったときに支えてもらえる」
その状態そのものが、すでに大きな利益なのである。
火事に遭わなかった人が、消防制度の恩恵を受けていないわけではない。
犯罪に巻き込まれなかった人が、警察の恩恵を受けていないわけでもない。
消防署や交番が存在し、いつでも対応できる体制が整えられているからこそ、被害が抑えられ、安心して生活できる。
自衛隊による国防も同じである。
外国から攻撃を受けていないから、自衛隊の恩恵を受けていないという話にはならない。
自衛隊が領空や領海を警戒し、他国による攻撃や侵入を抑止しているからこそ、私たちは日常生活を続けられる。
店に商品が並び、企業が営業し、銀行預金や株式が財産として機能し、家や土地の所有権が守られるのも、国家の安全が維持されていることが前提である。
国防とは、戦争が起きたときだけ働くものではない。
戦争を起こさせないために存在するものでもある。
攻撃を受けなかったから役に立っていないのではなく、攻撃をためらわせていること自体が役割なのである。
しかも自衛隊は、地震、豪雨、豪雪、土砂災害などが起きれば、救助、給水、輸送、入浴支援、道路の復旧などにも動員される。
本人が被災していなくても、物流網や電力網が復旧し、地域経済が維持されれば、間接的な恩恵は国民全体に及ぶ。
それでも「自分は福祉も保険も受けていない」と言う人は、何も受けていないのではない。
受けていることに気付いていないのである。
蛇口をひねれば水が出る。
夜道を歩いても、いきなり武装集団に財産を奪われる可能性は低い。
外国軍が突然、自宅の土地を占領することもない。
病気になれば病院があり、火事になれば消防が来る。
大災害になれば、自衛隊が人命救助に向かう。
こうした仕組みを、その人はすべて自然現象だと思っているのだろう。
雨が降り、風が吹き、太陽が昇り、警察が巡回し、自衛隊が国境を守り、健康保険制度が維持される。
それは金持ちも貧乏人も、同じく広義の福祉を日々もれなく受けているのである。
誰かが税金や保険料を負担し、誰かが危険な現場で働いていることなど、まるで存在しないかのようである。
ある意味では、これほど幸福な人もいない。
社会に守られていることさえ分からないほど、安全で便利な環境に慣れ切っているのだから。
ただし、その幸福を自分一人の力で築いたと勘違いし、福祉や保険を利用する人を見下し始めた瞬間、その言葉は自立の証明ではなくなる。
「私は福祉も保険も受けていない」
それは単なる想像力の欠如であり、傲慢で無知な証拠である。
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