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運命の歯車はいつも無情に廻り出す

「よお、お前ら相変わらず仲が良いな。見てるこっちが当てられちまうよ」

 

酒場の脂ぎった空気と、博打打ちたちが吐き出す安煙草の紫煙。

そんな薄暗い地下街の片隅で、冷やかし混じりの声が飛んだ。昨日の稼ぎを満足げに数え終えたキキは、いつものように不敵な笑みを浮かべ、私の桃色の頭を乱暴に、けれど壊れ物を扱うような慈しみを持って撫で回す。

 

「おーよ! 俺の自慢の、大事な妹分だからな。なあ、アンジュ?」

 

「……もう、髪がくしゃくしゃになるでしょ」


 

私は口を尖らせながらも、その大きな手の温もりに、確かな安らぎを感じていた。


そんな、どこにでもある、けれど私にとってはかけがえのない安らかな日常。ふと、キキが真面目な顔をして、私の目を見つめた。その金の瞳に、天井のランプの光がちりついたのを覚えている。

 

「天使ちゃん、今日は『祈りの日』だろ。俺、ちょっと野暮用があるから先に準備しとけ。後で必ず合流するから」

 

「わかった。待ってるね、キキ」

 

素直に頷いた私を置いて、彼は人混みの中へと消えていった。その背中を見送る私の胸には、小さな期待と、ほんの少しの心細さが同居していた。


 それが、私たちが交わした最後の一時になるかもしれないなんて、露ほども思わずに。



祈りの日。


月に一度、中心街の大聖堂で女神様に祈りを捧げる。

その日はどんな酔っ払いも、孤児も、裏社会の成功者も、皆各々大聖堂を訪れていた。


「こんにちは、ミア。ごめんね、今はキキはいないの」

 

「こんにちは、アンジュ。2人一緒じゃないの、珍しいね」


「野暮用……って言ってたわ」

 

ミアは、キキの客だ。

いつもキキと喋るためにお金を払う、女の子たちのうちの一人。

キキのお客さんは、いつも彼と一緒にいる私に対して少し当たりが強いことが多い。けれどミアは私に対しても、友人のように親しく話しかけてくれる。

  

「……ふふ、どうせ告白でもされているんでしょ。祈りの日は女神様のご加護があるから、恋が実りやすい〜なんて言われているから」

 

「えっ、こ、告白!?キキ告白されてるの?!」

 

「ふふ、可能性があるだけ。でもキキはモテるからあり得ない話じゃないよ。でもあいつは、誰の気持ちにも応えない」


どこか寂しげにミアは大聖堂を見つめていた。

 

「まあ今は、どこかのちびっこアンジュちゃんにメロメロだもんねぇ、キキは!」


「いや、そんなんじゃなくて、キキは……!」


「動揺すんなぁ〜」


言い訳をしようとするそばから、頬が林檎のように熱くなるのが自分でも分かった。地下の薄暗い光の中でも隠しきれないほどに。

 

「真っ赤になっちゃって可愛い」

 

ミアにからかわれ、私は逃げるように俯いた。そんな、たわいもない幸福の微熱。しかし、その温もりが一瞬にして凍りつく瞬間は、すぐそこまで忍び寄っていた。

 



 

――バンッ!! ガタガタガタガタ……!!

 

突如として、地下世界そのものが悲鳴を上げたかのような凄まじい破壊音が響き渡った。

 

「何っ、怖い……! 地震!?」

 

ミアが悲鳴を上げ、私の腕にしがみついてくる。直後、視界を塗りつぶしたのは、この閉ざされた奈落には決して存在するはずのない、あまりに強烈で、あまりに暴力的な白銀の光だった。


「眩し……! 目が、目が痛い……っ!」

 

「え……? 嘘、天井が……」

 

見上げた先。

そこには、眩しく光る青い空間が存在した。


特区の人間が罪の代償として奪われたもの。

 

(きっとあれが、太陽――――なんて、凶暴な光……)

 

分厚い岩盤が、巨大な獣の牙で噛み砕かれたかのように無残に裂けていた。そこから溢れ出したのは、おとぎ話で聞いた優しい太陽の光などではない。すべてを焼き尽くし、暴き出す、殺意に満ちた絶望の輝きだった。



 

――――きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!

轟音とともに、何千トンもの瓦礫が降り注ぐ。落ちた場所は、今日この日に祈りを捧げる人々が身を寄せ合っていた、あの大聖堂だった。

 

「嘘……中に、たくさんの人が……みんな、中にいたのに……!」

「待って、アンジュ! どこへ行くの、危険だよ! 行っちゃダメ!」


 

背後で叫ぶミアの制止を振り切り、私は足をもつれさせながら駆け出した。視界を遮る砂塵。喉を焼くような熱気。その向こう側で、神聖な場所であったはずの大聖堂は無残に押し潰され、紅蓮の炎がその骸を燃やし始めていた。

 

「どうしよう、ミア……! 大聖堂が、燃えて……みんなが、火の中に……」

 

崩れた瓦礫の隙間から、聞き慣れた隣人たちの、掠れたうめき声が聞こえてくる。火の粉が狂ったように舞い踊る中、私はただ、眼前に広がる地獄絵図を凝視することしかできなかった。



 ――――ダメよ。

ママの声が、鼓膜の奥で裂けた。

 

――――――ダメよ、アンジュ。貴女は魔法を使ってはいけない。何があっても人前で魔法を使ってはいけないの。魔術師だと知られてもいけないわ。


 

どうして? ママ。

どうして、目の前で命が消えていくのに、私にできることをやってはいけないの?

大勢を見殺しにして、自分だけが生き残る理由はどこにあるの?

(私だって……私だって、繋いでもらったこの命で……!)

 

震える両手を、燃え盛る大聖堂へと向ける。恐怖で奥歯がガタガタと鳴る。けれど、それ以上に、無力なまま立ち尽くすことへの嫌悪が、私を突き動かした。

 

(キキみたいに……わたしも誰かを、助けたい……!)


 

喉の奥から、絞り出すように祈りの言葉を紡ぐ。

 

「ジュ・アテ・フィン・フィンドラーレ……ル・ヴェルディ・ラヴィアンジュ。雨よ、降って……!」


 

胸の奥底、凍てついていた魔力の源泉が、一気に奔流となって全身を駆け巡った。指先から放たれた純白の光が、煤けた天井へと吸い込まれていく。

 

直後、大聖堂の上空に小さな雨雲が生じ、頼りなげな雨が降り始めた。

 

「え……? 雨……?」

呆然と呟くミアの声。けれど、その小さな奇跡は、猛り狂う業火の前ではあまりに無力だった。炎は雨を嘲笑うように、さらに勢いを増して燃え広がる。

 

「こんなんじゃ足りない……! もっと、もっと大きな雨を……! 火を消して欲しいの。女神ルウェル様……! お願い、みんなを助けて……!」


 

私は、自分の許容量を超える魔力を、強引に汲み上げた。視界がチリチリと焼け、全身の血管が裂けるような激痛が走る。

 

「アンジュ……魔術を……」


 

ミアが、驚愕と、そして微かな恐怖の色を浮かべて私を見つめていた。その視線に気づいた瞬間、身体に異変が起きる。

「っ、痛っ……!」

 

頭皮を針で刺されたような痛撃。同時に私の桃色の髪が、瞬く間に輝きを放ち始めたのだ。

 暗闇を照らすその光は、周りの人々の視線を一気に集めた。

 

「アンジュ大丈夫!? 髪が、髪が光って……!」

 

「私は平気。ジンジャーは反対したけど……救助に行かなきゃ。ミア、中央広場なら人がいて安全だから、そこで待っていて」

 

激痛に耐えながら、私はミアに告げた。

 

「私も行く」

 

「駄目。危ないよ。中央広場なら、まだ安全だから……」

 

ミアの制止を振り切り、私は燃え盛る大聖堂へと向かって、再び駆け出した。キキ、どこに行ったの……。煙に巻かれ、瓦礫に足を取られながら、私は必死に彼の名を呼び続けた。

 


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