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皇太子殿下と契約しました



 

「ですから、私は回復魔法を得意としてはおりません。大体重要な城内の結界の補強の最中に呼びつけるなど……」


 

 不機嫌そうな男の声が鼓膜を揺らした。

 次に聞こえてきたのは、カチャカチャという、ガラス瓶が擦れ合う神経質な音だ。


 

「お前は魔術師団長だろう、その大層な肩書きは伊達か? さっさと治せ」

 

「無茶を言うのは止めていただきたい。私の専門は『破壊』と『防御』です。このご令嬢の体調不良の原因は疲労。適材適所という言葉をご理解ください」


 

 ゆっくりと、重い瞼を持ち上げる。

 

 視界に飛び込んできたのは、お姫様みたいなアデラインの部屋の天蓋のベッド――――――ではなく、見慣れない天井だった。

 

 そして、私の顔を覗き込んでいたのは、目の下に隈を作った中性的な美貌の魔術師。ユリウス・ティリスである。


 

「……ティリス団長?」

 

「これを。効果は保証します」


 

 ユリウスはハァ、と深い溜め息をつくと、手元にあった怪しげな紫色の液体を私に差し出してきた。

 

 話の流れ的に栄養剤だろう。ぐっと飲みきると、物凄く苦い、最低の後味がした。

思わず渋面をつくると、ユリウスは小さく笑う。


 

「不味いでしょう」


「魔術のかかっている食べ物にしては美味しい方の部類ですわ」



 かつてたくさん食べさせられた恐ろしい味の食べ物たちが脳裏をよぎった。それよりはお世辞抜きで全然美味しい方だ。

 

 目だけをキョロキョロと周りを見渡す。

 どうやら私は、ルキウスの書斎のソファの上に寝かされているらしい。


 

 横たわる私のすぐ傍らには、普段の余裕はどこへやら、珍しく髪を少し乱した皇太子殿下が、腕を組んで私を睨みつけていた。……いや、睨んでいるというよりは、新種の珍獣の生存確認をしているような目だ。


 

「気がついたか、アデライン嬢」

 

「……殿下。大変な醜態をお見せいたしました……」


 

 消え入るような声で謝罪する。これは演技ではない。本当に、指一本動かす体力が残っていないのだ。

 

 コルセットで締め上げられた状態で国家機密を前に、ルキウスと頭脳戦を繰り広げた代償は重すぎた。


 

「本当に、ただの虚弱だったのだな。私はてっきり、魔力を隠蔽するための反動か何かかと疑っていた」

 

「……ですから、そう申し上げたでは、ありませんか……」

 

「疑って悪かった」


「わかっていただいて良かったです」


 

 この人に隠しておける手札は多い方がいい。

 

 魔術師への偏見と格差に包まれた帝国に住まう人間の身でありながら、自分の目標のためなら魔術師に地位をあげることすら厭わない男だ。

 もし私がシャーロットだとバレたら、間違いなく便利な外交手段として使い倒される。


 しかし、そんな私の警戒を嘲笑うように、ルキウスはふっと口元を歪めた。


 

「お前は魔力の無い、正真正銘の『ただの人間』だ」


「ええ、そうです」


「報告にあった通り、病弱で、気が弱く、人間関係も菲薄」


「お恥ずかしい」

 

「それなのに魔術のかかった飲み物は飲んた事があるのだな。それも、複数回」


 

 (……しまっ、た……!)

 

 ソファの上で瞬時に身体が硬直する。

 

 隣でユリウスが、穴が空きそうなほどこちらを凝視してくる。


 

「躊躇いなく飲んだな?」


「……いえ、あの、皇太子殿下のご厚意ですから」


「素晴らしい忠誠心だな。普通の貴族の娘は、あれが魔術のかかった飲み物ということすら認識できない。なんなら、あんな怪しげな液体は命に替えても拒絶するものだ」


 

 ルキウスが、ゆっくりと私に顔を近づける。


 影が、私を覆う。

 


「アデライン・エセルリード。お前は何者だ?」


 

 逃げ場のない追及。


 シャーロット・ラヴィアンジュの記憶があるなんてバレれば、2回目の人生が始まってそうそう人生終了だ。

 

 私は、ぎゅっとシーツを握りしめ、十歳の少女特有の「必殺技」を使うことにした。

 

 うるうると瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔で、ルキウスとユリウスを交互に見つめる。


 

「……お父様が……優しさを無下にしてはいけないと、育ててくださったお陰なのです。それをそのように仰られても……アディは困ってしまいます」

 

「「…………」」


 

 完全な静寂。

 完璧な演技に、部屋の中の空気がピキリと固まる。

 先に折れたのは、ユリウスだった。


 

「……皇太子殿下。これ以上は可哀想です」

 

「……本当にただの子供なら、可愛げもあったのだろうがな」


 

 ルキウスはつまらなさそうに鼻を鳴らしたが、それ以上、知識の出所について追及してくる気配はなかった。

 

 どうやら、一旦は誤魔化されてくれたらしい。

 

 ルキウスはソファの端に腰をかけると、真剣な、しかしどこか楽しげな温度を孕んだ瞳で私を見下ろした。


 

「アデライン嬢。君の虚弱体質は理解した。理解した上で、お前の意見が欲しい」

 

「……意見、ですか?」

 

「そうだ。私は近く、魔術師の地位向上を目的とした新法案を議会に提出する。当然、保守派の老人どもは大反対するだろう。お前には、その老人どもを論破するための、理論武装の手伝いをしてもらいたい」


 

 つまり、書類仕事と、政策の立案。

 

 体力を使わない、けれど最も確実にこの国の構造をひっくり返すための仕事だ。


 

「……私のような子供の言葉を、大人が信じるとお思いですか?」

 

「私の口から発表すれば、それは皇太子の言葉になる。お前は私の影に隠れて、好きなだけその()()な知識を振るえばいい」


 

 ルキウスはそう言うと、私の小さな手を、優しく、しかし逃がさないようにしっかりと握りしめた。


 

「お前が何者かは実に気になるが……私に利をもたらす限りは見逃してやろう。……悪い取引ではないだろう?」


 

 逆に言えば、断れば容赦なく引きずり出すという脅迫に他ならない。

 目の前にいるのは、若き冷徹な独裁者。

 けれど、その差し出された手は、驚くほど温かかった。


 

(……巡り巡って、帝国の改革に手を貸すことになるなんて)

 

 運命の皮肉に、私は心の中で小さく苦笑する。

 けれど動悸は何にせよ、この国の魔術師の為に動く男を支えるのは悪くない。

 それに……この人なら、ヴェリアルを止められるかもしれない。

 

 

「……分かりました。ただし、条件がいくつかございます」

 

「言ってみろ」


「第一に、お父様にはこのことは最もらしい理由をつけてあげて誤魔化してください。可哀想ですから」


「可哀想……な。いいだろう」

 

「仕事は、一日最大3時間まで。これがわたしの限界です。それと……美味しいお菓子もお願いします」


「ふっ、分かった。あとは?」

 

「…………なにより魔術師が、魔術師らしく生きる事ができるように、尽力を」



 

 私の精一杯の脅しにルキウスは一瞬呆気に取られた後────。

 今日一番の、腹の底からの笑い声を上げたのだった。





 

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