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二日連続のコルセットは、ご遠慮したいのですが!



 

「アデラインお嬢様!」

 

「アディ、起きて! 大変なことになってるわ!」


 

 エセルリード家の乳母であるマーゴットと、公爵家が誇る完璧な姉・ルチアの引き裂かんばかりの勢いで寝室の扉を叩く音。それによって、私の意識は現実へと引きずり戻された。


 ガチャリ、扉を開けて2人の顔を見る。

 

 焦った表情のルチアから差し出された手紙をまだ半分眠ったような心地で受け取った。

 

 上質な白の羊皮紙の真ん中にこれでもかと主張するように押されていたのは、禍々しいほどの威厳を放つ、王家の紋章の刻まれた深紅の封蝋だった。

 

 次の瞬間、私の悲鳴がエセルリード公爵邸の朝を切り裂いた。

 

 当然、公爵家には激震が走った。

 

 昨日行われたばかりの夜会。


 その翌日の朝一番という異例の速さで王宮へと召喚されることになったのが、社交界の華である姉のルチアではなく、十歳になったばかりで、病弱かつ引きこもりがちなこの私、アデラインだったからだ。


 

「……アデライン。本当に、本当に何もしていないんだね?」


 

 急ぎ支度をして二日連続コルセットをギュウギュウに締め、馬車に詰め込まれ。

 そして今、王宮の冷たい大理石の回廊を歩きながら、エセルリード公爵が何度目かもわからない確認を私に投げかけてくる。その顔は露骨に青ざめ、完全に頭を抱えていた。


 

「はい、お父様。お父様も知ってるでしょう?昨日の夜会で、皇太子殿下のご不興を買うような真似など、何にも……」

 

「そうだよな。いや、お前が嘘をつくはずがない。分かっている、分かっているんだが……」


 

 お父様は周囲の近衛兵たちを警戒するように、さらに声を潜めた。彼の手が、私の小さな肩をそっと包み込むように握られる。


 

「いいかい、アデライン。よく聞きなさい。ルキウス殿下というお方は、我々とは見ている世界が違うのだ」

 

「見ている世界、ですか?」

 

「そうだ。かつて前線において、大勢の味方の命と引き換えに、確実な勝利を得られる()()()()()()局面があった。将たちの誰もが命と天秤にかけて悩み、頭を抱えた。───だが、皇太子殿下は、眉一つ動かさずにその非情な作戦を採用し、そして勝った」


 

 ゾクリ、と背筋に冷たい氷を落とされたような感覚が走る。

 

 

「それだけではないが……あの方はそういうお方だ。冷徹にして、圧倒的な為政者の器。ルキウス殿下がいれば、確かにこの帝国はさらに強くなるだろう。しかし、彼に関わる人間は、等しく身を削られ、傷つけられる。……気をつけなさい、アデライン。父様は、君たちを失いたくないんだ」


 

 お父様の言葉の重みを受け止め、私は小さく唾を飲み込んだ。

 

 

「ただいまの時間、殿下は執務室にいらっしゃいます」


 

 案内役の侍従が、重厚な木製の扉の前でぴたりと足を止めた。

 威圧感のある彫刻が施されたその扉。その先で死が待ち受けているのような圧力を感じる。


 

「恐れ入りますが、エセルリード公爵閣下。皇太子殿下は、アデライン様お一人での入室を仰せです」


 

「なっ……!しかし娘はまだ十歳で、身体も弱く……!」

 

「お父様、大丈夫ですわ」


 

 食い下がろうとするエセルリード公爵の袖を、私はそっと引いた。

 ここで拒否権などないのだ。

 帝国において皇太子の言葉は絶対。下手に逆らえば、それこそ公爵家全体の危機になりかねない。

 

 

 私は小さく深呼吸をして、緊張で強張る身体を己のプライドで奮い立たせ、一人で部屋へと足を踏み入れた。


 

「アデライン・エセルリードが、皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


 

 完璧な角度のカーテシーを見せた私を出迎えたのは、部屋の主よりも先に、机の上に山高く積まれた大量の書類の山だった。それも、一つや二つの山ではない。机を埋め尽くし、床にまで侵食しそうなほどの圧倒的な量に面を食らう。

 

 

(……この人、本気でこの国を一人で回してるんだわ)


 

 思わずそんな感想が漏れそうになる。

 

 凄まじい速度でペンを走らせる皇太子・ルキウスの姿には、昨日夜会で見せたような、周囲を威圧して寄せ付けない刺々しさはなかった。代わりに徹夜明け特有の、どこか退廃的で凄絶な色気が漂っている。


 

「悪いな、アデライン嬢。あと十分ほど掛けて待っていてくれ」


 

 ルキウスは顔を上げないままそれだけを告げると、手元の銀のベルを軽やかに鳴らした。

 

 すぐに控えていた給仕が室内に入ってきて、私の前のローテーブルへ、これでもかと贅沢な品々を並べていく。

 

 それは十歳の少女なら目を輝かせて喜びそうな、色鮮やかで甘そうな最高級菓子の数々だった。

 

 完全に子供扱いなのだろうが、私にはここに呼ばれた理由に、ばっちり身に覚えがあった。甘く香ばしい匂いが、逆に緊張で渇いた喉を締め付ける。


 

「どうぞ私に構わず、成すべきことをなさってください。私は後回しで結構ですので」

 

「助かる」


 

 短く応じるとルキウスはなおも数分間、ペンを動かし続けた。

 静まり返った室内に、カリカリとインクが紙を削る音だけが規則正しく響く。

 やがてそれを静かに机へと置くと、ルキウスは背もたれに深く体重を預けて長い息を吐いた。

 

 

「前線から帰ってきたと思えば、これだ。前の皇太子が全く書類仕事に手をつけず、遊び呆けた挙句に死んだからな。その尻拭いをすべて私がさせられているという訳だ」


 

 吐き捨てられた言葉の重さに、私は困ったような微笑を浮かべるに留めた。こういう国家の根底に関わる、あるいは王族の不名誉に関する強烈な愚痴には一切口を挟まないのが貴族の鉄則であり、生き残るための知恵だ。


 

「……十歳にしては、ずいぶんと聡いな。普通なら、今の言葉に怯えるか、調子に乗って同調するものだが」


 

 値踏みするような、冷徹な灰の瞳が私をまっすぐに射抜く。

 

 

「皇太子殿下が十歳の時は、私などよりもずっと賢明でいらしたはずです。私はただ、殿下のお邪魔にならぬよう、弁えているだけにございます」

 

「惜しいな」


 

 殿下はふっと、皮肉っぽく唇を釣り上げた。


 

「あと五つ……いや、せめてあと三つでもお前が年上だったら、私は周囲の反対をすべて叩き潰してでも、迷わずお前を妻に迎えていたものを」

 

「過分な評価でございます。私のような身体の弱い者に王妃という国の象徴たる重責は、務まりません」


 

 すらすらと無難な「ご令嬢の言葉」が口を突いて出る。

 

 貴族のやり取りに慣れているのは、本来のアデラインの記憶というよりも、かつてユーティオティアスから習った令嬢教育が功を奏しているようだった。


 ありがとう、ティティ。心の中で小さく無愛想な彼にお礼を言う。かなりスパルタだったので、本人には絶対言いたくないけれど。


 

 にしても不思議と、昨日ほどの恐怖はなかった。今日の彼には、他者を無差別に排斥するような覇気がない。


 思ったよりもずっと、理性的な対話が通じる相手なのかもしれない。

 

 そう思ったのも、束の間だった。


 

「あの瞬間。周囲が一様に怯え、思考を停止させていた中で……動じていなかったのはお前一人だけだった」


 

 唐突に落とされた低い声に、私の背筋が跳ねた。


 

「……あの瞬間、とは何のことでしょうか?」

 

「まだるっこしい駆け引きは好かん。単刀直入に聞こう」


 

 ルキウスは机に肘をつき、組んだ手の隙間から私をじっと見見据えた。その瞳の奥に、獲物を捕らえようとする肉食獣のような鋭さが灯る。

 

 

「お前は、魔術師か?」





 

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