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世界を壊すための誓い



静まり返った部屋に、薪がはぜる音だけが響く。

ヴェリアルの放った静かな威圧感に、空気そのものが重く沈み込んでいた。

 

「……座って。三日間も眠っていたんだ、まだ足元がおぼつかないだろう?」

 

ヴェリアルは、まるで先ほど自分の侍従を冷酷に突き放したことなどなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべてソファの隣を叩いた。

私は促されるまま、恐る恐るその隣に腰を下ろす。

ふかふかのソファ。暖炉のぬくもり。

5番街の、あの湿った冷たい地面とは比べものにならない贅沢な空間。

けれど、隣に座るヴェリアルから漂う、わずかな花の香りが……甘く、死を予感させるようなその芳香が、私の心臓を騒がせた。

 

「さて。シャーロット、君に渡したいものがあるんだ」

 


ヴェリアルが細い指先を優雅に滑らせる。

 

すると、何もない虚空が陽炎のように歪み、一冊の古びた手帳が音もなく物質化した。

 

表紙には、記憶の底に眠る銀色の紋章が刻まれている。

 

「これは……?」

「君の父親――アルカ・ラヴィアンジュのものだよ」

 

その名を聞いた瞬間、肺から空気が消えた。

父親――パパ。

一度も面影を重ねたことはない。けれど、孤独な夜にはいつも心のどこかで恨み言をぶつけてきた、憎むべき不在の象徴。

 

 

「パパは、ベルの知り合いなの?」

 

「僕とユーティオティアスの魔術の師匠だよ。帝国で最も偉大な魔術師だった」


 

遠くを見つめる彼の横顔は、懐かしんでいるようにも、あるいは何かを嘲笑っているようにも見えた。その瞳の冷たさに、私は直感してしまう。

――ああ、パパはもう、この世にはいないんだ。

 

 

「もしもウィンターが……君のママが特区で生きていたら、これを渡すように言われていたんだ。けれど、彼女には渡すことができなかった。……受け取ってくれ」

 

「中身は?」

 

「特定の相手にしか開かない構造なんだ。だから見たことはない。……ただ、君なら開けられる気がする」

 


ヴェリアルが不意に身を乗り出し、私の瞳を覗き込んだ。

至近距離で見開かれたアメジストの瞳が、薄暗い部屋の中で怪しく、かつ妖艶に明滅する。

 

 

「先生……君のパパは、魔術師の夜明けを信じていた。そして、その希望を君に託したんだ。……僕たちは、君の中に眠るその力を正しく引き出さなければならない」

 

「……その夜明けとやらで、キキを助けることは出来る?」

 

私の問いに、ヴェリアルは満足そうに目を細めた。

 

「そう。現時点で死者を蘇らせる術はない。けれど、君が善い魔術師になれば……彼は再び、君の名を呼ぶだろう」

 


それは、甘美で抗いがたい悪魔の誘惑だった。

 

パチパチとはぜる薪の音が、まるで契約の成立を急かす秒読みのように室内に響いている。

 

傍らでは、冷や汗を拭ったユーティオティアスが言葉にできない複雑な色を瞳に宿して私たちを凝視していた。その視線には、畏怖と、同情と、そして引き返せない運命への覚悟が混ざり合っているようだった。

 

「今日から君の生活は一変するよ、シャーロット。泥にまみれた過去はすべて捨て去るんだ。読み書き、貴族の作法、そして何より……君の血を呼び覚ますための、過酷な魔術の修練。覚悟はいいかい?」

 

ヴェリアルは私の返事も待たず、夢を見せるような甘い声で続けた。

 

「君が望むなら、僕は君をこの世界で最も気高く、そして誰よりも強大な魔術師に育て上げよう。君にはその資格があり、何より比類なき『素質』がある。……なんといっても、君は伝説に謳われた女神の末裔なのだからね」

 

「女神の末裔……? 私が、そんな……ただの孤児なのに」

 

「ふふ、自分の価値に無頓着なのは罪だね。……目が覚めてから鏡を見たかい?」

 

「鏡? いいえ、そんな余裕なんて……。でも、視界がなんだかいつもと違うような、世界がやけに鮮やかに見える気はするけれど……」

 

ヴェリアルは満足げに頷くと、私の頬に冷たい指先を滑らせた。

 

「その瞳だよ。光の角度によって万華鏡のように色を変える、比類なき輝き。それを魔術界では宝石眼と呼ぶんだ。そしてあの日、君が魔術を暴走させた時、その髪は太陽のような黄金の光に包まれた。それは魔術師の祖、女神ルウェル・ラヴィアンジュの純血たる証拠だよ。……君のパパ、アルカも全く同じ輝きを放っていた」

 

懐かしむような、あるいは愛おしむような、熱を帯びた視線。彼は私の指先にそっと自分の手を重ねた。その掌は、夢の中で触れたキキの冷たくなっていく体温とは正反対の、どろりとした野心を孕んだ熱を帯びている。

 

「帝国は魔術師の蜂起を何よりも恐れている。だからこそ、最強の血脈であるラヴィアンジュの一族を根絶やしにしようとしたんだ。君を宿したママ……ウィンターが、あえて汚物と絶望にまみれた『特区』に身を落としたのは、すべては君という希望を帝国の目から隠し、守り抜くためだったんだよ」

 

「……それなら、外にいる帝国の魔術師たちは……苦しい生活を送っているの?」

 

「彼らは家畜のように管理され、その強大な力を奪われ、あるいは道具として使い潰されている。簡単に人間を蹂躙できる力があるというのに、長く虐げられ続けると、人間は反抗すること自体を忘れてしまう。滑稽だと思わないかい? どう足掻いたって、あんな脆い非魔術師どもが、僕たちに敵うはずはないのに」

 

ヴェリアルの声に、鋭い剃刀のような殺意が混じる。彼は私の手を握り込み、顔を至近距離まで近づけた。

 

「シャーロット、僕と一緒に『革命』を起こそう」

 

「かく、めい……?」

 

聞いたこともない大きな言葉に、私の肩が震える。

 

「そう、革命だ。この忌々しい特区を解放し、魔術師が人間より遥かに優れた存在であることをあの傲慢な連中に骨の髄まで分からせてやるんだ。僕たちは奪われた太陽を、自分たちの手で取り戻すべきだ」

 

「そんなこと……! そもそも、この街からは鼠一匹、鳥一羽だって逃げ出せないって、みんな絶望して死んでいくわ。あの巨大な天井がある限り……」

 

「でも、君は見たはずだ。あの日、あんなに強固だった天井が、君の力で脆くも崩れ落ちるのを。今は散り散りになっている魔術師たちが、君という旗印の下に立ち上がれば、あの偽りの空を粉々に砕くことなんて容易い。……ねえ、シャーロット。君は、本当の太陽を取り戻したくないかい?」

 

「……見たい」

 

心臓の奥から、絞り出すような声が出た。

キキと一緒に。

あの、肌を焼くほどに眩しい本物の光の下を、誰にも怯えずに歩きたい。

 

「できるよ。僕と君ならね。いや、君にしかできないんだ」

 

ヴェリアルは、私の指先に重ねた手にぐっと力を込めた。逃げ場を塞ぐように、逃さないように。

 

「さあ、答えを聞かせて。……僕の手を取るかい? それとも、一生この暗がりの底で、奪われたものを嘆いて過ごすかい?」

 

私は、彼のアメジストの瞳の奥に映る、自分の姿を見た。

そこにはもう、廃教会の片隅で震えていた無力な孤児はいなかった。

大切な人を、愛しい初恋を、死の淵から奪い返すための力を欲する、飢えた獣のような瞳をした少女がいた。

 

「ええ。……私を、強くして。ベル」

 

私がその手を取り返した瞬間、ヴェリアルの唇が、獲物を仕留めた征服者のような艶やかな弧を描いた。

 

「素晴らしい。最高の選択だよ、シャーロット」

 

パチッ、と一際大きく薪が弾ける。

それが、私と彼――後に歴史に「死神」と記されることになる男との、血塗られた契約が結ばれた合図だった。


よろしくお願いします!

一度目で国を滅ぼしてしまった吸血鬼令嬢も、連載再開します。

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