第1章:十九回目の月光—第3話: 銀の残像—レンズ越しの春
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
前回では、死の淵から生還した一ノ瀬 和が、書庫でエリスと再会。
彼女の疑念を晴らし、二人は真犯人「金髪の男」の影を追って、惨劇の屋敷を後にしました。
今回の第3話は、カズの親友アダムのセーフハウスへと向かう車中から始まります。
ふと目に留まったアンティークカメラ。それをきっかけに、カズの脳裏には六年前の「あの日」が鮮やかに蘇ります。
冷徹な美少女だったエリスとの出会い、そして、第1話で彼女が手にしていたシルバーのベレッタの「真相」とは……。
二人の絆の根源を描く回想編。ぜひ、最後までお楽しみください!
磁気浮上によってタイヤレスで滑る愛車は、深夜のハイウェイを音もなく切り裂いていた。
周囲を走る無人輸送車たちが、定められたアルゴリズムに従って規則正しく流れていく中、この車だけが異質な「鼓動」を刻んでいる。
カズは、重厚な革張りのステアリングを両手で握り、マニュアル操作の感触を確かめていた。
オートパイロットに身を任せれば、目的地までは最短ルートで運ばれる。だが、彼はこの「自分の手で運命を操る」不確かな手応えを愛していた。
助手席では、エリスが深い微睡みの中にいた。
ダッシュボードに置かれたアンティークカメラ――百数十年前の遺物であるライカの金属筐体が、窓から差し込む月光を鈍く、重々しく反射している。
(……レンズが光を集める。ただそれだけのことが、この時代には贅沢なんだな)
カズはふと、ダッシュボードのカメラに視線を落とした。
そのレンズが捉えてきた、六年前の「あの日」の光景が、網膜の裏側で鮮やかに蘇る。
*
六年前、一月の凍てつく冬の日。
カズの屋敷の前に停まった数台の大型トラックは、軍事研究ラボの博士であるエリスの父が連れてきた「異邦の風」だった。
当時十四歳だったカズの前に現れたのは、雪がしんしんと降り積もる中、父親の長いコートの裾を握りしめ、怯えるように佇んでいた十二歳の少女。
フィッツジェラルド・エリスだった。
ハーフ特有の青く澄んだ瞳は、まるで世界中のすべてを拒絶しているかのように鋭く、そしてどこか孤独を湛えていた。
「……よろしく、エリス。俺はカズだ。困ったことがあったら、何でも言って」
カズが差し出した手を、彼女はジッと見つめた後、感情を一切排した声で短く応えた。
「……別に、ありません……」
それが、彼女の第一声だった。
そこに「ばか」という親しみも、拒絶の激しさすらもない。ただ、透明な壁が一枚、自分との間に存在しているような、そんな遠い距離感。
クールで、大人びた、手の届かない美少女。それが彼女の纏っていた最初の「仮面」だった。
*
その氷が、春の陽射しに溶け始めたのは、出会いから数ヶ月が経った頃のことだ。
四月。高度な環境制御によって守られた屋敷の庭を超え、二人は手付かずの自然が残る裏山の森へと足を運んでいた。
カズの趣味である写真撮影。この時代、ホログラムで一瞬にして空間を記録できる中で、あえて「光をフィルムに焼き付ける」古い箱を持ち歩くカズに、エリスは不思議そうな視線を送っていた。
「何が楽しいんですか、そんな重いだけの古い箱」
「レンズを通った光は、二度と同じ形にはならないんだ。一期一会ってやつだよ、エリス」
「……一期一会。……変なの」
エリスは毒づきながらも、どこか楽しそうに、春の柔らかな風に銀髪をなびかせていた。
木漏れ日が彼女の白い肌の上で踊り、若草の匂いが鼻腔をくすぐる。
彼女の横顔をファインダー越しに捉えた時、カズは初めて、彼女の唇がわずかに緩んでいるのを見た。
「あ!見て、エリス! 暖かくなって珍しい虫が出てきてるぞ」
カズがカメラを切り株に置き、木の影を指差した。
そこには、春の陽光を浴びてキラキラと翡翠色に輝く、美しい**黄金虫**がいた。
都会育ちの彼女に、この森の宝石を見せてやりたい。そんな純粋な好奇心だった。
「ほら、綺麗だろ? 手に乗せて――」
「………………っ!!」
次の瞬間、エリスの顔から血の気が引いた。
青い瞳が驚愕に見開かれ、彼女は無様に腰を抜かして、春の草花の上に尻もちをついた。
「……う、……うあ、……あ、あああぁぁぁぁ!!!!!」
森の静寂を切り裂いたのは、子供のような、混じり気のない大号泣だった。
エリスは涙でぐちゃぐちゃになりながら、這うようにしてカズから距離を取る。
「やだ! やだぁぁ! むし!? きもっ、……いやぁぁぁぁっ!!」
「えっ、あ、ごめん! 綺麗だと思ったから――」
「ばっ、ばかっ! 最低!! ほんと、しんじらんない!!!」
森を出てから、屋敷の玄関をくぐるまで、彼女の銀色の睫毛からは真珠のような涙が溢れ続け、一切泣き止む気配がなかった。
「ちょっと、カズ! エリスちゃんをいじめたわね!」
玄関先で泣きじゃくるエリスを見たカズの母親が、雷のような怒声を上げる。
「違うんだ、ただ珍しい虫を――」
「言い訳は見苦しいわよ! エリスちゃんがこんなに泣くなんて、よっぽどのことをしたんでしょ!」
結局、カズはその日、母親からこっぴどく叱られ、廊下で反省させられる羽目になった。
だが、その日の夕暮れ。
泣き腫らした目で廊下を通りかかったエリスが、反省しているカズをチラリと見て、プイと横を向いたその瞬間。
彼女の小さな指先が、ほんの一瞬だけ、カズの袖をギュッと掴んだ。
「……こ、これから、あんたのこと、せんぱいって呼ぶわ!!…」
そうとう、黄金虫がいやだったのかまだ怒りが収まらない口調でカズにそう言い放った。この時、彼女は初めて彼を【せんぱい】と呼んだ瞬間だった。
それは、彼女の心の壁が、初めて音を立てて崩れた合図だった。
*
それから、二人は多くの時間を共に過ごすようになった。
ある日、カズはエリスに「俺の宝物を見せてあげるよ」と言い、自分の部屋へ招き入れた。
部屋のドアを開けた瞬間、エリスの瞳が驚きに揺れた。
そこには、2100年の超近代的な暮らしからは想像もできない光景が広がっていたからだ。
棚の上、テーブルの上、そして壁。
そこにはカズが情熱を注いで集めたアンティークの数々が、所狭しと飾られていた。
脳内ナノマシンと網膜投影システムによって、あらゆる触覚や視覚が「仮想体験」で完結するこの時代。
実体を持つ「本物」に触れる機会など、一般の市民にはほとんどない。
エリスは、まるで魔法にかけられた子供のように、目を輝かせて部屋の中を歩き回った。
そして、棚の奥に置かれた一際存在感を放つ、ある一点に足を止めた。
「……ねぇ、あれ、触ってもいい?」
エリスが指差したのは、月光のような鈍い輝きを放つ、シルバーのベレッタM9だった。
「いいよ」
カズの許可を得て、エリスはそれをそっと両手で包み込んだ。
ひんやりとした金属の重み。油の匂い。
仮想現実では決して味わえない、本物が持つ強烈な「存在感」に、彼女は一瞬で心を奪われたようだった。
「……これ、すごい。なんだか、生きてるみたい」
キラキラと目を輝かせるエリスを見て、カズは優しく微笑んだ。
「気に入った? ……それ、エリスにあげるよ」
「えっ!? でも、これ先輩の大切な……」
「いいんだ。……いつか、それが必要になる時が来るかもしれない。その時は、それで自分を、大切なものを守るんだ」
それが、五年後のあの夜、彼女がカズのこめかみに押し当てることになる銃だとは、この時の二人は知る由もなかった。
*
「……ん、……ぱい……」
隣でエリスが身じろぎをし、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
夢から現実へ。回想の柔らかな光は消え、車内には磁気浮上の微かな唸りと、2100年の冷たいネオンが戻ってくる。
「……起きたか、エリス。……もうすぐ着くぞ」
「……はい。少し……懐かしい夢を、見ていました 」
エリスは少しだけ赤い目をこすり、それからダッシュボードのアンティークカメラをジッと見つめた。
そこに「あざとい」笑顔はない。
ただ、さっきまで見ていた春の記憶を、彼女もまた共有しているかのような、静かな信頼の眼差し。
(……十八回、あの子のあの泣き顔を、本当の意味で拭えなかった)
カズはステアリングを握る手に力を込めた。
十九回目。
初めて掴んだ「金髪の男」という真犯人の影。
あの歪んだ鏡の向こう側にいる自分に似た存在……
「エリス。……もう、あんな風には泣かせたりしない。絶対にだ」
カズの瞳には、かつてないほど鋭く冷徹な「殺意」が宿っていた。
自分と、彼女の人生を壊したすべてを、この十九周目で殲滅するために。
二人はまだ観ぬ未来へと足を踏み入れて行く。
不確かな光に満ちた夜の街を、カズのマニュアル車が猛然と加速していく。
第3話をお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、カズとエリスの出会い、そして二人が「先輩と後輩」になった不器用な瞬間を描きました。カズがエリスに贈った銃が、まさかあんな形で自分に向けられることになるとは……リープを繰り返すカズの心中を思うと、書いている私も胸が熱くなります。
さて、次回の第4話。
回想から現実へ戻った二人を、夜の静寂を切り裂く「銀の弾丸」が襲います。
1キロ先、視認不能なビルの屋上から放たれる死の宣告。
逃げ場のない路地裏で、絶望に立たされたカズの前に現れる「黄金の輝き」とは……!?
物語はいよいよ、過去のループを凌駕する激闘のフェーズへと突入します!
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