婚約破棄による美容産業の発展について
「アレッサ・ヴェルヌ。君との婚約を――ここで破棄する!」
昼下がりの王都広場に、王子の大声が響いた。
その場にいた誰もが、スープを飲む手を止めた。
なにせ、今は昼の商売真っ盛り。
パンを焼く香り、野菜を並べる声、その真ん中での婚約破棄宣言である。
「……それは陛下のご意向ですか?」
白いドレスのアレッサは、落ち着いた声で尋ねた。
群衆が息をのむ。
「い、いや! 僕の……個人的な決断だ!」
なるほど、とアレッサは微笑んだ。
この一言で、彼女の頭の中ではすでに十通りの計算式が走っていた。
(つまり、王家の承認なし。ならば責任は彼一人に帰する。……これ、使えるわね)
アレッサは一歩前に出て、群衆を見回した。
「では王子。あなたの“愛の新時代宣言”に、私も賛同いたしますわ」
「えっ?」
「明日、私は“婚約破棄された女性でも輝ける社会”を作ります。
まずは化粧品会社を立ち上げますわ」
「か、化粧品!?」
その瞬間、広場にいた商人たちは悟った。
――これは、儲かる。
翌日。
アレッサ商会が発売したのは、「涙の雫美容液」。
『婚約破棄直後の肌に』『泣いた翌朝も輝くあなたへ』
挑発的なキャッチコピーが王都を席巻した。
失恋した令嬢たちが列をなし、数日後には“涙ケア専門サロン”まで登場。
「破棄フェイスマスク」や「別れの香水」も売れに売れた。
新聞の一面には、こう大きく書かれた。
「王子の断罪が生んだ新美容ブーム」
――名誉なのか、皮肉なのか。
「な、なんだこれは! 僕のせいで美容が盛り上がっているのか?」
「はい陛下、国王陛下も大変お喜びで。“王家主導の景気回復策”だと」
侍従が淡々と答えた。
「ま、待て! あれは恋の話であって経済では……!」
「民は恋より仕事に燃えております。おめでとうございます」
こうして、王子の“愛の革命”は、王国の経済革命へと変わった。
それから王都では、“破棄系ビジネス”が次々と誕生した。
・「謝罪のマカロン」――浮気後に贈ると売上倍増。
・「破棄記念アクセサリー」――涙型の宝石が象徴的。
・「失恋セミナー」――元婚約者を忘れる方法を指南。
街はいつしか“涙景気”に沸いていた。
学院では新しい講義が始まる。
『婚約破棄がもたらす需要拡大について』
教授は黒板にこう書いた。
「感情が動けば、金が動く」
学生たちは爆笑しながら、熱心にノートを取った。
三ヶ月後。
王子は再び壇上に立ち、誇らしげに叫んだ。
「本日、新たにリリア・ハーヴィル嬢との婚約を発表する!」
しかし群衆はざわめく。
アレッサ商会の社員たちが、すでに動き始めていた。
「“再婚ローション”の広告を急げ!」
「“心機一転フェイスパック”の新商品も出すぞ!」
たちまち露店にはポスターが並び、王子よりも商品のほうが注目を集めた。
「な、なんだこれは!?」
隣でリリアがつぶやく。
「王子、経済の方があなたより先に恋を始めてしまったようですわ」
その頃、アレッサは静かに紅茶を啜っていた。
「例の“王子ブランド”はどう?」
「好調です。“断罪コレクション”の再販希望が殺到しています」
「ええ、いいことね」
机の上には、王宮からの契約書。
『経済顧問任命書』の文字が光っていた。
(恋が国を動かすなんて、悪くないわ)
アレッサは微笑みながら署名した。
――涙を金に変えた女として。
数ヶ月後、街では新しいブームが起きていた。
“断罪劇”の次は“和解ショー”。
アレッサの旧友が舞台を立ち上げ、
『婚約破棄された令嬢が立ち上がる感動巨編!』が大ヒット。
劇場街は毎晩満席。
その収益の一部は孤児院に寄付され、庶民の暮らしも潤った。
歴史家はのちにこの年をこう呼ぶ。
“断罪バブル元年”。
「アレッサ様、新しい婚約者候補が十名ほど届いております」
「全員お断りよ。今は経済と結婚しているの」
春風が窓を揺らした。
広場には今日も、商人たちの活気が満ちている。
「最近は地方にも広がっているとか。“別れ屋台”が人気だそうです」
「“失恋直後の胃にやさしいスープ”、ね。いいわ、それ」
アレッサは微笑んだ。
「人の涙に価値を与えられたなら、この国はまだ伸びる」
侍女がうなずく。
「ええ、すべて“王子効果”ですね」
「“王子効果”? 違うわ」
アレッサは紅茶を置いて言った。
「婚約破棄による経済効果よ」
数年後。
経済史の教科書には、こう記される。
婚約破棄は悲劇ではなく、商機のはじまりである。
王国史上、最も多くの雇用を生んだ断罪劇――
それが、“アレッサ・ヴェルヌ事件”であった。
老いた王子は回想する。
「……結局、彼女が王国を救ったのだな」
アレッサは答えた。
「いいえ。救ったのは“女の涙”ですわ」
紅茶の香りがふわりと立ち上る。
――そして今日も、新しい涙が市場を潤している。




