表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/24

7. 囚われの森の美青年


 夜が明け、私達はそれぞれの旅路へと戻った。


 地図をくれたゴンザ達に礼を言い、私は野営地を出て北東の小道を進み始める。


 朝靄のかかる森の縁は、まるで異世界への入り口のように静まり返っていた。鳥の声も、風の音も、木々の葉擦れさえも遠くなるほどに。


(……本当に、迷う人が続出する森、ですのね)


 けれど私の足取りは思ったよりも軽かった。

 なぜなら私はこの場所に、少しだけ『憧れ』を抱いていたから。


 ふと、胸元のポケットに指を差し入れる。そこには、銀色に輝くMIKAN WORKS謹製の携行具――『記憶式遭難信号灯エンブレム・ビーコン』が収まっている。


 これはいざという時、使用者の記憶情報と位置座標を魔導転送で発信できる高機能ビーコン。

 父が私にだけこっそり持たせてくれた、MIKAN WORKSの試作限定モデルだった。


 ――「何があっても、これを握っていれば、必ず帰れる」


 そう言って微笑んだ父の顔を思い出し、私はそっとビーコンに触れる。


(……ええ、大丈夫。帰れる道があるなら、私は安心して、迷うことができますわ)


 この森の奥に何があるのか。

 人が口にする『迷い』とは、本当に道を見失うことなのか――それとももっと別の意味があるのか。


 私の中で、旅の地図にはない新しい冒険が静かに始まろうとしていた。


「では、参りますわよ。迷いの森さん」


 私は一歩、森の中へと足を踏み入れた。背後の光が遠のき、音が吸い込まれていくような感覚と共に、世界が少しだけ違う色に変わっていく。


 そして森の入り口をくぐった瞬間、空気が変わった。

 

 ほんの一歩、ただそれだけのはずなのに、周囲を包む空気がひんやりと湿り、昼間とは思えないほどの薄暗さが木々の間に広がっている。


 高く伸びる木々はまるで天を遮るように枝を重ね、そこから差し込む光はわずかに揺れる緑の雫のよう。

 風が止み、森の中の音が吸い込まれていく。


(……しん、としていますわね)


 耳に届くのは自分の足音と、小さな靴が落ち葉を踏む音だけ。

 さっきまで感じていた胸の高鳴りが、少しずつ冷えていくような感覚。


 けれど、そこにあるのは怖さだけではなかった。奥へ進めば進むほど、私はむしろ、自分が物語の中に迷い込んだような気さえしていた。


(……もし、この森の奥に『何か』があるとしたら……それは、私の知らない世界。けれどずっと憧れていた世界、かも知れませんわ)


 MIKAN WORKSのブーツが、湿った苔の上で小さく沈んだ。


 通りすぎた小道は、気付けば消えている。


 さっき目にした倒木が、今度は別の場所にあるような……そんな錯覚の繰り返し。


「……ふふ、なるほど。これが『迷いの森』というわけですのね」


 誰にともなく呟いた声が、やけに遠く感じられた。

 それでも私は歩みを止めない。たとえ、周囲の景色が静かに変容していったとしても。


 ふと気づけば、胸元の『記憶式遭難信号灯エンブレム・ビーコン』が微かに脈を打っていた。

 それはまるで、私が『過去』とすれ違おうとしていることを警告するかのように。


 深く吸い込んだ空気は、どこか懐かしい匂いがした。

 思い出せない誰かの声、温かな記憶――けれどそれは確かに、『今』ではないもの。


(……何かが、私を覗いていますわ)


 目に見えない気配が、森の奥からゆっくりと手を差し伸べている。

 

 それは魔女の手か、記憶の影か。まだ分からないけれど私は、怖さよりも好奇心が勝っていた。


「もう少しだけ、進んでみましょうか」


 旅の途中で出会う『不思議』を、私は一つ一つ自分の目で確かめてみたい。

 それがたとえ、『迷う』という形であっても。


 そしてこの先で――私は出会った。


「あら……? あれは……」

 

 過去に囚われたまま、森に閉じ込められた、一人の青年と。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ