4. お騒がせな夜市でしたけれど、美味でしたわ
小さな市街地と聞いていたけれど、次に訪れたクローナの市は思っていたよりも活気があった。
広場には露店が立ち並び、香ばしい匂いと人々の笑い声が溶け合う。夕刻になると、街中の提灯に灯りがともり、石畳の道に柔らかな光が揺れていた。
私は馬車を広場の端に停め、ミルクターボにはMIKAN WORKS謹製の『プレミアム・ストールルーフ』をかけておいた。
断熱と遮光を兼ね備えた馬用の休息シートで、本人(馬)もすっかりお気に入りである。
「……まるで、旅の祭りのようですわね」
人の賑わいに、少し胸が弾む。
そんな中、一際目を引く屋台があった。煙とともに香るのは、炭火で炙った肉とスパイスの香り。思わず足を止めてしまう。
「いらっしゃい! 嬢ちゃん旅人かい? こいつは『赤獣』の串焼き。胡椒と果実酒で漬け込んであるよ!」
元気な店主の声に誘われて、私はふと微笑んだ。
「まあ、良い香り……少し頂いても?」
「もちろん!」
串を受け取って口元に運ぶと、表面は香ばしく、中はほろりと崩れる柔らかさ。
果実酒の甘みが、ぴりっとした胡椒の刺激を包み込んで、口の中でとろけてしまう。
「……これは、美味でございますわね」
思わず声が漏れる。
「おおっ、お嬢ちゃん、育ちがいいな。旅人でその言葉遣いってのはなかなかいねぇぜ」
そんなことを言われながら串を片手に歩いていると、ふと視界に、見慣れたロゴが飛び込んできた。
それは、緑とオレンジを基調にした看板。中央に描かれた『ミカン』の意匠は、私にとっては見慣れた物。
――『MIKAN WORKS 正規取扱店』
それを見た瞬間、私は思わず歩を早めていた。
その店はコンパクトながら、中には旅人や冒険者らしき人たちがひしめき合い、商品棚の前であれこれと語り合っている。
「やっぱりこっちの火炉は風に強くていいんだよな」
「いやいや、あたしはこの『折りたたみ蒸籠セット』だね。蒸したての団子、最高だぜ?」
どの顔もどこか誇らしげだった。まるでMIKAN WORKSの品を持っていることが、熟練した旅人や冒険者としての『証』であるかのように。
「ご覧の通り、大盛況でしてね」
奥から現れたのは、穏やかな笑みを浮かべた店主だった。年の頃は五十代半ばといったところ。腰にはMIKANのマークが入った革製のポーチを提げている。
「お嬢さんも、『MIKAN』ファンですか?」
その問いに、私はほんの少し微笑んだ。
「ええ。旅を始めるにあたり、信頼できるものをと思いまして。こちらの製品は……とてもよく出来ておりますわよね」
「ありがたいお言葉です。創業者様の技術と発想には、私どもも感服するばかりでして……」
どこか誇りすら感じさせるその言葉に、私はふっと目を伏せる。
(……きっと、お父様が聞いたら喜びますわね)
そのとき、店の外で何かが割れる音がした。
「店主さん! 台車がひっくり返ってる!」
「うわ……! 屋台の仕込み鍋が……!」
広場の向こう、屋台の青年が慌てているのが見えた。そこには倒れた台車と、地面に散らばる調理道具。
「申し訳ありません、ちょっと失礼しますわね」
私は店主に頭を下げると、広場へと足を向けた。
私は思うのです。旅の醍醐味には、きっと美味しい食事や素晴らしい体験だけではなく、少しの『助け合い』も含まれていると。
駆け寄った先には、若い料理人らしき青年が慌てて散らばった鍋や野菜を拾い集めていた。
その隣には折れてしまった台車の車軸。どうやら重い鉄鍋を載せたまま石畳の段差に乗り上げ、バランスを崩したらしい。
「お怪我はございませんか?」
そう声をかけると、青年はハッと顔を上げた。
「えっ……いえ、大丈夫です! でも、今夜のスープ、もう作れそうにありません……せっかくの夜市なのに……」
広場の隅では仕込みを楽しみにしていたらしい人々が、気まずそうにして遠巻きにこちらを見ている。
「材料は? まだ残っていますか?」
「えっと……予備の干し肉と、芋、香草はあります。でも、鍋が……」
私は一瞬だけ考え、それから口を開いた。
「でしたら少しだけ、お手伝いをさせていただけますか?」
馬車へと向かい、後方の収納棚を開ける。
取り出したのは、MIKAN WORKS謹製の『ツインポット・クックセット』。軽量でありながら熱伝導に優れ、強度も抜群。
二口の鍋が交互に使える仕様で、旅先の料理には欠かせない名品だ。
「……これ、結構使えますのよ」
そう言って差し出すと、青年は目を丸くした。
「MIKAN WORKS!? まさか、こんな上等な品を……」
私は小さく微笑んで、袖をまくった。
恐縮する青年とともに鍋に水を張り、芋を刻んで投入。干し肉は細かく裂いて炒めてから、香草と共に煮込む。
私の手元では、MIKAN WORKSの『ウィンドシールド・ストーブ』が風よけを張りつつ、安定した炎を供給していた。
「こ、こんなに早く火が通るなんて……! 俺、普段の半分の時間で仕込みできたかも……!」
彼が驚くのも無理はない。このストーブは風魔石と特殊な燃焼板によって、屋外でも火力が落ちないのが特長なのだ。
やがて、芋と肉の旨味が溶け合い、香草の爽やかさが鼻先をくすぐるスープが出来上がる。
「さあ、召し上がれ。今夜の最初のお客様に、どうぞ」
そう言って、通りすがりの親子連れに試食を手渡すと、母親の目がぱっと輝いた。
「……うわ、おいしい! ほっこりするのに、後味がさっぱりしてて……!」
「もっと飲みたい〜!」
子どもの声に、周囲から笑いがこぼれた。
やがて、最初は不安げだった客達が少しずつ戻り、屋台には再び列が出来はじめる。
「ありがとうございました! 本当に……何と言ったらいいか……」
「いえ。私はただ、『美味しいもの』が好きなだけですわ」
私はそう答えて、彼の差し出した小さな器に、出来たてのスープを注いでもらった。
「うぅーん……非常に美味ですわ」
舌の上でじんわりと広がる優しい味。旅先でしか味わえない、人の手と心の温かさが詰まっていた。
月明かりの下、湯気の立つスープを手にしたまま、私はふと空を仰ぐ。
(……今夜の出来事も、きっと、忘れられない旅の一ページになりますわね)