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3. さよならのハーブティーはいつもと違ったお味


 朝靄の中、私はMIKAN WORKS謹製の小型コッヘルセットでお湯を沸かしていた。


 このモデルは『エブリモーニング・セット』と呼ばれ、旅先での簡易朝食のために設計された軽量調理器具。

 火炉と一体型になっていて、湯の沸く速さと静音性は折り紙付き。何より、収納時には手のひらサイズにまで収まるのが魅力だった。


 沸騰した湯を注ぎ、ブレンドハーブを入れたマグに香りが立つ。ほんのりとレモンとシナモンの風味が混じったその香りは、眠気を静かに追い払ってくれた。


 焚き火の残り火にかけた小鍋では、昨夜のスープの残りに柔らかいパンを浸して、リゾット風にしている。

 刻んだ野菜の甘みがブイヨンに溶け出し、干し肉から出た旨味が柔らかなパンに染みていく。


「……ふふ、朝から少し贅沢ですわね」


 馬車の近く、少し離れた木の根元には寝袋の痕。あの不思議な青年、ロアさんが眠っていた場所だ。

 野営に慣れているようでいて、必要以上には近付いてこなかった彼の距離感は、不思議と心地良かった。


 そんなことを思っていたところへ、軽く背伸びをしながらロアさんが戻ってきた。


「ミコト。俺はこれから山道の調査に向かうよ。君は……このまま街道を?」

「ええ。もう少し先にある街で食材を補充したいので」


 私は頷いてから、温かいハーブティーのカップを差し出した。


「お別れの前に、一杯いかが? 朝の香りは、旅人にとってささやかな贅沢ですわよ」


 ロアさんは「いただくよ」と笑い、カップを受け取った。その手元を見れば、小さな傷跡や硬そうな剣ダコがあり、やはり旅慣れているのだなと分かる。


 ──ロアさんはどうして一人で旅をしているのかしら?


 そんな疑問は胸にしまったまま、私は馬車の脇へと歩く。

 そこに、白い馬が一頭。優雅な毛並みを風に揺らしながら、のんびりと草を噛んでいた。


「この子が、私の旅の相棒。名前はミルクターボですの」

「……ミルクターボ?」


 ロアさんが目をしばたたかせたのも無理はない。


「父が名付けましたの。故郷では『競馬』とかいう、馬の脚の速さを競う賭け事が人気だったそうで、どうしてもそれらしく名付けたかったのですって」


 私は苦笑しながらミルクターボのたてがみを撫でた。


「でも、この子、なかなか根性がありますのよ。走る時は、ほんとうに風のようですの」


 そう語る私の手を、ミルクターボは鼻先で優しく押し返してくる。人懐こくて、頼れる旅の相棒――彼の存在は、旅の安心そのものだ。


 ロアさんはしばらく馬を見てから、ふっと小さく笑った。


「……いい名前だ。印象に残るし、案外忘れられない」

「でしょう? 元は異国人のお父様のセンス、なかなか侮れませんのよ。さぁ、朝の終わりには、ひとさじの香りの魔法を……」


 私はそう言いながら、食後に取り出したもう一品――『アースリーフ・スパイスミル』でミントを挽き、最後のハーブティーにひと振り。


 小型ながら香りの立ちが非常に良くて、旅先のどんなハーブも一級品のように仕上げてくれる、MIKAN WORKSの隠れた名品である。


 ミントの爽やかな香りとともに、朝の空気が深く澄んでいく。


「それじゃ、ミコト。またどこかで」

「ええ。お気をつけて、ロアさん」


 手を振ると、ロアさんは振り返らずに歩き出した。その背が森の木立に紛れるまで、私はしばらくその姿を見つめていた。


(旅人でしたら……きっと、またどこかで会えますわよね)


 ミルクターボの鼻先を軽く叩いてから、私は言った。


「それでは参りましょう、ミルクターボ」

 

 私がそう声をかけると、彼は一度だけ前足を踏み鳴らし、静かに馬車を引き始めた。蹄が草を踏む音が、朝の静寂に優しく響いていく。


 私とミルクターボと、MIKAN WORKSの旅馬車。三つの影が、街道の先へと伸びていく――そんな爽やかな朝だった。

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