24. 湯の街エルクと、琥珀の目を持つ湯守
グランデルへ向かう途中、寄り道をすることにした私達。忌々しい貼り紙については近々対処することにして、私は寄り道先での目的である、大好きな『アレ』のことばかり考えていた。
「もうすぐ到着ですわね」
「一体どんな街なんだろうな」
私の目的は古から旅人を癒してきたあたたかな湯。そこは湯治の場として有名で、豊富に湧き出る湯には様々な効能があるという。
そこは、遠方からもその湯の恩恵を授かりに多くの人が集まる温泉街。私とロアさんは赤い丸を付けた地図を広げ、二人して窓の外を眺めていた。
「さあ、楽しみですわね」
私の独り言のような小さな言葉にも、隣にすわるロアさんはこくりと頷いてくれる。
たったそれだけで、不思議と勇気が湧いてくる気がした。
やがて王都とは全く違う、エキゾチックな街並みが見えてくる。通りの左右に見える建物の多くは白い塗り壁と濃い茶色の木材がふんだんに使われ、灰色の立派な瓦屋根が特徴的だ。
この街の住人らしき人々の衣服は異国情緒漂う不思議な形をしていて、私もロアさんも初めて見る街の雰囲気に思わず言葉を失ってしまう。
「不思議な街ですわね。あんなにも美しい黒髪を持つ人々がこんなにたくさんいるなんて……」
「確かに。この国じゃ混じり気のない黒髪は珍しい上に、顔つきもどこか異国の血を感じるな」
「素敵……」
ふと、お父様に会いたくなった。お父様は混じり気のない黒髪で、この国では珍しくて目立つけれど、日本では当たり前の光景だったと話してくれていたのを思い出す。
(お父様があの街並みに立っていたら、自然に溶け込んでしまいそう)
そう思っただけで、少し胸が温かくなった。
私達がこのエルク温泉街を訪れることにしたのは、グランデルに向かう途中で一番栄えていて、大層賑やかな街だと聞いたからだ。
人の往来が多い街にはきっと、元婚約者が貼り紙や人を使って捜索網を張ってあるはず。敢えてその場所で私を見つけさせ、元婚約者とのしがらみをきっぱり断ち切るつもりだった。
「おかしいな。何だか街の中心に向かうにつれ、段々と寂れてきてるような気がする」
道中の賑わいとは裏腹に、温泉街の中心部は妙に静まり返っていた。
営業している宿も半数ほど、通りには『臨時休業』の札が目立つ。街の入り口と比べて人影はまばらで、確かにロアさんの言葉には頷けた。
けれども、少しだけ開けた馬車の窓から入り込む空気には、確かに湯煙の気配が漂っている。
「妙だな。温泉らしき匂いはしっかりとあるのに……街全体にどこか元気がない」
「臨時休業の温泉宿が多いということは……もしかするとお湯の供給に何か問題があったのかも知れませんわね」
宿が集まる通りには広々とした馬車止めがあるけれど、そこに停まる馬車は数える程度。
私とロアさんは馬車を降り、ミルクターボを撫でて水をやってから街を歩くことにした。
「何があったのか、誰かに話を聞けたらいいけど」
「ええ、そうですわね。……あら……?」
ロアさんの言葉に相槌を打っていた私は、ふと目に留まった掲示板に足を止めた。
そこにはいくつかの旅の依頼や求人広告が並んでいたが、その中に一枚、既視感を覚える張り紙があったのだ。
『行方不明の令嬢を捜索中――名はミコト・ド・エストレーリャ。目撃情報に報奨金を支給』
私の様子に気付いたロアさんも掲示板を覗き込んで、肩をひくつかせる。
「……またか。しかしこの街に来て正解だったってわけだ」
「ええ、ここまでは想定内というところですわね。ただ、これほど街が寂れてしまっていては、当初考えていた計画通りにはいかないかも知れません」
思わず深いため息をついていると、不意に背後から静かな声が届いた。
「その紙、ひどく不穏ですよねぇ」
尖りを帯びた声に振り返ると、物静かな中年男性が立っていた。襟元の重なりが印象的な、ゆったりとした一枚仕立ての衣。
まるで布を折り紙のように重ねた、東方の衣装に似た作りのものに作業着を羽織ったその姿は、どこか職人めいていて、琥珀色の瞳がこちらを静かに見据えている。
「ああ、突然話し掛けてすみません。僕はこの温泉街の湯守総代、カイ・サギリと申します」
カイ・サギリと名乗った男性は恐らく年齢は四十代ほど。浅い皺が眦に浮かび、そこから向けられる真っ直ぐな眼差しには、私達に対する敵意や悪意は感じられない。
湯守総代というのはきっと、この温泉街を束ねる人物のことなのだろうという見当は付いた。
「カイ・サギリ様、ですか。私は……」
ついついいつものように名乗ろうとして、貼り紙の存在を思い出し口籠もる。するとロアさんが一歩前に出て私を隠すようにし、人懐っこい笑顔で話し掛けた。
「カイさん。俺の名前はロアと言います。俺達二人は気ままな旅の途中で、温泉ってやつを初めて見に来たんだけど、臨時休業の宿が多いみたいでどうしたのかなって思ってたんですよ。何かあったんですか?」
ロアさんは私の名前を告げずに、話をそらせることにしたようだ。
こういう時のロアさんは本当に自然に相手の警戒を解くことが出来る。実際に琥珀の瞳を持つ男性も、ロアさんの言葉ににっこりと笑い、両手を胸の前でパチンと合わせるように叩いて答えた。
「ああ、お二人は夫婦で、王都で今流行りの『新婚旅行』か何かかな?」
「そ、そ、そ、そんな……っ! 新婚旅行だなんて! 私達は夫婦なんかじゃございませんわっ!」
せっかくロアさんが上手くやってくれたのに、私は思わずロアさんの背中から飛び出し、ブンブンと首を振りながら大きな声で否定してしまった。
ロアさんはそんな私の様子を見て余程呆れてしまったのか、眉をハの字にして肩を落とす。
「ぷっ! はははは! 本当に、見た目だけじゃなくて中身も可愛らしいお嬢さんだね。そりゃあ『彼』が血眼になって探したくなるほど魅力的な女性なわけだ」
その言葉に、私を守るようにしてロアさんが立ちはだかる。急に辺りの空気が冷たくなった気がした。
「おっと、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。僕はこの街を守る湯守総代。僕にとって大切なこの街で、よからぬ目的の為に人探しをする者を歓迎する理由はありませんから。この貼り紙も、見つけ次第いつも剥がしていたんです」
琥珀色の眼差しを持つ男性の言葉は、どうにも嘘をついているようには思えない。
やはり貼り紙に描かれた似顔絵のせいか、カイ様は私がミコト・ド・エストレーリャだと分かっているようだ。それに先程の口ぶりからして、元婚約者であるアレクシス様の事も知っているように思える。
一気に視線を鋭くさせたロアさんは、すぐにでも剣を抜けるよう身体を硬くした。
私は足を踏み出し、ロアさんの隣に立つようにして語りかける。
「……カイ様は……私や、この貼り紙をした人物の事情を何かご存じですの?」
私が問うと、カイ様ほんの少し眉をひそめた。けれど、はっきりと私達の方を見据えたまま、こくりと頷く。
「ええ。あなたがその貼り紙の、ミコト・ド・エストレーリャ嬢ですね。『王都エルディアの守り神』の一人娘で、アレクシス・フォン・ヴァルトハイム伯爵令息の元婚約者の」
一瞬、背筋が冷たくなる感覚を覚えた。旅に出てからというもの、私の出自を正確に知っている人に会うのは久しぶりだったから。
「まさに、その通りですわ」
「お会いできて光栄です。革新的な技術で王国を盛り立てているMIKAN WORKSの製品は、僕も随分前から愛用していまして。お父上には王都で何度かお会いした事もあるんです」
「お父様に?」
幸いだったのは、彼の言い方に悪意も詮索もないこと。ただ、事実の確認というだけの声音だ。
「はい。僕は元々王都で技術庁に在籍していたことがありました。お父上とはその縁で。そして当時、我々のような技術者も時々社交界にも招かれていました。その際にあなたの元婚約者の噂話や素行の悪さを、度々見聞きしましてね」
ミコト・ド・エストレーリャについて事情を、彼はどうやらある程度把握しているらしい。
「その紙を貼って回っているのは、あの『元婚約者殿』の意向ですか?」
「おそらく。見つけ出して、また自分の傍に飾り置こうとでも考えているのでしょう」
「……やれやれ。ああいう手合いは、個人の意思などお構いなしですからね。本当に……身勝手な」
どこか皮肉を含んだ口ぶりに、私は思わず微笑んだ。
「あなたもアレクシス様のこと、お嫌いですのね?」
「はい。私自身も、ですが……彼のせいで不快な思いをした知人がおりますので」
その目が、確かに私の中の何かに寄り添ってくれるように感じた。
この人は大丈夫、信頼してもいいのだと確信出来る。
その後、話題は自然と温泉街の現状へと移っていった。
実は今、温泉街の心臓部である『湯圧ポンプ』が故障しており、それを修理するための特殊な部品が手に入らず、多くの宿が営業を休止しているとのことだった。
「温泉の汲み上げ装置の故障……ですか」
私はその言葉に小さく眉を動かした。少し前にロアさんと交わした雑談を思い出す。
「はい。元々温泉の汲み上げ装置は私が整備を担っています。ですが、ある部品だけは王都の専門鍛冶でしか作れず……」
そう語るカイさんの横顔は、どこか悔しげだった。その表情は、本当にこの街を大切に思っているからこそなのだろう。
「あの、少しだけここで待っていてくださいまし」
私はそっとロアさんと目を合わせ、頷き合ってから早足で旅馬車へと戻る。
そしてカイさんの前に取り出したのは――MIKAN WORKS製、『魔導水圧ポンプ補助具』。手のひらサイズで、魔力を注げば圧縮した水流を送り出す『持ち歩けるポンプ』だ
本来は山岳地帯の水源用具だが、応用すれば十分に温泉汲み上げ装置の代替部品となる。
実はここに着く少し前、ロアさんと『ポータブル湯処セット』に使う湯を温泉に出来ないかと話していたところだった。
そして早速地下に温泉が豊富に湧いているというこの街の近くで馬車を停め、その辺を適当に掘ってみたものの、案の定そう都合よく温泉を掘り当てられるわけもなく、ロアさんと二人して肩を落としたのだ。
その際、温泉を汲み出すのに使うつもりだったのがこの道具だった。
「これを使ってみませんこと?」
「え?」
「私とロアさんの絵空事、是非とも実現させてくださいまし」
にっこりと笑う私に、カイさんは戸惑いつつもその瞳に希望を滲ませる。
そうして始まったのは、私達三人の湯路を辿る共同作業だった。




