21. 父子との出会い、ロアの秘密(ロアside)
まだ朝靄が残る森の入り口で、ミコトに貰った展開式寝袋に包まれて眠っていた俺はふと目を覚ます。
MIKAN WORKS特製の不思議な寝袋はたった一晩の眠りで身体を回復させ、信じられないくらい目覚めが良い。
「ミコトと出会ってから……毎日安眠してるな」
あの日から毎夜のごとく悪夢に悩まされ、まともに朝までぐっすりと眠りにつけた試しがなかった。
それがミコトと出会い、旅を続けるうちによく眠れるようになったのだから不思議だ。
「ん……?」
鼻をスン、と鳴らす。湿った空気の中に微かに混じる鉄の匂い。風が草を揺らし、遠くで小さく何かが鳴いた気がした。鳥か、あるいは――
「……声、か?」
ほんの一瞬、耳に届いたのは低く掠れた叫び。かつて一年のほとんどを戦場に身を置いていた俺には分かる。あれは『本気で絶望した時の声』だ。
起き上がり、すぐさま腰の剣に軽く手を添え、俺は音のした方角へ駆けた。
ミコトが起きるのはまだ少し後だろう。心配させるのは忍びない。何も告げずに一人で駆けたのは、彼女を危険から守る為でもあった。
辿り着いた森の奥。数本の巨木に囲まれた空間で、二人の人影が魔物に囲まれていた。
剣を振るって応戦しているのは、年の頃が三十代後半から四十前後の男。体幹がぶれず、刃筋もまっすぐ――ただ、下半身を庇っている。よく見れば、ふくらはぎからおびただしい量の血が流れていた。
「脚をやられたのか」
その背後、彼の腰に縋り付くようにしているのは、十五、六歳くらいの眼鏡を掛けた少年。敵と戦えるような剣は持っていない。震える手にはよく研ぎ澄まされた短剣を握っている。
親子を囲んでいるのは人と同じくらいの大きさの三体の牙獣。森に棲む下級魔物だが、油断すれば骨まで喰われる。
しかし既に四体の牙獣の屍が、近くで無造作に転がっていた。
「こっちへ下がれ!」
俺は叫びと同時に一歩踏み込み、最も大きな個体の懐に飛び込む。
「うぉぉぉらぁぁ……ッ!」
腰の剣を抜きざま、斜めに払った一撃で牙獣の首筋を断ち、そのまま回転して二体目の足を斬り落とす。
――ギャァンッ!
耳をつんざくかのような醜い鳴き声を上げ、反撃に飛びかかってきた最後の一体は、地を蹴ってかわした後、背に刃を走らせて沈黙させた。
辺りに静寂が戻った頃、合わせて七体の牙獣達は全て地に伏していた。鉄錆のような血の匂いがむわりと鼻をつく。
俺にとってみれば慣れ親しんだ匂いとも言えるが、いつになっても好きにはなれるはずはなかった。
「はは……すごいな。皆あっという間にやっつけちまった。しかし息子の前で自分より若い青年に助けられるなんて、立場がないな」
剣を納めた俺に向かって、無精髭を生やした男がゆっくりと口を開いた。
頭を掻きながらそう軽口を叩く男だが、恐らくはそれなりに腕があるのだと分かる。
牙獣を四体、しかも子どもを守りながら倒したとすれば、なかなかの実力だ。
「アンタも強いだろ。その怪我だけで、四体も倒してるんだからな」
ふくらはぎの傷は牙獣に噛み付かれたのだろう。牙に毒は無いが、顎の力は強い。痛みは相当のはずだ。
「ははは……そう言って貰えると息子の手前メンツを守れるよ。合わせて礼を言う。おかげで命拾いした」
「無事で良かった。あんたら、何者だ?」
俺が顎をしゃくって尋ねると、色黒の肌をした男は背中に隠していた息子を前にして名乗りをあげる。
眼鏡を掛けた息子は、唇を真っ青にしてガクガクと震えていた。
「俺はラグス。元傭兵だ。今はこの通り、十五歳になったばかりの息子と二人旅をしてる。少し前に……妻が病で亡くなってな。傭兵稼業は卒業だ。今はこいつの母親の生まれ故郷を目指してる途中で、ちょっと油断したら森で道に迷った。ほら、ジャン」
ラグスが息子の肩を叩く。体格の良いラグスが軽く小突いただけで、華奢な息子は身体をよろけさせた。
「助けていただいて、ありがとうございました……僕は……ジャンと言います」
「ラグスとジャンか。森の入り口辺りで野営していたんだが、たまたま声が聞こえて、飛んで来て良かったよ」
ジャンは母親似なのか、男らしい顔立ちのラグスには全く似ていない。肌が白く、痩せ型だった。
唯一ラグスと同じ色の瞳をした眼差しも、年齢の割にまだ幼く、未だ不安と恐怖に揺れていた。
「ジャンが怖がって大騒ぎしてたからな。おかげで助かったわけだが……それにしても、あんた強いな。それに……ちょっと気になってたんだが、一つ聞いてもいいか?」
ラグスがじっと俺を見据えた。森の木々が溶け込んだような、深い緑色の瞳には何が見えているのか。
「その構え、剣捌き……ヴェルディクの剣じゃないか?」
一瞬、風が止んだ気がした。それなのに、辺りに充満した血の匂いが一層強まる。
「……知ってるのか?」
「ああ。俺は昔、戦場であの人を……辺境伯を見たことがある。見た目通り豪快な人だ。強くて、恐ろしくて、けれど信頼できる。アンタの剣はまさにそれと同じ――『辺境の戦神ヴェルディク』のものだ。それに、辺境伯には行方知れずの息子がいるはず。もしかしてアンタがその……」
俺はしばらく何も言えなかった。だが、やがて静かに言葉を返す。
「……ロアン……。俺の名は、ロアン・ヴェルディク・クローディアス」
ラグスの目が驚きに見開かれる。辺境を離れてから、これまで誰にも告げなかった真名を、まさかここで口にするとは思いもよらなかった。
だがこの親子を見ていると、何故か養父との懐かしい記憶が蘇る。そしてあの人の事を聞いて動揺したのか、つい口を滑らせてしまった。
「ロアン・ヴェルディク・クローディアス。アンタが……? そうか、やはりな」
「悪いが俺と出会った事も、本当の名前も黙っててくれ。今はただの冒険者ロアだ。今は辺境に戻れない。それに、誰にも……過去を知られたくない」
黙っていてくれるだろうか。今更後悔したって遅いが、本当の名を名乗るつもりなど無かった。死んだはずの男がここに存在していると、誰にも知られてはならなかったのに。
しばしの沈黙の後、ラグスは大きく頷いた。
「分かった。命を助けられた恩もある。俺も息子も、誰にも話さないと誓う」
再びラグスがジャンの肩を叩く。父親の隣に立つジャンが、コクコクと頷いた。
「助かる」
「良いってことよ。命の恩人だからな、アンタは」
ラグスは無精髭に包まれた口元に笑みを浮かべ、ジャンは父親の様子を見てから、またコクコクと頷いている。
「簡単に傷の手当てをしたら、森の入り口で待ってるミコトのところへ案内しよう。もう少ししたら俺達は馬車で出発するつもりだが、食事くらいは振る舞えるはずだ」
「ミ……ミー……ミーコ?」
ああ、そうだった。ミコトの名前は遠い異国の発音で、多くの人は『ミーコ』と聞こえたり、口にしてしまう。
そう言ってミコトは笑ってたな、と思い出すと、やけに早く野営地に戻りたくなった。
「俺の……今の旅の相棒さ。美味いスープを作る天才だ」
「そりゃあ楽しみだ! な、ジャン」
父子は顔を見合わせて、明るく笑った。いつの間にか登った朝日に照らされたその姿がやけに眩しく、視界が一瞬じんわりと滲むようにしてぼやける。
(親父……か)
「ラグス、あんたみたいな親父がいるなら、息子はどんな道でも胸を張って歩けるだろうよ」
それは、かつて養父に言って欲しかった言葉でもあったのかもしれない。
牙獣たちの死骸を遠ざけ、ラグスの傷を改めて確認する。ふくらはぎの深い裂傷は、布で巻いてはいたがすでに血が滲みきっていた。
「すまんな。見苦しいとこを」
「動くな。少し沁みるぞ」
常に身に付けている腰のポーチから、ミコトに整えてもらった応急処置用の小瓶を取り出す。
消毒用の薬草液と、傷口を塞ぐ魔導布。火傷にも深い傷にも効く、淡く青い軟膏を指先にとり、慎重に塗り込んでいく。
「……随分手慣れてるんだな、アンタ」
「戦場育ちだ。傭兵だったラグスだって知ってるだろうが、誰かが倒れても、戦場にすぐ癒し手が来るとは限らないからな」
ラグスが微かに息を漏らした。沁みたのだろう。だが声に出すこともなく、黙って堪える。
「……俺の息子は……傭兵になりたいって言ってる」
「ジャンが?」
治療する俺にポツリと零したラグスの言葉。近くにいてじっと治療の様子を見ていたジャンが、ここに来て初めてはっきりと物を言う。
「父さんは反対なんですよ。僕には頭があるから、学者になった方がいいって……」
「そんなの当たり前だろ。俺みたいに頭が悪い男ならいざ知らず、お前は母さんに似て頭が良い。傭兵稼業なんざ、似合わねえよ」
「父さん、僕の未来を勝手に決めないでよ」
ジャンが今度は少し控えめに口を挟んだ。だがその目は、先ほどより強くなっている。
「……っ、お前なぁ! まだそんな事言ってんのか!」
「別に良いでしょ。僕のことは僕が決める。だってもう十五歳なんだから」
「もう十五歳ったって、まだ十五だろうが! さっきだって震えてた癖に、戦場に立つなんざ無理だ!」
俺は二人のやり取りを黙って聞きながら軟膏を塗り込む。そして、ふと白んできた空を仰いだ。
「……俺も、昔はジャンみたいに自分が何でも出来るって考えてたよ。誰かの背中に憧れて……な。早く大人になりたいって、もう大人だって言っては、無理ばっかりして親父を心配させて。親父と喧嘩ばっかりしてたな」
「ロア……さんも?」
ふうふうと鼻息を荒くするラグスから視線を外し、こちらを向いたジャンの真っ直ぐな問いに、思わずふっと笑みが浮かぶ。
朝の光が、葉の隙間から零れてジャンの頬に落ちていた。
「ああ、自分では大人のつもりでも、親父からすれば頼りないガキだったんだろうな。いつまでも子ども扱いで、それが俺にとっちゃあ鬱陶しくて堪らなくて」
俺の言葉にジャンは何事か思うところがあったのか、俯いて黙ってしまう。反対に、静かに話を聞いていたラグスが目を細め、無言のまま頷いた。
「親ってのはな……自分の知ってる『痛み』を、子どもに味あわせたくないだけなんだ。だからつい過保護になっちまう。でも……結局それを乗り越えられるかどうかってのは、子ども次第なんだよな」
まるで親父に言われているような気がした。まあ、少なくとも親父はこんな風に素直に自分の想いを口にする性格じゃないんだが。
「全く、親ってのはいつまでも心配がつきねぇよ」
ラグスの言葉に苦笑で返した俺は、最後の包帯を巻き終えながら、黙りこくったジャンの手元を見た。
鞘に収められた短剣を握る指は、もう震えていない。
「……父さん」
俺の目の前で、親子は短い時間目線を合わせると、どちらともなく手を差し伸べた。
手当ての為に座り込んだラグスを、ジャンが起こす。
「よっと!」
体格が良いラグスが掛け声と共に起き上がる。引っ張ったはずみに細身のジャンの身体がよろけた。
二人は並んで立つと、揃って俺の方へ向かって頷いて見せる。
「よし、それじゃあミコトのところへ案内するよ。皆で美味いスープを食おう」




