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16. 懐かしい場所、お接待の心


 パブロさんに促され、私たちはルミナス支部の中へと足を踏み入れた。


「ほれほれ、案内ついでに腹ごしらえでもするかの! ちょうど今日のまかないは、ワシの十八番(おはこ)じゃ!」

「えっ、パブロさんが料理をなさるんですの?」

「ふっふっふっ、見くびるでない。ワシはな、かつて『飯も作れる職人支部長』として界隈じゃ名を馳せた男じゃぞ? 『パブロのまかないが恋しくて支部を離れられん』言うて辞めんかった奴もおったくらいじゃ! ほれ、こっちじゃ!」


 元気よく歩く背中を追いながら、私はこっそり笑みを浮かべた。


(本当に……昔と変わらない、あったかい人……)


 通されたのは、支部の奥にある共有食堂。ここは支部の人間だけでなく、旅人も気軽に立ち寄れる場所。


 木の温もりを感じる長いテーブルと、無骨な椅子。石造りの大きな竈のある厨房は、どこもかしこも、私が幼い頃に見たままの風景だった。


「この感じ、懐かしいですわ……」

「ほれ、座っておれ。兄ちゃんもじゃ。ここは旅人も職人も関係ない、『お接待』の場所じゃからな!」


 私とロアさんは促されるままに席につく。すると、奥から「しゅうしゅう」「ぐつぐつ」と音を立てながら鍋が煮立つ香ばしい匂いが漂ってきた。


「……いい匂いだな」


 鼻をクンクンとさせ、ロアさんがぽつりと漏らした言葉に、私も笑顔でこくりと頷く。


「今日は野菜と肉のスープ煮込みと、黒麦パンじゃ。あと、ミコトの好きなものも……ほれっ、出たぞい!」

 

 パブロさんが得意満面で運んできたのは、幼い頃からの私の大好物――干し葡萄入りのバター焼きパンだった。


「まあっ、これ……!」

「覚えとるとも。昔、台所でこれを食うて、口の周りをバターでべたべたにしとったミコトの顔、今も忘れられんわい!」

「そ、それは……っ、随分と子どもの頃の話ですわ!」


 耳まで赤くなって抗議する私に、パブロさんは「ひゃっひゃっひゃ!」と笑って席に着いた。

 

 食卓に並ぶ、懐かしくて温かい味。いつもそれなりによく食べるロアさんも、今日はそれ以上に驚くほど食べ、そしてほんのりと笑ってくれた。


「……なんか、不思議だな」

「何がです?」

「この支部って、初めて来たのに……居心地がいい。飯も空気も、やけに馴染んでくるっていうか」

「それは、きっと『つくった人の想い』が、この場所に残っているからですわ。お父様もパブロさんも、ここをただの工房ではなく、『疲れてひと休みしたいと思っている誰かの居場所』にしたいと思って建てたんですもの」

「ひと休みする……場所、か」


 ロアさんはその言葉を噛み締めるように口にした。

 

「ええ。お父様が言うには、『お接待』というそうです。日本という国のとある地域では、古くから旅人が八十八ケ所の寺院を巡る旅があるのですって。その旅の途中、旅人はその地域の方々から食事や寝床などを無償で提供していただける文化があるそうです」

「はぁぁぁ……それはすごいな」

「見返りを期待せず、ただ巡礼する旅人への応援の気持ちで親切にする。そのお陰で、どんな貧しい人でも巡礼を続けられたそうですわ」

 

 ロアさんは一瞬、私の方を見て、それからすぐに視線を落としてスプーンを動かした。


「……そっか。あんたも、そういう想いを受け継いでるんだな。自分の持ってるものを遠慮なく差し出せる、そういう人間だから」


 小さく呟いたその言葉が、私の胸にじんわりと染み込んだ。

 私の旅は、きっとお父様の歩んだ道の延長線上にある。そう感じられるのが、今は少しだけ誇らしい。


 食事の後、パブロさんは「腹が満ちたら、次は目のご馳走じゃ!」と大きな声で言いながら、私達を支部の奥へと案内してくれた。


 向かった先は、かつてお父様とパブロさんが一緒に汗を流したという工作工房だった。


「懐かしい……」


 扉を開けると、木と鉄と革の匂いが混じり合った、どこか安心する空気が私を包み込む。


 大きな作業台には使い込まれた道具たちが整然と並べられ、壁の棚には設計図や素材のサンプルが保管されている。

 窓際には今も現役らしい旋盤機や仕上げ台が並び、かつてお父様とパブロさんが並んで何かを作っていた姿が目に浮かぶようだった。


「ここが、MIKAN WORKSの最初の製品が生まれた場所ですのよ。今や高級ブランドだなんて言われておりますけれど、始まりは旅人を想って作られた手作りの寝袋一つだったのですわ」

「寝袋……?」

「ええ。『よく眠れれば、命を守れる』。そうお父様は仰っていましたの。便利さも、快適さも、全ては『生き延びる為の道具』であれと。だから今でも、商品設計の最優先事項は『安全性と持続性』ですわ」

「へぇ……道具に哲学があるんだな。だから無駄がないのか」


 ロアさんは作業台の上に置かれた一冊の古いスケッチブックに目を留めた。

 そこには、鉛筆の走り書きで描かれた無数の設計案が並び、ページの隅には『試作1号』『炎耐性未確認』『寝汗試験中』などのメモが手書きで記されている。


「これ……お父様の字だわ」


 思わず呟いた私の手が、スケッチブックの紙をそっと撫でる。


「ここには、お父様が考え抜いた『未発表の原型』もいくつか残されているのですのよ。中にはこの世界ではあまりに先進的で……まだ誰も扱えないと判断されたものもございます」

「……それってつまり、まだ見ぬ『未来の道具』が眠ってるってことか」


 ロアさんの言葉に私は頷き、小さく微笑んだ。


「ええ。でも、きっといつかは必要になる。だからこそ、ここは大切な場所なのですわ。『過去の情熱』と『未来の可能性』、どちらも眠っていますから」


 パブロさんが「むふーっ」と鼻を鳴らして言った。


「その通り! 道具ってのは、ただの物じゃあない。『誰かが誰かのためを想って作った』っていう、目に見えんもんが詰まっとる。そりゃあ、鍋の取っ手ひとつだって、人生変える力を持っとるんじゃ!」

「取っ手?」


 黙って話を聞いていた私の隣で、ロアさんが不思議そうに尋ねると、パブロさんは鼻息荒く答える。


「そうじゃとも! 熱くなりにくい『魔導断熱グリップ』を開発したときは、もうワシ感動で泣いたわい! あれがなけりゃ、今ごろ手を火傷しとる職人が何人おることか!」


 パブロさんは「ふんごふんご!」と鼻息荒く胸を張りながら言う。


「ふふ……確かに。職人の手は何より大切ですものね」


 そんな会話の余韻がひと段落したころ、私はふと手元の鞄に目をやった。


「そういえば……」


 思い出したように小さく呟き、私は鞄のポケットから瓶の蓋を取り出した。裏返して、パブロさんに手渡す。


「パブロさん。実は、この銀糸タグについてご意見を伺いたかったのです」

「ほう? どれどれ……ほぉおう……これは……」


 手渡した蓋の裏側にあるタグを指先で触りながら、パブロさんの目が真剣なものへと変わっていく。


「この銀糸の織り方……表面処理の癖、こりゃ確かにMIKAN初期の試験流通タグに似とる。だが、どこか違う……繊維の撚りが甘いし、加工も雑じゃ。これは……粗悪な模倣かのぅ」

「やはり、そうでございましたか……」


 私は唇を引き結び、小さく頷いた。


「このタグは、市場で私が商人に勧められ、手に入れた瓶に仕込まれていたものでして。しかも……その瓶の中に入れられた香料が魔獣を引き寄せる香りを放っておりましたの」

「なにぃ!? そりゃ一大事じゃったのぅ」

「ええ。ロアさんのお陰で事なきを得ましたけれど。しかし、あまりにも出来過ぎだと思いませんか?」

「ミコトが誰か、その商人は分かっていて銀糸タグを仕込んだ香料を売った……ということかの?」


 パブロさんは腕を組み、眉間に深い皺を寄せる。


「私とロアさんはその可能性も考えています。どうしてもこの銀糸タグに、何か深いメッセージが込められているように思えてならないのです」

「その商人については? ミコトのことじゃ、すぐ調べてみたんじゃろ?」


 いつになく真面目な顔つきのパブロさんに、私は商人について分かっていることを話した。

 

「ネリズ商会……という名前が、何か引っかかるのです」

「ううううーん。聞いたことがあるような、ないような……なら、調べてみるかのう。ちょうど古い記録がまだ支部の道具庫の奥に眠っとる。そいつを見りゃ、ネリズの正体や、銀糸タグの出どころが少しは分かるかもしれん。よし、来いミコト、兄ちゃんもじゃ!」


 そう言ってパブロさんはどこか嬉しそうに、張り切った様子で私達を道具庫へと案内してくれる。

 道具庫のその奥に、私達が求める情報があればいいのだけれど……。


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