13. 仕掛けられた銀糸の謎
デルモナの市場での騒動から一夜明け、私達はまた魔獣を引き寄せてしまう可能性を考え、念の為に街外れの草原まで来ていた。
購入した香料瓶の封を慎重に開け、蓋の裏側をよく観察する。
「……これは、銀糸?」
太陽光に当てた蓋の内側には、肉眼ではほとんど見えないほど細い銀色の糸が織り込まれていた。
「それは何だ?」
ロアさんが怪訝そうに、私の手元を覗き込んだ。
「これは銀糸タグですわ。かつて父がMIKAN WORKSの新製品に偽造防止や流通追跡のために用いていたものですの。それを後にいくつかの商会が、父の技術提供を受けて取り入れるようになりましたの」
銀糸を編み込んだようなその模様を、私は繰り返し指でなぞっていた。
「……けれど、どうして今になって、こんな旧式のタグを?」
私の呟きに、ロアさんが眉を寄せた。
「旧式ってことは、今はもっと別の方法で管理してるんだよな?」
「ええ。今は主に魔術インクのコードや、魔導水晶の記録チップが使われておりますわ。開発はお父様、それに関しては技術提供をやめておりまして、MIKAN WORKSの正規品だけに使用されていますの」
お父様は転生前の記憶と技術をそういったものの開発に利用し、人々のより良い暮らしの為にMIKAN WORKSを発展させてきた。
「その魔術コードや記録チップは、具体的にどのように管理されているんだ?」
「専用の波長を照射すれば、製造元も流通経路もすぐに確認できますの。そのうえ……開封時には結界が解除されて、未開封状態には戻せない仕様ですのよ」
「じゃあ、そっちの技術が主流なのに、なぜわざわざ古いやつを?」
「……それこそが、この仕掛けの核心かもしれませんわ」
私は蓋の内側を改めて見つめながら、声を落とした。
「この銀糸タグは、かつて父が『開発段階での追跡用』に使っていたもの。正式には流通に乗らない、極めて限定された試験流通品にしか使われなかったはず……」
「つまり、その銀糸を仕込んだ奴は、MIKAN WORKS当時の内情を相当詳しく知ってるってことか」
「はい。そして……この手法を選んだということには、何か深い意図があるはずですわ」
私は瓶を革袋に戻し、ロアさんを見上げた。
「このタグの存在を知っている人物は限られています」
ロアさんは静かに頷いた。
「あのさ、前の街で偽物を流そうとしてた、リゼンって奴がいたろ? ああいう手口、あいつならやりかねないなって、何となく思ったんだけど」
「……ロアさん」
「だってMIKAN WORKSの製品は、一般人には真似することすら出来ないような仕組みのものばかりだろ。粗悪品とはいえ、素人が作れるとは思えない」
ふと息を呑み、けれど首を小さく振る。
「今はまだ断定できません。でも……この銀糸が何を意味するのか、そして偽物についても真実を突き止めてみせますわ」
「次は、その謎の手掛かり探しに行く番だな。俺も付き合う」
「ええ、頼もしい相棒さん。どうかお力をお貸しくださいましね」
荷物の整理を終えた後、私はふと、旅馬車の隅に据え付けた小型の収納棚を開いた。
そこに、お父様が書いた設計メモをそっくりそのまま写したノートが収められている。
そのうちの一節に、私は指先を止めた。
――『MIKAN WORKSの技術は、信頼できる相手にだけ提供すること。裏切られた時の苦さを、私はもう味わいたくない』
胸がじんわりと痛んだ。かつてのお父様は、優しすぎたのだ。
異世界という未知の土地に放り込まれても、お父様は元の世界と変わらぬ善意で人を信じた。『日本人』というのは元々親切で、他国からも称賛される民族だったらしい。
だからこそお父様は、惜しまず提供してきた。
寒さに凍える子どもを見ては、防寒結界を展開出来る布を。
伝令が届かず苦しむ村を見ては、魔力で遠距離通信が出来る道具を。
――けれどそれは、やがて領主や軍に目を付けられるようになり、軍事目的や悪用目的で利用されかけた。
あの優しくて愉快なお父様が、一度だけ悲しげな目をして言ったことがある。
――「人を守るはずの道具が、人を操ったり、傷付ける道具になるなんて……そんなの、嫌だろ? 悲しいよな」
だからこそお父様はある日を境に、最先端技術の一部を提供するのを封印した。
MIKAN WORKSは今でも旅人達に愛される道具を作り続けているけれど、そこには必ず、『人の為であること』という指針が守られている。
私はノートをそっと閉じた。
銀糸タグは――父がその信条を築く前に生まれた、過渡期の記憶のようなものなのかも知れない。
「今回のことはきっと、お父様の娘である私が、何も知らないままじゃいけないって……そう教えてくれたんだと思いますの」
呟く私に、ロアさんが静かに頷いた。
「だったらミコト、お前が見つけてやれ。そのタグが、何を追いかけていたのか」
私は再び革袋を手に取る。『キャンプ』を愛し、『MIKAN WORKS』を愛するお父様の想いを受け継いで、今度は私が前に進む番。
「……やってみせますわ」
ロアさんは私と目を合わせ、大きく頷いてくれた。
「手始めに香料瓶の仕入れ先を調べますわ。この街の商人組合の名簿、そして納品記録が残っていれば、そこに繋がりが見えるかもしれません」
「調査か……そういうのは俺、あんまり得意じゃないが」
ロアさんはわざとらしく肩をすくめてみせたが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「まあ、剣より静かに解決するのも、たまには悪くないか」
「ふふ、それが私らしい旅ですわ。さあ、次は何が見つかるか……楽しみですわね」
私は旅馬車の外に視線を向ける。新たな答えが待つ場所へ――この足で、確かめに行くのだ。
私はデルモナの商人組合を訪ねた。市場の管理記録や出店許可証の確認をお願いする為だ。
「失礼いたします。昨日の市場で購入した品に関して、少しお伺いしたいことがございますの」
受付の男性は、最初は少し訝しげに眉を上げたが、魔獣の出現騒ぎのことを口に出すと、ああ、と納得したように頷いた。
「昨日の……香料商か。確かに出店してた記録はありますよ。ただ……その出店は『仮設』でしてね。常設の店舗ではなく、当日の朝に申請されていたんです」
「仮設、ですの?」
「ええ。祭事や季節市などで一時的に開く仮出店には、通常より緩い登録条件が適用されます。本人確認と商品申告は一応してもらってるんですが……」
役人は、少し困ったように書類を捲る。
「やはり、ここにありますね。名前は『ネリズ商会』。ただしこの商会名は、以前にも別の都市で一度確認されていて……現在、実体の確認が難しい団体の一つです」
「ネリズ商会……」
私は役人から得た情報を馬車の中でロアさんに伝える。
「その……ネリズ……という名前はとても変わっているはずなのに、どこかで覚えがあるような気がしてならないのです」
「確かに、変わった響きだよな」
「ええ、そうなんです。決してありきたりではないはずなのに……どこで見聞きしたのか……」
あの時その名を見た瞬間、耳にした瞬間、胸の奥にどこか微かなざわめきが走った。
「どこだったかしら……うーん……胸の辺りがモヤモヤしますわ」
「あー、分かる。モヤモヤするよな」
激しく同意するロアさんを尻目に、私はしばらく「うーん」と唸りながら目を閉じて、ぶつぶつと「ネリズ」という単語を口にする。
記憶のどこか――
「あ……っ! 思い出しましたわ!」
そう、お父様の設計メモの中に、確かそんな名が記されていた気がする。そして私はその文字をそっくりそのままノートに書き写した。
(……確か……『ルミナス支部での試験タグ運用』という記述の傍に……)
はっきりとは思い出せない。だが、今こうしてふいにその記憶が蘇ったことが、偶然とは思えなかった。
慌ててノートを引っ張り出し、件の記述を探す。
「……! ありました! ロアさん! やはり次は『ルミナス』へ向かうべきですわ!」
興奮気味の私の言葉に、ロアさんは静かに頷いた。
「そっちで何か掴めるかもしれないんだな?」
「はい。お父様が『試験タグ』を使っていた時期に、あの街の支部で作業をしていた記録がありますの。その支部に今も古い帳簿か書類が残っていれば、何か分かるかもしれませんわ」
ミルクターボと共に、私達の馬車は柔らかく地面を踏みしめる音を立てながら、ルミナスという次の地へ向かって進み始める。
そこできっと会える、懐かしい人の顔を思い浮かべながら。