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12. 新しい街で、突然魔獣に襲われましたの


 いくつもの丘を越えた先に、風に揺れる赤い旗が見えた。


「あれが……市場街、デルモナですわね」


 私は旅馬車の窓から身を乗り出し、最後の小高い丘の上からその街を見下ろした。


 南の高地に広がるその街は、山と森に抱かれるようにして佇み、まるで緑の器に色とりどりの宝石を撒き散らしたような風景を作っていた。


 石造りの家々が斜面に寄り添うように立ち並び、木のバルコニーには花が咲き誇る。路地では人々が朝市の支度をしていた。


「随分と活気があるな」


 ロアさんが隣で呟く。馬車の天窓から差し込む陽光が、彼の栗色の髪を柔らかく照らしていた。


「ええ。季節ごとのハーブや保存瓶が並ぶ市場だと聞いております。珍しい調味料にも出会えるかもしれませんわ」

「旅人が集まる場所か……あんまり騒がしくなければいいが」

「ふふ、でも美味しいものが並ぶと、人は少しくらい浮かれてしまうものですわよ。私も、例外ではありませんわ」


 そう言って私は馬車をゆっくりと街道へと進ませた。

 MIKAN WORKS製の高性能サスペンション付き車輪は、石畳の振動をしっかりと吸収し、乗り心地はまるで絨毯の上を滑っているかのよう。


 街の入り口には、木製の看板が下がっていた。


 ――ようこそ、風香る市場の街・デルモナへ


 その下には、小さな野花を束ねたブーケが吊るされている。旅人を迎える、ささやかだけれどあたたかい心遣いだ。


 馬車を引くミルクターボも鼻を鳴らし、楽しげに足取りを軽くする。旅を重ねるうちに、彼もまたこうした土地の香りに敏感になってきたようだった。


「さて、ロアさん。今日は市場で珍しい保存瓶と、できればたくさんのハーブも探したいですわね」

「了解。俺はミコトが話してた男を探してみる」

「ええ。もしそれらしき怪しい人物を見かけても、そっと合図だけお願いしますわ……くれぐれも、剣は抜かずに」

「はいはい、お嬢様のご命令とあらば」


 軽口を交わしながら、私たちの馬車はゆっくりとデルモナの街へと入っていく


 市場街デルモナの中心には、色とりどりの布で飾られた露店が並び、朝の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 果物の甘い香りと、焼きたてパンの香ばしさが風に混じって流れてくる。


「まあ……素敵ですわね」


 私は帽子のつばを押さえながら、並んだ瓶の棚に目をやった。


 透明なガラス瓶に乾燥されたハーブの葉や、鮮やかなスパイスが詰められている。ラベンダー、カモミール、ローリエ、そして見たことのない赤紫の葉まで。


「この瓶、蓋の部分が特殊な構造ですわ。中の香りが逃げにくくなっているのかしら?」


 私は店に並ぶガラス瓶をそっと一つ手に取った。すると、隣にいた商人風の女性がにっこりと笑う。


「お目が高いねえ、お嬢さん。それはうちでも特に評判の品さ。香りが長持ちするよう、蓋に乾燥魔素を仕込んであるんだよ」

「まあ、魔素加工まで。素晴らしいですわ」

「保存食を入れてもいいし、塩や砂糖にもぴったりさ。見た目もいいし、贈り物にも使えるよ」

「では、こちらと……あと三つ、同じシリーズでいただけますか?」


 私が選んだ瓶を商人に渡すと、商人は「たくさん買ってくれたから、おまけでこれもあげよう」と変わった香料の入った瓶を分けてくれた。

 

 珍しい香料と聞いて、嬉しくなる。商人から私に瓶の入った袋を手渡されたところで、ロアさんが背後から現れてひょいと袋を持ってくれた。


「これは俺が。割らずに持ち帰るように気をつけるさ。それにしても……高そうだな?」

「ええ、まあ。でも、旅の記憶には最適ですもの」

 

 私は微笑みながら答え、次は食材のほうへと視線を移した。


 木箱に並んでいるのは、朝採れの根菜や、たっぷりと実ったベリー類、干したキノコに、香草バターの塊まで。


「これ、いい香りだな」


 ロアさんが指差したのは、藁に包まれた白いチーズ。


「これは……ヤギの熟成チーズですわね。スライスしてハーブと合わせれば、素敵なサンドにできますのよ」


 私は小さなチーズと熟れたトマト、そして胡椒の実の詰まった袋を選んで籠に収める。


「今日はロアさんに美味しいサンドウィッチを振る舞いますわ。旅の昼食は、やはり手軽で美味しくなければなりませんもの」

「お、それは楽しみだな」


 人混みの中でも、こうして静かに笑い合えるひとときが、旅のなかでもっとも贅沢な時間のように思えた。




 しばらくして路地の奥から、耳慣れないざわめきが聞こえてきた。


「……きゃっ、なんか来た!」

「あれ、魔獣じゃない!?」

「誰か! ガードは!?」


 人々が悲鳴を上げて逃げる中、ロアさんだけが静かに一歩を踏み出した。

 その背中はまるで、何が来ようと大丈夫とでも言うように、とても頼もしかった。


 けれどもこれは只事ではない。そう思った途端、思わずロアさんの名を呼ぶ。

 

「っ、ロアさん!」


 私が声を上げた時には、小さな影がすでにこちらへと向かって突進してきていた。


「あれは……魔獣……ですって⁉︎」


 灰色の毛並みに赤い目をした、小型の魔獣。まだ子どもらしく威嚇は弱いけれど、こんな街中で見かけるような存在ではない。


「ミコト! おかしい! コイツはお前だけを狙ってる!」


 私は咄嗟に、自分の持つ籠の中身を確認した。


 ──そこにはたくさんのガラス瓶。


 その一つの封だけが、微かに緩んでいる。


(まさか……これ?)


 ロアさんが素早く前に出て、魔獣の進路をふさぐように立った。


「落ち着け。こっちには来るなよ……よし」


 私との約束を守ってくれたのか、腰の剣には手をかけず、彼は気配だけで魔獣の動きを制す。

 

 そして、背後にいた私に目線を投げた。


「ミコト、怪しい物あったか?」

「香料の一つ、ガラス瓶の蓋が緩んでいましたわ」

「まさかそんな物が原因じゃないだろうが……一応包んで隠せ」

「了解ですわ!」


 私は急いでハンカチにその瓶をくるみ、密封用の革袋にしまい込む。

 すると、魔獣は何かを探すかのように右に左に首を振り、次第に離れていった。


 ほっと息をつきながら、私は少し離れた所――私の前に立っていたロアさんの隣に駆け寄る。


「……どうやら、この瓶の香料の中に『魔獣を引き寄せる香り』が含まれていたようですわね」


 私は革袋の中に入れた瓶を、袋の上から二、三度叩く。

 

「お前が買ったのだけに? だって売っていた商人の方には見向きもしなかったぞ。そんな上手い話が……」

「……商人の説明では、『希少な南方の花の粉末』とのことでしたが……まさかこんな『副作用』があるなんて」

「まあ……相手はまだ幼体だったし、結果的に大ごとにはならなかった。いい教訓だったな」


 ロアさんは溜息まじりに笑い、私の頭をぽんと軽く撫でた。


「しかしこんな香料、何の為に市場に出回ってるんだ?」

「……それを調べるのも、次の課題かもしれませんわね」




 

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