10. エスコートは温かい紅茶と共に
朝露が草原を覆い、夜明けと共に森を抜けた私は、馬車の前でそっと深呼吸した。
隣にはロアさん。昨夜までの影を引きずることなく、けれど静かなまま、彼は私の手に持たれたマグカップを自然と受け取る。
「ありがとう。温かいな」
「それは『MIKAN WORKS謹製、朝のほっとブレンド』ですわ。気に入っていただけたのなら嬉しいです」
焚き火の名残がまだ地面に残っていた。
私はいつも通り調理台を組み立て、パンを焼き、保存食のスープを温める。
そして、ふと。
「ロアさん。せっかくですし、これからしばらく……私の旅に、同行してくださいますわよね?」
ロアさんは驚いた顔をしたあと、小さく笑ってから言った。
「エスコート役ってやつだな。エスコート……って言うほどでもないが、用心棒なら任せろ。剣の腕は……それなりに立つから」
「まあ、心強いですわ!」
そうして私は彼にMIKAN WORKSの道具を貸し出すことにしたのだった。
「せっかく私と一緒に旅をしてくださるのですから、『旅の質』もご一緒にどうぞ」
そう言って手渡したのは、『MIKAN WORKS謹製・高断熱テント』だった。
どちらも、かつて寒冷地遠征のために開発された高機能仕様。
一般の旅人や冒険者の間では、入手困難な『憧れの逸品』として知られているもの。
テントは展開時間わずか三十秒。軽量な骨組みに、特殊な繊維が二重に張られており、風や雨はもちろん雪にも耐える設計。
中は思いのほか広く、大人一人が余裕で座ってくつろげる空間が確保されている。
「しかも、内部は断熱素材でぽかぽかなんですのよ。外気との差で結露も起きにくい構造になってますわ」
と、私は少し誇らしげに説明した。
ついでに、と渡した毛布はさらに優秀で、使用者の体温に反応して最適な保温状態を自動で保つという、まさに『眠る魔法道具』。
中綿には魔法処理された蓄熱粒子が使われており、氷点下でも寒さを感じさせないほどの性能を誇る。
「もちろん、洗濯機――ではなく、川水でも簡単に汚れが落ちますのよ。お父様の技術の結晶ですわ」
(おっと、失言でしたわ。我が家にあるような洗濯機は、まだこの世界に普及していませんものね)
ロアさんはそれをしげしげと眺めたあと、口元に笑みを浮かべた。
「……こんな代物、王宮でも使われてないぞ」
「まあ。あちらにはもっと豪華な御寝所がございますけれど……使い勝手で言えば、こちらが上ですわ」
「こんな凄いもの、貸してもらっていいのか?」
「いいのです。だって私だけ快適にすごすだなんて、そんなこと出来ませんもの。私達は……相棒というやつですわ」
そう口にしてから、少しだけ顔をそらした。言い慣れないその言葉は、どこかくすぐったくて。
「さて、朝食の続きをいたしましょうか。今日のパンは干し葡萄入り、スープには刻んだ野菜を足してみましたの」
「……本格的だな。王都の食堂よりうまそうだ」
「ふふ、では期待に応えねばなりませんわね、ロアさん」
こうして私達二人――と一頭の旅は幕を開けた。
二人で森から出て、長距離移動した初日の夕方――ロアさんは借りたテントの骨組みに軽やかに手を伸ばし、慣れた様子で設営を始めていた。
「……三十秒か。すげぇな、これ」
布地がふわりと立ち上がり、みるみるうちに形を成す様子を見て、彼はほんのわずかに目を丸くする。
「さすがはMIKAN WORKSでしょう? これなら、夜が楽しみになりますわね」
私が軽く言うと、彼は毛布を撫でながら苦笑した。
「こういうの、慣れてないんだよ。寝心地良過ぎて、寝過ごしたらどうするんだ?」
「それはもう、ちゃんと起こしますわ。用心棒の遅刻は困りますもの」
くすくすと笑いながら、私は調理台へと戻る。
焚き火の上では、MIKAN WORKS保存食シリーズの『朝摘み根菜と豆のポタージュ』が、静かに湯気を立てていた。
そこに刻んだパセリと香草バターを加えて、優しくかき混ぜる。
「いい香りだな……」
横から伸びてきたロアさんの声に、私は笑みを深くした。
「お口に合うとよいのですが。こちらは朝と同じになりますが、干し葡萄入りのパンです。今回は少し炙りましたので、外は香ばしく、中はふっくらしておりますわ」
皿を手渡すと、ロアさんはそれを静かに受け取った。けれど一口食べた瞬間、その眉がわずかに上がる。
「……うまい。いや、想像してたより、ずっと」
「まあ、嬉しいですわ」
彼が素直に褒めてくれたことが、なぜだか少し誇らしくて、私は思わず背筋をしゃんと伸ばした。
「……にしても、旅先でこんな食事が出てくるなんて」
「変わってますか? でも、それが私の旅のスタイルですのよ」
私は紅茶ポットを手に取り、彼のカップに香り高い『朝摘みハーブブレンド』を注ぐ。ミントとレモンバームを主にした、優しいお茶だ。
「旅は過酷なだけじゃなくていいんです。美味しいものを食べて、心をほどいて、そうして……また歩いて行けたらとってもいいと思いません?」
そう言った私にロアさんは少しだけ黙ったまま、紅茶の湯気を見つめていた。
そして──ほんのわずかに口元を緩める。
「ああ。いい旅になりそうだ」
それは彼なりの、肯定だった。
食後、私は地図を取り出し、広げながら言う。
「次は、南の高地に広がる市場街を目指す予定ですの。そこには、季節限定のハーブがあると聞きましたのよ」
「ハーブ……食材探しか?」
「ええ。そして、ついでに珍しい保存瓶も探しておきたいのです。お料理の保存にも便利ですし……何より、旅の思い出を詰められますもの」
ロアさんは地図を覗き込みながら、ふっと笑った。
「色々と珍しい目的の旅人だな。けど、付き合ってみたくなる」
「まあ、それは光栄ですわ」
焚き火の最後の火が静かに揺れ、夜の帳がゆっくりと落ちていく。私達はMIKAN WORKSのカップを手に、草の上に並んで腰を下ろした。
風が、ほんの少しだけ涼しくなる。けれど不思議と、寒さは感じなかった。
隣に誰かがいてくれる。ただそれだけで、こんなにも夜は静かなのに、心強いものになるなんて。
「……明日も、いい一日になりますように」
そう呟いた私の声に、ロアさんがふとこちらを見て、小さく頷いた。
もう少ししたら、旅の朝が、また来る。
今度は、二人で。