epilogue:the first part
国王ロドルフと王妃ステファニーが、王妃の庭からゆっくりと歩いてきた姿が見える。
七彩月ももうすぐ終わり、あと数日で雨雷月に変わる。
雨雷月は文字の通り雨と雷が多い月。この国でもこれはそうだ。
王妃の庭をはじめとする庭でこうして優雅に散歩できる日は取れにくくなり、例年通り今年もしばらくお預けとなるだろう。
だからこそ、雨で散ってしまう花々をその前に一緒に愛でようと、ロドルフがステファニーを誘ったのだ。
二人は、精霊と魔術研究一生を捧げた幾代か前の王弟がその研究のために使っていた塔の方へ歩いていく。
この塔の周りは王城の住居区画から少し離れて──とはいえ、ここに篭りきりになる彼を心配し徒歩圏内に造られたのだが──おり、周りは美しい緑に囲まれている。
また華美ではないが花も咲き誇り、緑に色を添えていた。
王弟亡き後は彼が残した研究資料などを保管した書庫や彼が塔の中で使っていた私室をそのまま残し、あとは歴代の王族の憩いの場のように改装し使っている。
ロドルフは幼い時から何かあればここにきていたし、ステファニーも嫁いでからここが好きでよくきていた。
今日はここで休憩して執務に戻ろう。そんな話をしていた二人の耳に、人の声が入ってくる。
耳をすませば聞こえてくる程度だ。
二人は揃って足を止め、耳をすました。
「ほら、これに少し似てる。いや、似てるって言うよりもこれだと思う」
「そうか?」
「見てないでしょ?見てないのになんで言うの」
「見ても良いが絶対に違うからな。いいか、ここは国王がいる城だ。そこらへんに毒草なんてあるわけがないし、庭師がそんな失態を犯すはずもない」
「でもね、タネっていうのはどこからか飛んでくるものだよ。それに、この本の著者も言ってる。『人が雑草だと踏みつぶすものに似せ生き続ける毒草もある。彼らは静かに生きているのだ』って」
ステファニーが思い出す。
そう言えばカナメは『毒薬学のススメ』なる本を持って歩いていたな、と。
ちなみに、ステファニーはカナメがどうしてそんな本を愛読書にしているのかは知らない。
「……違うだろう。ほら、こちらには葉の裏は白いと書いてある。この葉は表も裏も黄緑だ」
「あー……今度こそ見つけたと思ったんだけどな」
「見つけようとするのは構わないが、王族の管理している場所で見つけようとしないでくれ」
「じゃあ、草原に出かけても良い?俺、草原を馬で駆けたい、思い切り。婚約式後はそういう自由が失われた。時には愛馬を愛でたい……。あの子、遊びたいなって顔で俺を見つめてるんだ。その顔を見るたび切なくなって泣きそう」
「泣いてるんじゃ……?」
「泣いていません」
ロドルフは思い出す。
そう言えばサシャが「カナメがもし出かけたいと言った時は、こちらから五十名ほどの騎士をお借りしても?」と宰相グラシアンに真顔で聞いていたな、と。
ちなみに、ロドルフがそれを聞いた時に『いくらなんでも50は多すぎるだろう……』と頭を押さえていたことを、サシャは知らない。
「今度また、あの離宮へ旅行へ行かないか?一泊くらいでいいから、どうだろう」
「婚前に婚約者と旅行するのはあれきりにしなさいってお兄様がいうから、やめておく」
ロドルフとステファニーは息子マチアスが恋人に一刀両断され、項垂れている姿を想像した。
王弟の塔へ行くのをやめ引き返しているロドルフとステファニーの耳に、マチアスが何やらカナメに言っている声が聞こえてきて思わず笑う。
ステファニーの耳にはロドルフの押し殺した、完全には殺せなかった笑い声も届き、隣を見て微笑む。
「よかったですね」
このステファニーの言葉には、重たい全ても込められていた。
ロドルフが今でも、ほんの僅か前の事のように思い出せるのはあの日の事。
急ぎの要件があると王宮神官の文官が汗をかいてやってきたと聞き、何があったのかと王宮神官長を執務室へ通した時。
あの王宮神官長の顔を見とめたあの瞬間から始まった、あの一件だ。
あの時執務室に入ってきた神官長は、世界が終わると告げられたのかと思うような真っ青な顔で体は小刻みに震え、発言の許可を求めるその声の合間に歯と歯が触れ合いカチカチと音を立てていた。
「神託が……」
人払いをした部屋に神官長の声だけが続く。
──────次の国王は第一王子であるマチアスにするように。
──────そして彼が、『彼の愛するものだけと添い遂げるべくする彼の努力、愛するものを守り抜く姿勢』をとっくり見させてもらおう。彼が唯一愛するものを守れるのかどうか。それを是非とも見せてもらいたい。
という、マチアスがどれほどカナメを守れるか監視すると言っているような、そんな神託であったと青白い顔で震える神官長は言った。
そしてカムヴィは「それがなされればこの国はまた安泰するだろう。しかしなされなかった場合は国の衰退が始まると心得よ」と最後に付け加えたのだとも。
正直、ロドルフは国がなくなる覚悟さえした。
マチアスとカナメは、王族でありながら同性婚をする。そしてエティエンヌが王となる予定として動いていただけに、彼らには彼らだけで家族を構成することを認め、マチアスの子は不要であると国王として発言しているのだ。
きっと彼らは、いや、カナメは婚約した時は持っていただろう『マチアスが側妃を持つのは当たり前』というその思いを消している。
そんなカナメに「国王となるマチアスには側妃が必要だ」という未来を突きつけた時、彼は、カナメは自分の心を守れるのか。マチアスはカナメの心も守り切れるのか。
ロドルフには全く想像ができなかった。
いや、正しくは想像できた。悪い方への想像は簡単だったのだから。
しかし結果として、マチアスはアーロンを味方につけ、アーロンは『マチアスが選んだ王子に姫を嫁入りさせる』とあれほど多くの貴族の前で言い切った。
あの発言に顔色ひとつ変えずに頷けた時、ロドルフはほっとした。それほど予想だにしない言葉であったのだ。
マチアスは自分が乗り越えなければと決めたことについて、それを誰かに助けてもらうことも何かを頼りにして成していこうとも思う性格ではない。
自分が乗り越えなければと決めたことを、マチアスはいつだって一人で乗り越えようとするような、そんな息子だった。
そのマチアスがアーロンを味方につけて、彼の協力を受け入れたのだ。
それがどれだけロドルフを、そしてステファニーを驚かせただろう。
確かに、息子のために父親として、その気持ちが大きい状態で友好国のハミギャにダメ元で頼んだ。王太子とその婚約者を招待したいと。
もしかしたら何か変わるかもしれない。藁にもすがる思いでいた。そして何かが変化する事を願ってもいたが、あのような方向に進むとは。
あの時──────いや、神託を受けたと聞いた時から、国王としては勿論、いや、それより親として、何も助けてやれないと言うことがどれだけ苦しかったか。
出来る限り、いや許される限りの手助けはあまりにも少なく、そして儚いほど弱い。
だから今は、二人が昔のように笑っているのを見ると神に言ってやりたくなる。
どうだ。私の自慢の息子は確かにやり遂げようとしているだろう、と。




