42
「そう……これは大変なことになりそうね。いえ、なるわ……!」
報告を受け取ったのは王妃ステファニー。
報告をしたのは彼女の侍女であるキトリーだ。
「まだご本人の耳には入っていないのが、不幸中の幸いと申しましょうか」
キトリーの心配そうな声にステファニーがくすくす笑う。
ここは王妃の執務室。
彼女の部下である男女数名の文官もいるが、彼女たちは気にした様子はない。
つまり、ステファニーはこうして可愛らしく笑うことがよくあると言うことだ。
「そうね、これを知ったらきっとやりにくくなるでしょうから……なんとか耳に入らない様に気をつけてあげないといけないわね」
ステファニーは顎に指をやって「でも」と言うと続けて
「カナメが『六華の聖人様』と言われていると貴族たちが知っても、本人に面と向かって言うにはまだまだ時間がかかるでしょうし、あの家族がカナメが混ら……違ったわ、困惑する様なことを言うとは思わないし……。ねえ、キトリー」
それにしても、言葉選びは難しいわね。と微笑むステファニーに
「そうでございますねえ。ウェコー男爵が相手でいらっしゃいますから、ご家族の皆様は当分の間それをご本人にお伝えする様なことはしないと、このキトリーも考えます」
「そうよねえ。じゃあ……そうね、本人の耳に入るのは王妃になってから、早くっても婚姻後にしてもらいましょう!それまでは|なんとか上手にやりくり《・》をして本人の耳に入らない様にしないと」
ここまで言ったステファニーは、室内にいる自分の信頼する部下にはもう聞こえているのになんだか小声になって
「あの子、自分が『六華の聖人様』なんて言われていると知ったら、気絶しちゃうでしょう?泣いちゃうかもしれないし、そうなったらサシャがまた騒ぐでしょうし……そうなったらもう大変よ」
なんて言うからあちこちで笑いを堪える姿が見える。
カナメにとっては悲報だが、この部屋に今いる彼ら全員がカナメの性格をよく把握していた。
それだけステファニーが彼らを信用している証拠でもあるのだが、カナメとしては自分のそんなところだけは知らないままでいてほしかっただろう。
このステファニーの気持ちを汲んだのが、それとも偶然それが広まったのかは定かではないが、『カナメが大層な恥ずかしがり屋で、自分が『六華の聖人様』なんて言われていると知ったら『六華の聖人様』に対して申し訳ないと萎縮し困惑してしまうだろうから、そう思っても内緒にしよう』なんてカナメを『六華の聖人様』の様だなんて最初に言い出した平民の間で暗黙の了解の様に広がり、お陰でカナメがこの事実を知るまでかなりの時間を要することになったのである。
ステファニーの願いが神に通じて奇跡が起きたのか、それとも、たとえば童顔の諜報部や童顔ではない諜報部ががんばったのか、このあたりは定かではない。
ほぼ同時刻。
アルノルトから全く同じ報告を受けたのが、自室でくつろいでいたマチアスである。
「……これは、なんとか耳にはいらない様にしなければ」
「私もそう思っております」
マチアスは机の上で書いていた手紙を隅によけ、空いた場所に肘を乗せて手で顔を覆う。
「どうして……また、よりにもよってそれを」
絞り出した様な声に、アルノルトは頷いていた。
マチアスはそれを見れないが、なんとなく気配で感じ取ったのだろう「なあ」とアルノルトの肯定に返事を返している。
カナメの持つ色合いと、今の行動で、何かそう言う様な特別な呼ばれ方をする日が来るかもしれない、とマチアスは思っていた。
このあたりは王族とカナメの家族であるギャロワ侯爵家の誰もが思わなくても、マチアスだけは懸念していた。
そう、彼が自分では止めることができないカナメの脅威として、とても懸念していたある意味最も重要なことであった。
人は、特に平民は、貴賤に関わらず何か尊い事をし自分たちを支えようとしてくれる人に対し、何かと“大袈裟な名”をつける。
あの王弟は『我が身を顧みず国を救った英雄』として『隻腕の英雄』をはじめ、本人が聞けば「どうしてそんな大仰な名をつけたがるのだ……」と本気で引くであろう様々な名前が今も“彼を指す言葉”として使われている。
今回のマチアスが行った事業のきっかけとなったカナメの母が始めた活動は、今は平民からも多くの希望を持って歓迎されていた。
これは『王立デュカス療養所』という目に見える形であるからこそ、彼らにより分かりやすくもあったのである。
そして認識しやすい象徴の様なものが建ったからこそ、今までよりも多くの平民に、デボラたちの活動とその想いが一層大きく広がった。
所謂改革派の行動は、嫡男だなんだと言うことが少ない平民の方が受け入れやすいのだろうが、それ以上にデボラの活動は巡り巡って彼らの助けにもなる。それを彼らが見聞きし感じた結果がまた、より周知され歓迎されていく理由の一つでもあるだろう。




