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「マチアス王太子殿下」

マチアスの足は止まり、少し表情が和らいだ顔で振り返る。

声の主が誰か知るからこその、この表情だろう。



「ハヤル辺境伯爵!」

ハヤル辺境伯爵カンデラリオ・セグロラは、マチアスの剣の師匠だ。

このところ、エティエンヌも彼に習いたいのだと言い出した。きっと近いうちにそのようになるのだろう。

「この度はおめでとうございます」

自分のことの様に笑う彼に、マチアスが少しだけ驚いた様子を見せる。

「いやなに。これでも色々と見て生きておりましたから。ウェコー男爵が王太子殿下のお相手であればどれほど国が豊かになるかと、そう思ったことが幾度ございましょうか」

予想していなかったカンデラリオの発言にマチアスは瞬き、珍しく首を傾げた。

二人の距離は若干。それをカンデラリオがそっと(・・・)詰める。

二人の間は人一人入るかどうか、というくらいだろう。

広いこの廊下にあってこの距離は、実際の距離よりもとても近く感じた。

「ウェコー男爵が、ギャロワ侯爵殿に頼み剣術を今も習っているのはご存知かと思いますが、彼に剣術を教えているのは私の元部下でして」

「それは……なるほど。だからカナメの太刀筋はあなたに似ているところがあるのか……」

「正直言って、ウェコー男爵は剣術に関しては可もなく不可もなく。ですので私も基礎をお教えした後のお役はございませんでしたが、その後すぐ魔術を交えて戦う騎士を知らないかと侯爵殿から連絡をいただきましてな。ならばと、部下を紹介しまして」

ギャロワ侯爵家において少し異質の印象を受けたあの男は、なるほど、ハヤル辺境伯爵の部下だと言われるとマチアスは大いに納得出来る。

今その元部下はカナメに剣術を教えながら、ギャロワ侯爵家の私兵らにも人を守り戦う──────マチアスの言う泥臭い戦い方を教えていた。

屈託のない笑顔で豪快な笑い声を上げる、とても気持ちのいい男だと、マチアスにも強く印象を残している。

「彼からは、時々手紙が届きます。なんとか人一人くらい守れる程度には覚えておきたい。そう言ってウェコー男爵が喰らい付いてくると。それを読んだ時にふと、王太子殿下の顔が浮かびましてね。きっとあの泣きむ……いえ、怖がり……いや失礼、ンン、そう……そうですね、繊細(・・)なウェコー男爵が守ろうとするのはあなたという一人の男しかいないのではないか、あの方は王子殿下であるあなたではなく、マチアスというあなたを守りたいのではないか、などと思いまして。実のところやはり誰よりもあなたをマチアスというあなたで見ている彼ならば、あなたを孤独にすることなくあなたと寄り添い続けるのではないかと、まあ勝手に思っていたのです」

自分がどんな顔をしているのか、マチアス自身にも全く想像ができない。


──────帯刀はするけどね、使用するのは最低限必要に駆られた時だけに決まってるでしょ?

──────だって俺、剣を扱うのは得意じゃないよ?俺が俺を刺しそうで、俺が怖いよ。そんなことしてごらんよ。一生の恥だと思わない?


そう言っていた婚約者の思わぬ姿にマチアスは、もしこれが一人きりであれば口を手で押さえ思わず座り込んだかもしれない。


痛いのが好きじゃないのは人として当たり前だよね?そう言って泣いて。

治療できるからご安心をと言われても、必要だと言われても、護身術を覚えるために本気で戦った時に相手を傷つけ怖いと泣いて。

それでも確かに、カナメは喰らい付いた。

怖がって泣いて、ボロボロと涙をこぼしても。

あの姿を見て、今も剣術を習っているのを知ってもカナメのその行動は全て「有事の際に足手纏いにはならない様にしよう」というような、そういう意思でしているのだとマチアスはずっと思っていた。

もしカンデラリオの言葉が真実カナメの思いであるのならば、この気持ちをどう表現すればいいのかマチアスには皆目見当がつかない。


「カナメはばかだな。怖がりで泣き虫なのに」

思わず呟いてしまったが、カンデラリオもアルノルトも聞かなかったふりをしてくれている。

本当にカンデラリオの感じた通りであるのならば、そういうカナメ(・・・・・・・)にどれだけマチアスが救われているだろうか。

カナメのことだ。きっと本人は全く知らないし、わからないし、そして想像もしていないのだろう。

マチアスがこれほどまでにカナメを愛し、そして執着しているのは全て、カナメがいるからマチアスはマチアスでいられるからなのに。

「王太子殿下。強くなりましたな。あなたが師匠と呼んでくださるので、それに甘え今だけはどうかお許しください」

「ハヤル辺境伯爵は私の師匠。どうか常に弟子の一人としてお話ください」

カンデラリオは目尻を細めた。

そこには皺が生まれ、そうか彼とはもうそんなに長い付き合いなのか、なんてマチアスは感じる。

思えばマチアスを本気で(・・・)強くしようとしたのは、この男と──本人がそう思ってしていたのかは別として──ハインツだった。

守られていれば良いのではなく、守られるためにも強くあるのだとこの二人は幼いマチアスに厳しいほどに教えてくれた。


「強くなりましたな。実に、強く。あなたはもう、周りに手を伸ばせるお方だ」



あの後、カンデラリオは国王ロドルフとの謁見があるのだと颯爽と部下と引き連れ言ってしまった。

彼の去って言った方を見ていたマチアスも、もう廊下にはいない。


──────ですが、殿下はまだまだ強くなれるでしょう。そしてきっと、そうなろうとするはずです。あなたは愛している人を守りたい人でございますから。おかげで私もまだまだ教えることがありそうで、師範役を御免(・・)にならずに助かります。ハインツ殿も、まだまだ師範役のお勤めが続きそうですなあ。


あんなことを言って大笑いする人間はきっと彼くらいだろう。

しかしマチアスは嬉しく思っている。

マチアスはまだ強くなれるのだと彼はいう。その強さはきっと精神的なもののことだ。

カンデラリオはそれを指しただろうと、マチアスはこれまでの彼との付き合いで読み取った。

あの背中で多くの人を守り、そして慕われるカンデラリオが強くなれるのだと言ったのだ。

マチアスはそれを信じたい。信じようと思う。

カナメが自分を守ろうとしてくれている様に、自分だってカナメを──────本人は望まないかもしれないが、心にも体にも傷を一つもつけない様に守りたいのだ。

昔とは全く違う、けれどもやはり自分自身のままで、誰よりも守りたい人を守れる様に。


執務室に入れば少し後から文官が紙の束を持ってきた。

アルノルトが受け取り、マチアスが使う執務室に置く。

一番上の書類には『王立デュカス療養所』の文字がある。

半月に一度、診療所から届く報告書だ。一週間に一度の報告書はマチアスが選んだ部下数人が、責任を持って確認し、何かあればマチアスに報告してくれている。

数年はこうして事細かに見ていこうと、そう決めてこの体制をとった。

(最終確認だけは最後まで続けても、いつかは、俺が信頼する者に、そう徐々に徐々に委ねていこう。今任せている彼らがきっと、俺にそう思わせてくれるはずだ)

椅子に腰掛けながら無意識にそう思ったマチアスは小さく、人に知られぬ様に首を振った。

今までであれば、決して思わなかっただろうことを考えた自分がマチアスは信じられないのだ。


今も彼はやはり、王というものは自分の弟の様な存在がいい。そう思うところはある。

けれどそれでは何も守れないと悟ったから、自分のままで王座に座るのだとそう決めた。

そしてだからこそ、変わろうと思ったこともある。

マチアスの性格を思えば、彼が変わろうと努力しているそれはとても難しく、時にはその変化が辛いとも苦しいとも思うだろう。

彼自身、果たして変わることができるのかと思うくらいに、本当に難しいのだ。


「マチアス王太子殿下?」

アルノルトが腰かけただけになっているマチアスを呼ぶ。

マチアスは今度こそなんでもないと首を振ってみせた。

しかし、“ふと”思って側に控えるアルノルトに視線を送り


「いや、こんな時になんだが──────、私はお前にも随分助けられているなと思っただけだ」


珍しく完全に表情を変えてしまったアルノルトを見て、マチアスは今、自分の変化を少しだけ感じ取った。


きっと彼は強くなるのだろう。

実に彼らしい王(・・・・・)になるだろう。そして彼が理想とした、「この国王を支えよう」と人に思わせる王というそれに近い国王になれるだろう。

それを今一番感じているのは、それを最初に感じたのは、目を丸くして口を開けっぱなしにしているアルノルトである。

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