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さて、時を戻し、舞踏会場である大広間はドレスの花があちらこちらで美しく咲き誇っている。
国王夫妻とマチアス、そしてエティエンヌが上座で見ている中、招待を受けていたアーロンとノアがハミギャの王太子とその婚約者として紹介を受け、国王の元へと歩いていく姿はそのどの花よりも美しい。
堂々たるその姿はまさに一国の運命をその身に背負う国王になるにふさわしいと思わせる姿で、その横でエスコートされるノアも普段の雰囲気が一切見えないほどまさに王太子の婚約者然としていた。
一般的な男性のこうした場での正装よりは若干飾られているその衣装に身を包んだノアが、自分に視線を送る人の中にカナメを見つけ柔らかく微笑んだ。
その美しさに息を呑んだのは、一人ではないだろう。
それが彼の良さのひとつなのだ。
同性婚が可能とは言え王族がそれをなすのは稀覯な中、不躾な視線にもさらされ不快になるではないかと言ったカナメに
──────どんな国に行っても、ぼくは胸を張ってアーロン様の隣に立つ。そうあろうと思っているんだ。そういう自分でアーロン様の隣に立ちたい。その気持ちが強いんだ。アーロン様がぼくにくれる愛情と信頼に対してぼくが返せるものの一つが、ぼくのそうした姿だと思うからそうあろうと思ってるよ。
そう言ったカナメにノアの、まさにその通りの姿だ。
「すごい……」
カナメはそれに感銘を受けた。思わず呟いてしまうほどに。
ロドルフが二人を紹介した後も、どこか不敬な視線が二人に向いている。きっとロドルフやマチアスがその視線の主をチェックし、彼らや彼ら家族の今後について“よくよく考える”だろう。
それにしても彼らのその視線は、その視線を受けないカナメにとっても非常に不愉快でもあり、同時にカナメにはなにかどこかで感じたことがある様な視線でもあった。
どちらにせよカナメにとってその視線は、悪感でしかないようだ。
(どうして、ああいう目をするんだろう……。何を持って自分たちよりも下であると思うのだろう。ノアがどれだけ努力し覚悟してアーロン殿下の隣にいるのか、二人がどれほど強く思い戦っているのか。どうしてそれを想像しないのだろう。ノアの努力や思いをアーロン殿下がどれだけ理解し認め、そしてノアをどれほどまでに信頼しているのか。ノアも同じ様にアーロン殿下を思っているのか……なんで読み取ろうとしないのかな)
そう思って視線の主を追っているカナメは、自分がそうしているのだとハッとした。
どこかで感じたと思ったのは、そういう事だったのだ。
カナメを思い、カナメの努力や成してきたことを公平に見て評価してくれる人たちが、カナメを正しく評価してくれている。
誰もが努力を認め、誰もが自分に心を配ってくれている。
ノアの姿を見て、そしてノアを見る無作法な人間たちに怒りを感じた。
それをどこかで感じた気したのは当然だ。カナメは自分に対して、そして自分を認めてくれている人たちのその思いに対して、自分が向けているものとそれが同じだったからだ。
自分を信じる事が怖いと言うカナメは、自分を信じてくれる人たちの彼らの思いも信じることが怖いのだと全て排除した。彼らの思いを信じる恐怖に打ち勝てないのなら、まさにノアに不躾な視線をおくる人間のように、それを見なければいいのだと。
“自分を認めてくれる人を信じる恐怖”を乗り越え恐怖に勝とうと努力する事と、信じずに彼らの思いを無碍にして彼らを悲しませる事。
(そんなの、考えなくたって分かるのに)
そもそも彼ら──────カナメを認め支えてくれる人たちは、カナメにとって信じられない人たちではないのに、カナメは彼らの思いを信じることを放棄していたにも近い。
(あのお兄様だって公平に俺を見てくれるのに……)
自分に甘く優しい──とカナメは感じているが、サシャは何度も言っているように弩級のブラコンである。甘く優しいなんて次元は当に超えている──兄サシャだって、努力や成してきたことに関しては公平に見てくれると言うのに。
サシャがそうであるように、マチアスだって、いやカナメを知る他の誰もがそうであるのに。
(信じる勇気……)
カナメはそっとホールを見渡す。
そこには人が溢れているが、自分を信じ支えてくれる人たちを面白いほど簡単に見つける事ができる。
(俺には自分を信じる勇気はまだまだ持てない。もしかしたらそれは一生難しいかもしれないけれどでも、“自分を信じてくれる人を信じていく”勇気は持たないといけない。自分を信じる事ができなくても、俺は俺を信じて愛してくれる人たちの思いを信じること。彼らがくれる俺への想いを信じる事を、覚悟しなければいけないんだ)
自分のしてきた血の滲むような努力や、苦しくて泣いて泣いて喚いてそれでも婚約者であろうと走り続けたことだけではない。
これを評価してくれた人の想いと彼らが自分を信じてくれることを、誰より大切にしなければいけないのは自分なのではないだろうか。
カナメは初めて思った。
(信じよう。俺が俺を信じられなくても良い。それでもいい。でも、不安になって泣いても、苦しくて叫んでも、何があっても俺を信じてくれた人の評価を、そうなっても愛して守り支えてくれる彼らの想いと愛情を信じていくんだ。だって俺は、一人じゃない)
カナメの意識の変化はカナメの隣で彼を守る兄サシャにも伝わった。
カナメが、マチアスが王太子になっても婚約は継続されるとなった時、そして離宮から帰ってきた時、その時に言った気持ちをサシャは今でも違えることなくこの場にいる。
──────私がカナメの盾にも剣にもなる。
どれほどカナメの機微を見逃すまいとしていただろう。自身の従者ヨーセフには視線の鋭さを注意されるだけで済んだが、父親にも母親にも呆気に取られるほどにカナメを見ていたのだ。
両親だって心配しカナメの異変を見逃すまいとしていたが、その二人が呆れてしまうほどにサシャはカナメを見ていた。
だから分かる。サシャに分かるのだ。
カナメがまた一つ、大きくなろうとしている事を。自分の力で脱皮をし、また一つ成長しようとしている事を。
大広間の賑やかさに紛れ、その声はカナメの耳にだけ入った。
「カナメは私の誇りだよ。カナメの兄で本当に良かった。私はいつまでも、カナメの盾と剣であると今も誓うよ。だから、カナメは大丈夫」
前を向き頷くカナメが泣きそうな顔を押さえ込んでいることを、サシャは見ないふりをして同じように前を向いた。
この子の盾にも剣にもなる。その気持ちを生涯持ち続けるだろう。そうさせるカナメを、やはりサシャは誇らしく感じている。
きっとサシャはこの先も周りが呆れるほどにカナメに過保護でいるだろう。
そしてそれを、なんだかんだとサシャに甘い両親も、それがカナメを守ることの一つだと知るマチアスも、サシャの行動を止めることはない。
(そうか……いつの間にかカナメはこれほど、大きくなっていたんだな)
彼の成長を見ていたサシャも今こうして改めてそう感じたほどに、カナメが気持ちを変えたそれがサシャに強く伝わったのだ。
(まあそれでも、私がこの子を守ることを止めることはないし、何一つ変えるつもりもないのだけれど)
滅多に見れない黒薔薇様の美しい微笑みでサシャだけではなくカナメにも視線が集中したのだけれど、カナメは変わらない顔でただ前を見ている。




