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離宮から帰ってきたカナメは、少しどこか変わって見えた。
これが良い変化なのか、悪い変化なのか。
悔しいけれど、カナメの家族にも判断出来ない。
ただ、カナメがどこか変わって見えたのだ。
「いいか、何があっても私はカナメの味方だ。戦うというのなら、私がカナメの盾にも剣にもなる。だから今までのように『お兄様、わからない!助けて』と甘えてほしい」
その変化を見てとったサシャは、そう言ってカナメを優しく抱きしめ、カナメは何度も頷き、何度も「うんうん」と「にいさま、すき」を繰り返した。
これを知ったマチアスは当然「なぜ、“そういう事”をサシャが言い、そしてカナメがそうなるんだ」といささか不服のようであったが、二人の絆を思えば、これくらいは普通の、つまり日常茶飯事である。
そしてこの変化をきっかけに、また変化が生まれるのだ。
「私はカナメの未来と幸せを守るために、仕方がないのでそのついでにマチアス殿下の未来を守るために、出来る事を探そうと思っています。しかし父上、何から取り掛かればいいと考えていますか?」
夜、シルヴェストルの執務室で切り出したのはサシャだ。
それにシルヴェストルは答える。
「それなら、一つ、考えている事がある。デボラにも協力を仰ごう。危険があるかもしれないが、彼女に隠してやり通すのは無理だろうし、それは彼女では傷つくからな」
「息子の未来ですから、母上に黙ってやった日には何が起こるか。父上だけではなく、私とだって一生口を聞いてくれませんよ……」
ギャロワ侯爵家全員が、マチアスの後ろ盾となり彼らの幸せのために何かしようと、立ち向かうための矛となり盾となる事は、口に出さずとも皆決めていた。しかしこの時初めて、彼らは口に出したのだ。この先の未来のために、打って出るのだと。
彼らは彼らで、可愛い息子とその婚約者の王子、彼らの未来と幸せのために勝手に動き出したのである。
彼らはマチアスの決意も何も知らないが、それでも彼らなりに考えた。
そして出たのだ。
このままではこの国の悪き習慣のせいで生まれる側妃の問題で、カナメが心をすり減らすだろう。それはカナメを想い苦しむマチアスが望まない、そしてカナメを婚約者としてしまったマチアスの心もただでは済まない。
まず、それをなんとかしよう。と。
愛妻家であり子煩悩の父シルヴェストルは、同じくそうである貴族の当主やその兄弟に『健全なる世襲制』について秘密裏にだけれど、サロンで議論するようになった。
知識人の平民や他国の人間も招き行っているそれは、開くたびに人が集まってくる。
今では今の悪しき習慣に対し声を上げようと、本腰を挙げ国王へこれを正すよう国として対策を行うべきだと進言しようという声が上がっており、中には自身の息子や娘の嫁ぎ先、また婿入り先を調べ解消に動くものもいるようだ。
貴族として利益と領地、家のために婚姻するのは当然だが、それはあくまで『健全なる関係』であるのであれば。そうではないのならどちらかが割を食うだけ。
この議論をきっかけに解消した家は、このサロンで知り合った家との婚約を結び直したり、このサロンで作った人脈で婚約を解消した損益をマイナスからゼロにしようと互いに力を合わせている。
本人の預かり知らぬところでとは言え、社交界の白薔薇と呼ばれ憧れる貴婦人や令嬢が多い母デボラは、悪き習慣によって心病み療養を余儀なくされている婦人たちを保護し、そうした脅威から逃れようとする婦人たちを修道院へ逃す事を始めた。
元々デボラは慈善事業、特に弱い立場のものを守り支え自立を助けると言う様な活動に熱心なので、彼女の行動が『カナメとマチアスの未来を守るため』だとか『悪き習慣に一石を投じるため』とは全く思われていない。
だが、彼女の活動に対し「他家への干渉だ」という声も上がっているのは事実。
けれどしかし「あれが犯罪であると理解していないようね?国へ、わたくしが『他家への多分な干渉をしている』と訴えればよろしいわ。あら、顔色が悪くってよ?ふふふ、どちらが裁かれるか、ご理解いただけて?」と毅然とした態度を取り、今ではこのデボラの活動に賛同し協力してくれている婦人が増え、一部の男性もこの活動を支えてくれるようになった。
これによりデボラはしばらくの間、危険な目にあう事が段違いに跳ね上がったが、他国の大物貴族であるデボラの父方の祖父がそれとは判らないよう傭兵を派遣してくれ、ギャロワ侯爵家の護衛と協力し全ての犯人を捕える事に成功。
一部の貴族家が軽い罰を与えられる事になった。
軽いというのは、彼らはうまく家臣たちに罪をなすりつけたためである。それを知りながら今は全て「そうだったのか」で済ませている。
彼らは襲撃理由を一切出さないまま、とってつけた様な事を言ってそれを押し通した。それらがいくら不自然でも、デボラもギャロワ侯爵家もそれ以上追及しなかった。
いつか盛大にお返しをする時に取っておくのだと、珍しくデボラが張り切っているそうだ。
また、デボラの生家は彼女の活動を知りながら、“何も知らない”という態度を貫いた。
生家との間に亀裂が入ったのではないかと言われているが、これはデボラに協力すると言った家族にデボラ自身が頼んだ事だ。
自分に協力するよりも、協力していないふりをして賛同者とそうならない人を探してほしいと頼んだのである。
最後にサシャは、親世代前の人間よりも自分たちの世代の方が、この件に違和感を感じているものがずっと多いという現実を知っていたため、友人たちに協力してもらい次世代──────つまり自分たちの代が当主となった時にこの習慣をなくしていこうと議論を交わしている。
時には父世代のサロンに参加しながら、時には若いものたちだけで。
──────いつか世代交代が起きる。その時に今までが異常だったのだと言ってやろう、権力もなくなる父親たちを追いやってしまおう。
誰だって自分が、自分の兄弟が、この悪き習慣の犠牲になりたくないし、そうなってほしくない。そう思うものは多いのだ。
自分の意思に関係なく追いやられた兄に泣いたものもいる。姉が自害して怒りを覚えたものだって。
親たちは犠牲になった兄や姉を思う兄弟姉妹たちの怒りを、本当のところで何も知らないのだ。
こんな事をしていて、何が誇り高い青い血だと。こんな事で守るべきものを、領民を領地を家族を、そして国を守れるのかと若い声も上がり始めた。
しかし当然、今までの普通がこれからも続けば良いと思うものも、そしてそれを変える事を不要だと思うもの、今の方が都合がいいもの、他にもどうでも良いと思うものも少なくない。
変えようと声を上げるものを可笑しな人間と思い嘲笑うものも、危険視するものだって多い。
そうした危険を知る彼らは、知られないように慎重に動いた。
その慎重さを仲間にも徹底させた。
不健全な不文律という悪しき習慣を続けようとするものたちにとって、自分たちが邪魔になる可能性があると知られるわけには行かない、知られれば家族に危害が加わるかもしれない。というもっともな理由があるからだ。
だから彼らの奮闘は、子供二人には知られていない。
先の理由は嘘ではないが、家族の本心は、カナメには余計な心労を与えなくなくて、マチアスには協力させたくなくて、である。
子供に知られそれがどこかに漏れるのも危険だと思っている大人と、大人の耳に入り活動を潰されては敵わないと思う若い世代。
おかげでカナメやマチアスの耳には届かない。
二人の従者あたりは気がついているだろうが、彼らの思いを汲んで口にはしないし協力をするとも言わないでいてくれる。
そして王族も知りながら見ないふりをしてくれている。
特に国が二分するかもしれない事をしているにもかかわらず、静観を崩さないロドルフには正直シルヴェストルも驚いた。
だからこそ彼は活動を止める事を選択しない。
国を思うなら警告、場合によってはそれ以上の言葉だったとしてもするだろうロドルフが静観しているという事は、止める気もなければその必要もないと彼が思っているからだ。
父親としてか国王としてか、それをシルヴェストルは考えないようにしているが、ロドルフが父親としてだけでこの判断をするとは到底思えない。
ならば、続けるだけだ。
そうした彼らの活動は続き、十四だった二人は十六になった。




