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あの日から数日後。異例の速さで決まった事があった。

小旅行(・・・)である。

マチアスはカナメを連れ、郊外にある王家の離宮へと一週間ほどの日程で出かける事にしたのだ。

この一週間は授業の「()」の字もない、本当に何もしない、まるで昔のような(・・・・・)時間を過ごす事として、国王ロドルフにも父親ロドルフにも許可をもらっている。

シルヴェストルは何か言いたげだったが、城からこの離宮までは馬車と“船”で1時間と半ほどあれば着く事が可能である上、いつでも会いに行っていいと許可を受けて渋々(・・)引き下がった。

離宮には信用のおける“忠誠心の塊”であるとロドルフが太鼓判を押す護衛と侍女や使用人、あとマチアスとカナメの専属従者が共にする。


朝早く、屋敷から行ってきますと言うカナメの顔は実に明るく、見送ったデボラはカナメの乗った馬車が見えなくなった途端思わず泣いた。

心配をかけないようにと明るく元気があるようにしても、家族の前では素直なカナメはすぐに顔に出る。

あの笑顔を見る事が出来ただけでデボラがこうして泣くほど、本当に久しぶりなのだ。あれほどの笑顔を見るのは。

「大丈夫、何かあったら私がすぐに、離宮へ向かう。その許可は得ているから」

「はい、はい、分かっております」

シルヴェストルはそっとデボラを抱き寄せ、頬へキスをして「私も仕事へ行ってくる。もし何かあれば、すぐに連絡をするように。今日は早く帰ってくるよ」と柔らかい顔で用意された馬車に乗り込んだ。


デボラは青空の下、ただ願う。

どうか、愛しい我が子が幸せになれますように。と。




馬車で一時間は経っていないがその程度ほど移動した後、マチアスにカナメとそれぞれの従者、あと数名の護衛とは船に乗り換える。

残りの護衛は別の船に乗っているが、実は今日共をしている者以外の護衛騎士や使用人たちは荷物と共にひと足先に離宮に到着していた。マチアスとカナメを迎え入れ一週間滞在するための準備をしているのだ。


水面を滑るように移動する船にカナメの目は輝く。川幅は十人程度の人間と彼らの手荷物程度を運べるくらいの船が擦れ違える程度、そして流れは緩やかだ。

この、今彼らが利用している河川は、主に近距離の移動をするために使われている。


長距離の移動を船で行う場合は、もう少し先の、この辺りで一番大きな川でまた別の大きな船に乗り換える──荷物でも同様だ──事がほとんどであった。

この国にはいくつもの大きな川幅の本流と、そこへ流れこむ──もしくは枝分かれする──支流があり、それを利用して荷や人を運ぶ事も多い。

川がある領地は水害がないようにと治水に力を入れている。川を持つ多くの領地では治水についての研究がなされ、それがこの国全体の治水対策の高さを誇る大きな理由となっていた。


カナメとマチアスが乗る船は、川幅に合わせたものだから大きくはないがそれでも、ほかの同じような大きさの船に比べれば“立派なもの”に見えるだろう。

しかし一応お忍びの体でいるので、裕福な平民、もしくは男爵くらいの貴族といった形をとっている。

護衛も“見える範囲”では最低限にしてあるし、まさか王子と侯爵家の次男が乗っているとは思われない。

この川は貴族の船も通る事がある──“貴族の船”はこの川を利用するには大きいので、すれ違う時のためにところどころ川幅が広い部分があり、そこで擦れ違うようになっている──ので、この程度の船ならば思われても先の通りの認識になるだろう。

カナメは楽しそうに水面の輝きを眺め、そのカナメの様子が嬉しいのか彼の精霊がカナメの髪の毛をくすぐっている。

「アル様、魚が跳ねましたよ!」

カナメの指が右前方を示す。もう魚の影も見えないが、嬉しそうなカナメにマチアスも頷いた。見えなかったとは言い難いカナメの笑顔である。

「そういえば、わたし(・・・)は船には酔うと思ったんですが、そうならなくて安心しました。少しは大人(・・)になったのかも知れません!」

耐性がついたのかも、と得意げに言うカナメに

(馬車に乗る前に食べさせた飴が酔い止めだったんだよ)

マチアスはこれを心に留めた。嬉しそうに酔わなかったとアーネに言っている姿を見ると、言える雰囲気ではない。

帰りもあれは用意しよう、マチアスはそう思う。帰りで酔う様な事があれば、この得意げな顔も見えない。それはとても寂しいのだ。

「でも、離宮に泊まるんですよね?」

「ああ」

「少し不安です」


何が不安なのか、マチアスには手を取るように分かった。

“幽霊”の類だ。

カナメはどういうわけか、どこからか『城や離宮、屋敷などで話題になる、本当かどうかも怪しい(・・・・・・・・・・)曰わく付きの話』を聞き齧っては、いるかどうかも判らないような幽霊などに怯える。

どこから聞いてくるのだと、弟を溺愛し弩級の過保護を発揮するサシャが憤怒し警戒しても、やはりどこからか聞いてくるのだ。

ギャロワ侯爵家ではカナメのこれ(・・)もサシャのあれ(・・)もよくよく知られているので、誰もこんな都市伝説のような事を話はしない。だからほかの場所──────多分、城やどこかの屋敷などで若いメイドたちの雑談を、フとしたはずみで聞いてしまったりするのだろう。

マチアスは怖がりの婚約者を思い、本当の事(・・・・)を告げてやった。それがカナメのためになると、真実思って。


「大丈夫だ。幽霊や悪霊の類はいない。万が一を想定し(・・・・・・・)、父上が魔祓い師に儀式を依頼し、それは昨日終えている」

安心させようと言った言葉にカナメの顔が凍りついた。

「どうした?」

心配で近くによると、カナメの目にじんわりと涙がたまり、しかしここは外で人も多く泣くわけにはいかないと思いとどまってグッと目を擦り、そしてマチアスの耳に口を寄せると本当に小さい声で

「いないっていいながら、なんでそんな人に頼むの?頼む(・・)ってことは、いるかもしれない(・・・・・・・・)ってことでしょ?いるって思ってる人がいるってことじゃん!なんでそんなこと報告するの?そこまでのいらないよ。『幽霊や悪霊の類はいない』までの情報で、十分足りてた!少なくとも、今は足りてる!」

と早口で捲し立てた。

「……なるほど。たしかにそうだ」

「真面目に正直に全部報告しなくていいって、どうして頭が良いのにわからない時があるの?おれ(・・)、わかんない……」

「いや、きちんと大丈夫である事を、その、報告した方がカナメは安心するかと」

「しないよ?知ってるよね?知ってるじゃん!そう思うならどうして『大丈夫』で終わらせないの?」

カナメは思わず、取り繕うのも忘れて普通の声で話してしまった。せっかく小さな声で話していたのに、ついムッとしての行動である。

「すまん……」

大きく頷き納得し反省もしたマチアスの隣で、カナメはこれからの一週間の悩みが出来た。

もしかしたら悪霊や幽霊がいたかもしれない(・・・・・・・・)場所に、一週間も泊まるなんて。怖がりのカナメには修行(・・)である。


カナメは自分が泣き虫で臆病な事を、嫌になる程(・・・・・)理解していた。

だからマチアスの婚約者になった時、王子の婚約者が怖がりで臆病で泣き虫はいけないだろうと自主的に感じ、外では少しでもいいから隠そうと努力した。

誰も見ていない時や家族しかいない時、マチアスといる時、そういう時は地が出てしまって泣いたりもするけれど、外では随分と進化(・・)している。

“成長途中”の今はこのように外でも表情が豊かだし、口数も多いし、しょっちゅう泣きそうにもなるので進化の速度は遅めだ。

しかし、実はこれ(・・)があと3、4年もすれば外見はすらっとした長身の中性的な美人に成長し、内面を誤魔化すためか口数は少なく、外見とその口数の少なさで“クールビューティ”などと呼ばれ、令嬢はおろか令息からもうっとりとした視線を送られるのだが──────、この姿を見る事が出来るこの時点で、その未来は想像し難いだろう。

けれどもマチアスは普段の泣き虫で怖がりで普通で、そのカナメがいいなといつも思っていた。

素直に泣いて笑って、普通のカナメだからこそ、一緒にいたいと思い婚約者にしてほしいと父に強請った(・・・・)のだ。


「安心してほしい。私は幽霊の類はほとんど(・・・・)信じていない。もし怖くなればまた(・・)同じ部屋で寝れば問題ないだろう。一晩でも二晩でも、あの時のように手を繋いで話をすればそのうち寝られるだろうから」

「今、ここで、護衛さんたちが多くいる中で、おれ(・・)の恥ずかしい幼少期の話とかする神経……そんけいする」


カナメがちらりと同じ船に乗り込んでいる護衛を見ると、誰もがわざとらしく外方(そっぽ)を向いている。

ここにいる護衛の幾人()が幼い時のカナメの“精霊祭事件”を知っていた。あのカナメの姿を謁見の間で見る事が出来た、王の信頼が厚い護衛騎士がこの旅の同行者として指名されたのだ。

折角だから触れておくと、この“精霊祭事件”というのは精霊祭という祭りの期間中も登城し仕事をする人たちがどこかそわそわ(・・・・)しているのに対し、それを咎めるようにピリピリ(・・・・)としていた険しい顔の騎士たちを見て、幼いカナメは思いきり泣いた。という“事件”。

カナメはもう、それはもう、わんわんと泣いた。謁見の間でも泣き止まず、とにかくわんわんと。国王も王妃も、カナメのこれ(・・)を知るから微笑んでいただけだけれど、十四になった今ではカナメの消したい過去のうち五本の指に入る出来事となっている。


「なんでおれ、アル様と旅行なんて行こうと思ったんだろう」

「それはカナメが俺の大切な──────学友であり、人であるからだろう。そしてカナメもそう思ってくれているからではないのだろうか?」

「ほんと、なんでだろう」


難しそうに眉間に皺を寄せるカナメの横顔は、水面で反射した陽の光でキラキラと輝いていた。

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