第二話 溺れかけた瞳
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取調室にて僕は知り合いの恰幅の良い警察官と細身の警察官に囲まれながら椅子に座っていた。眼の前には白いテーブルが一つ。ドラマでよくみる取調室そのままだ。
「……焦って気づきませんでしたよ、ウエダさん」
「そりゃ、急に警察が来たら誰でも焦るわ」
「……ウエダさん。だべってる暇はありません」
「はいはい」
雑談を咎められた恰幅の良いおじさんポリスメン……ウエダさんはどっこいしょと僕の向かいに座る。
「で、さっそく本題に入ろう」
「はい」
先程まで笑っていたウエダさんの顔が急に引き締まる。ケツアゴがやけに強調される。
「……実は、お前が容疑者なんだ」
「え?!」
唐突なカミングアウトに思わず叫んでしまう。なぜだろう。僕はやってないのに、という犯人特有の言い訳が僕の心に浮かんできた。
「ウエダさん」
「ハッハッハ!冗談よ」
がはは、と大きくウエダさんは笑った。なんだ、冗談か……
息をつき、ほっと胸をなで下ろす。にしても冗談がキツすぎるなこの人……
てっきり僕が犯人に仕立て上げられると思ったよ。
「――さて、ここからが本題だ」
もう一度ウエダさんは顔を引き締め、僕に向き直る。
「今日未明、ここ戸塚区で、殺人事件が起きたのを知ってるか?」
「ええ。ニュースでみました」
この殺人事件は、多分五十代の夫婦が殺された事件のことだろう。
「その被害者の身元が、さきほどDNA鑑定でわかったんだ」
「DNA鑑定……?」
DNA鑑定という言葉にビクッとする。
ウエダさんは、なぜわざわざ僕にDNA鑑定という、具体的な方法を教えたのだろうか。ただ身元が判明しただけならば、どうやって判明したかなんて言う必要はないだろう。
思わず、黒い想像をしてしまう。
そして、自分の両親が今五十代であることを、私は思い出した。
拳を握りしめて、ウエダさんの次の言葉を待つ。
ウエダさんは、渋い顔で、「言いたくない」というオーラを放っている。
ため息をついたあと、ウエダさんは口を開き僕の予想を当てに来た。
「……被害者は。お前の両親だった」
「……」
唖然としてしまう。
思わずははは、と乾いた笑いを浮かべながら天井を見る。
嘘だ、と言いたい。でも、この言葉にはDNA鑑定という後ろ盾がついている。
だから、その言葉が真実であることは、猿でもわかる。
受け入れたくない事実に、僕は思わず涙を流してしまう。
「……緑谷」
ウエダさんの優しい視線が僕に突き刺さった。
一通り涙を出し切ったあと僕はねぎらいの言葉と共に開放され、自宅に戻っていた。
ドアを開けると、何故かミユがソファで寝ていた。
「……毛布かけないと風邪引くよ」
すーすーと寝息を立てながら眠るミユに苦笑しながら毛布をかけてやる。熟睡しているようで、僕が帰ってきたのに全く起きる気配がない。
足音を立てずに、着替えをとって風呂場へ向かう。
浴槽にお湯を張りながら考える。
……両親は性格の悪い夫婦だった。幼い頃から優秀な兄に構ってばかりで、何もかも平凡な僕には、まるで居ない存在かのように扱われた。大学進学とともに実家を出てからは一人暮らしをしているため、今は別々に暮らしている。ちなみに兄は未だに実家にいる。
大学の学費も払ってくれず、僕に払わせるような親だったが、それでも僕を十八歳まで育ててくれた生みの親だ。恩は未だに返しきれない。
だからせめて高校に払ってくれた学費くらいは返そうと仕送りして、まだ返し切っていないのに……ふたりとも、しんじゃった。
お湯が十分に溜まったため、お湯を止めて体をきれいに洗ってから浴槽に沈む。四十度のお湯が僕の体に染み渡る。
「ほへ〜……」
息とともに疲れを一気に吐き出す。全身からコリが抜けていく感触がした。
にしても、犯人は誰なのだろう。ウエダさんは「犯人は足跡すらつかめねえ」なんて言ってたし、当分は捕まらないのだろう。
そして、なぜ犯人は両親を殺したのか。
両親は、誰かに恨みでも買われたのだろうか。
二人は医者であるため、手術に失敗して、逆恨みした患者に殺されたのかな……とか色々考えてみるが、敏腕医師である二人が患者に殺されるほどの失敗を犯したことはないだろう。
実の親を失った悲しさと、どんどん膨らんでいく謎に耐えきれず、僕は風呂から出て、寝る支度をしてさっさとベッドに入ったのだった。
しかしあんなことがあって寝れるわけがない。
真っ暗な天井を除いていると、ガラッと寝室のドアが開いた。
「あら、悠。起きてるの?」
ドアの方をみると、何故かミユが立っていた。
「……寝れないんだよね。にしても何?こんな深夜に。夜這い?」
「んな……そ、そんなわけないでしょ?」
ミユは一瞬顔を赤らめたが、瞬時にすました顔に戻る。頭に疑問符を浮かべながら聞いた。
「じゃあ何しに来たのさ」
「……なんでもいいじゃん。さっき起きちゃったのよ」
そんな事を言いながら、ミユはしれっと僕の布団に入ってきた。
「……これ一人用」
「入るじゃん」
ミユは少し布団から出てしまったが、急に僕の背中に抱きついて無理やり布団の中に収まる。
「急だなあ。甘えたい気分なの?」
「あら、それは悠の方じゃない?」
「……」
急に真面目な声で返される。そう。甘えたいのは僕だ。今すぐにでも気持ちを吐き出して、ミユに甘えたい気持ちだ。
「なにか、あったの。警察署で」
「……」
黙り続ける。言えなかった。言ったら、僕のダムが崩壊してしまいそうだから。
「そう。話しづらいのね」
ミユは僕から離れ、布団から出た。
「悠。今から行きたい場所があるの。来てくれる?」
「今から?まだ深夜でしょ?」
急な提案に思わず困惑する。
「いや、もう夜明け前よ」
「……」
唖然としてしまう。そんな時間まで、僕は寝れずにずっとぼーっとしていたのか。自分の中でのこの事件の大きさに驚いてしまう。
それだけ、両親が大事だったのだろうか。
「どこに行くの」
「秘密」
ミユは人差し指を唇の前に立てる。その姿には、有無を言わせぬ大人のオーラが出ていた。
「……わかった。今すぐ着替えるよ」
二人で着替えて外に出て、マンションの駐車場に止めてあるミユの車に乗り、助手席に座る。
「そういえばミユ。今日の仕事はどうするの?」
「休む」
「そんな軽々と休んでいいの?」
「いいの」
強くその言葉を発しながらミユはエンジンをかけ、アクセルを強く踏む。静かに車は発進した。
そのまま無言で三十分走り続け、ミユはとあるコインパーキングに止めた。
そのまま車を降り、ミユはすたすたとどこかに向かって歩きはじめてしまう。
「ま、待って!」
慌てて走って追いつき、ミユの隣に並んで歩く。
公園らしき場所に入り、奥にある階段を二人で登る。ミユは一体どこに向かっているのだろう。
徐々に日が昇り、真っ赤な光が前を照らす。
開けた場所にでる。すると、奥に展望台らしき塔が見えた。そこを二人で登る。
「ついたわ」
階段が終わり、頂上についた。
そして目に映った光景を一望し、思わず立ち止まってしまう。
「わぁ……」
第一声がそれだった。目の前には一面、朝日に照らされる住宅街が広がっていた。
「きれいね〜」
ミユがそう呟いた。数分間、僕らはこの景色に見入ってしまう。
「ねえ悠」
「なに?」
優しい声で、ミユが話してくる。
「どう?朝日は」
「……清々しいね」
目の前を見ながらそうつぶやく。
「うそつき」
すると後ろからミユが抱きしめてきた。
「ちょ、なんのまね――」
「強がらなくていいの。私ならわかる。悠は今、強がってるだけだって」
「……」
その言葉に、黙って下を向く。
「ねえ、話してみてよ。何があったのか。……本当に、清々しい朝日は、まだ見れないよ」
ミユはそう優しく、僕にささやく。
そんな言葉を言われたら……もう、耐えきれないや。
僕は、ミユに、負けた。
それから、全部話した。
両親が殺されたこと。あんな親だったけど、死んじゃったらやっぱりすごい悲しいということ。そして、なにもわからなくて怖いこと。
ぜんぶ、ぜーんぶぶちまけた。
「……辛かったね。パパとママ、死んじゃって」
すべてを話し終えると、ミユは片手を離して僕の頭を撫でながらささやく。その声は、まるですべてを悟って、受け入れてくれる聖母のようだった。
頭で感じる手の柔らかさと温かさに、思わず涙が出そうになる。僕は男の意地でぐっと耐えた。
しかし、ミユは本当に僕のことなら何でもお見通しのようで――
「泣いていいんだよ」
優しく。あくまで優しくそう言った。
ああ、この人は、本当に僕のすべてを理解しているんだ……
そう思っていた瞬間、封鎖していたダムは決壊し、一気に床を濡らしていく。
情けなく嗚咽を漏らす僕を、ミユはずっと優しく抱きしめてくれた。
咽び泣く中、だんだんにじむ目の前の景色に、清々しいと感じた。