第一話 襲来
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リモコンを握り、お昼のニュース番組をつける。 『今日未明、50代の夫婦が横浜市戸塚区にある住宅のリビングで、胸などを複数回刃物のようなもので刺されて死亡しているのが見つかりました』
日曜日、マンションの一室。僕――緑谷 悠――は、昼ごはんを食べながらそんなニュースを聞き流していた。
横浜市戸塚区。……僕の住んでいる地区だ。身近で殺人事件が起こるなんて、なんと恐ろしい。
『遺体の顔には黒い塗料なものがぶちまけられており、それを落とすことができずに、身元が特定できない状況であります。神奈川県警は殺人事件と断定し、捜査を続けております』
焼いただけの肉に、焼肉のタレをかけて頬張る。 最近、買った覚えのない肉がよく冷蔵庫の中に置かれていて、それをよく食べている。味はなんとも言えず、牛とも豚とも、鶏肉とも断定し難い味だった。だけど、美味しい。なぜか、とても美味しい。 本当に、だれがこんな肉を冷蔵庫に入れたのだろうか。
ご飯を食べ終わり、仕事の続きをしようと液タブのペンを握る。すると鍵を回す音とガチャン、とドアが開く音がした。
額を押さえてため息をつく。
「勝手に入らないで。あと仕事中」
振り返らずに言い放つ。不法侵入の主は笑いながら返してくる。
「良いじゃない〜。お隣さんなんだし、実質一緒に住んでるようなもんでしょ〜?」
「……いつものその理論、頭が痛くなるからやめてくれ」
「どうしたの?体調悪いの?」
「あのねえ……」
額を再度抑える。 振り返れば予想通りの人物が立っていた。
このおバカっぽい人はミユ。僕の幼馴染で、隣の部屋に住んでいるお姉さんだ。 よくどこからか手に入れた合鍵を使ってうちに入ってくる。仕事中でも、容赦なく突撃してくるため本当に困ったものである。
「そういえばご飯もう食べた?」
「さっき食べ終わったよ」
「そっか〜……」
なにか残念そうにするミユ。そういえば、ミユは、今手に何かが入っている袋を持っている。
「その袋の中、何が入ってるの?」
「……とんかつ」
「胃もたれするよ」
「もうそんなに年老いちゃったの?!」
「冗談」
どうやら、お昼ごはんを持ってきてくれたらしい。
「全くもう……冷蔵庫に入れとくから、夕飯にチンして食べなさい」
「うみゅ〜。ありがとう」
「何、その返事」
変なの、とクスクス笑いながら冷蔵庫に向かうミユさん。再びため息を付き、液タブに向き合う。そして仕事を再開する。いつの間にかミユさんは冷蔵庫から取り出したジュースをソファで飲んでいる。人の家で勝手にジュースをかっぱらってくつろぐなんて、とんでもない人だ。
僕はその後一時間ほどペンを動かした。疲れたので一度大きく伸びをする。
「にしても仕事熱心ねぇ。休日にもペンを動かすなんて」
「こっちも大変なんだよ。納期とか」「へぇ〜」
休憩のために立ち上がってソファに座りにいく。僕が座るとわざわざミユは僕の真隣まで移動してきた。
「近くない?」
「そうかしら」
意味のない会話をしながら再び大きく伸びをする。
「コーヒー淹れようか?」
「ほしいけど、うちに豆ある?」
「あるわよ」
「じゃあお願い〜」
はいよ、と返事してミユはコーヒーを淹れに行った。うちのコーヒー豆の在庫を把握しているあたり、ミユは僕の家のことならなんでも知ってそうだ。実際あの人は、平日も僕の家に度々来てはご飯を作ってくれたりするため、もはや僕らは同棲しているに近しい。
よくわからない肉を冷蔵庫に入れてるのも、ミユだろう。
スマホでネットサーフィンしていると、ミユがマグカップを両手に持って戻ってきた。コトン、とソファの前にあるテーブルに置く。
「はいよ〜」
「あざ〜す」
スマホを置き、マグカップを持ち上げて一口飲んでみる。瞬間、コーヒー特有の苦味が口に広がった。
「ん、美味しい」
しかし、僕はコーヒーはブラック派なのでその苦味が大好きである。
「ん〜。我ながら美味」
ミユもドヤ顔をしながらコーヒーを飲む。ミユは大の甘党であるため、そのコーヒーにはミルクと砂糖がこれでもかと入れられているだろう。
「あ、ねえねえ」
「ん〜?」
ミユがマグカップをおいて話をしようとした瞬間、ピンポンとチャイムが鳴った。
はいは〜い、とドアを開けに行く。休日の昼間に来るなんて誰だろう。別になにかをネットで注文したりした記憶はないので、そのドアの向こうにいるのがだれかさっぱりわからない。
ガチャ、とドアを開けてみると、そこには予想を遥かに超えてくる人物が立っていた。
そこには二人居た。一人は恰幅のよいおじさんで、もう一人は細身の若い男性。ふたりとも青のズボンに、長袖の青いジャケットを着ている。しかもジャケットの左胸には非常に見覚えのある金色のマークがついている。
眼の前に立っている人物がなんなのか察してしまった僕はポカンと口を開けて固まってしまう。
そんな僕をよそに、恰幅の良いおじさんは胸ポケットから何かを取り出し、開いて僕に見せる。
「警察です」
本物の警察手帳を僕に見せつけながら、おじさんはそう名乗ったのだった。