3 お祝いムードと戸惑いと
マニフィカ邸の使用人は、学院入学前と変わらず執事一人だ。
当然の如く彼は多忙で、よほどタイミングがよくなければ、マリアベルの出迎えなどできはしない。
幼いころから貧乏育ちのマリアベル。今更、出迎えの有無など気にしてはいなかった。ないのが当たり前なのである。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「た、ただいま……?」
「お嬢様がご帰宅なさったと、お父上に伝えてまいります」
「え、ええ……」
だが、今日は帰宅と同時にすっと執事が現れて、当主である父に知らせにいった。
まるで、マリアベルの帰りを待っていたかのようなタイミングである。
なにかしら、今日はみんな変ね、と、広さだけはあるエントランスホールで首を傾げていると、慌てた様子の父がやってきて。
「ベル! お前宛てに、アークライト家から婚約の打診がきた!」
二階の廊下の手すりから身を乗り出す勢いで、興奮気味に叫んだ。
階段をおりてマリアベルの前に立つことすらせず、エントランスから続く階段の上でそう言ってくるのだから、よほど早く伝えたかったのだろう。
「アークライト家から、婚約の、打診……?」
父の言葉がいまいち飲み込めず、マリアベルはぽかんとした。
そんな彼女とは対照的に、マニフィカ伯爵は、
「もちろん、お相手はアーロン様だ! よかったな、ベル」
と、階段をおりつつ、娘を祝福する父親モードで笑う。
「今日は祝いの晩餐だ! さあベル、みんなで夕食にするぞ!」
「え? え? お父様、ちょっとまっ、おとうさま」
そのまま、あれよあれよという間にダイニングへと連れていかれる。
今日はお祝いだと、夕食はいつもよりちょっと豪華で。
両親も、少し年の離れた弟たちも、執事も、「おめでとう」「アーロン様なら安心だ」「よかった」と口にする。
マリアベルはまだ、イエスもノーも言っていないし、婚約の打診にも現実感が持てていないのだが、家族はもう完全に婚約決定ムードである。
末の弟など、「姉さんの貰い手があってよかった」などと言いだす始末だ。
めでたいめでたいと繰り返す家族に押されていたマリアベルであったが、夕食の途中、流石に流されっぱなしではいられなくなって。
「ちょっと……ちょっと待ってくれません!? 私抜きでお祝いモードにならないで!? お父様、まず、アークライト家から婚約の打診がきたという話は、本当なのですか?」
「なんだベル、照れてるのか? アーロン様とは長い付き合いだからな。急に婚約と言われて、恥ずかしいのかもしれないが……」
「いえ、だから! 本当に婚約の話がきたのかと聞いているのです!」
「本当だよ? 今日、アークライト家から『マリアベルに婚約を申し込みたい』と封書が届いたんだ。後日、両家で話す機会を設けるから……」
「何故アークライト家が私などに!?」
「何故って……。なあ」
マニフィカ伯爵は、妻、息子たちと顔を見合わせ、肩をすくめる。
そんなの、言うまでもないじゃないか。やれやれマリアベルは。――そんな様子である。
この場で、どうして婚約を申し込まれたのかを理解していないのは、マリアベルのみだった。
アーロンがマリアベルに惚れ込んでいることは、マニフィカ家一同にもバレバレだったのである。
この国の貴族は、10代半ばほどで婚約を結ぶことが多い。
王立学院に通うのは、16歳になる年からの三年間だから、学生になる少し前か、在学中に婚約相手を決める者がほとんどだ。
だから、1年生のマリアベルと2年生のアーロンであれば、婚約の時期としては妥当。
アーロンの気持ちを知る者たちからすれば、やっと動いたか、といったところではあるが。
「こういうことですか、アーロン様……」
マリアベルはようやく、アーロンの様子がおかしかったのは、この話を先に知っていたからだ、と気がついた。
アークライト家からの申し出で、相手はアーロンなのだ。彼だって、把握しているに決まっている。
「この話、もちろん受けるだろう? アーロン様との婚約だなんて、マニフィカ家当主としても、父としても、本当に喜ばしいよ」
「そ、それは……」
「アーロン様は、昔からずっと、お前のことを大事にしてくださっている。家としても、父として娘を任せたいと思えるかどうかにしても、これ以上の話はないよ。ベル」
父の言うことはもっともだった。
アーロンは国の剣とまで呼ばれる武の名門、アークライト公爵家の嫡男。
対してマリアベルは、貧乏伯爵家の娘で、令息とのその手の話は全てぶっ壊れてきた。
アーロンは、令息が逃げ出す女であるマリアベルに対して、態度を変えることなくずっとよくしてくれた素敵な人だ。
父の言う通り、家柄と人柄の両方において、これ以上の婚約相手はいないだろう。
だからこそ、どうしても気になってしまう。
相手など選び放題のアーロンが、自分などと結婚していいのだろうか、と。
貧乏娘のマリアベルが、名門公爵家のアーロンに提供できるものなど、ないに等しい。
あるとすれば、魔法の腕と、その力を継いだ子供ぐらいだが……。
マリアベルが特殊なだけで、マニフィカ家そのものは、魔法の才に恵まれた家系ではない。
マリアベルと結婚し、子を持ったところで、魔法に秀でた子が産まれるとは限らないのだ。
「あの、お父様。私……」
婚約の話は、受けられません。
そう続けようとして、言葉に詰まる。
アーロンがいつも優しいから、自分たちは対等であると勘違いしそうになるが、マリアベルとアーロンの――マニフィカ家とアークライト家のあいだには、明確な力の差が存在する。
伯爵家の、それも財政難に陥っている家の娘が、公爵家からの申し出を断ることなどできはしない。
かといって、アーロンの期待に応えられるかどうかもわからないのに、手放しで婚約するわけにもいかない。
――正式に婚約する前に、一度アーロン様と話し合うべきね。
相手のいることなのに、一人でぐるぐると考えていたって仕方がない。
マリアベル側に拒否権はないが、事情を話してアーロンに再考してもらうことはできるはずだ。
そのうえで、アーロンに選択してもらえばいい。
そう考えると、マリアベルは、婚約を受けるとも受けないとも答えないまま、今日のちょっぴり豪華な食事を楽しむ方向に切り替えた。




