其の84 やることが沢山
昨晩寝た時は、疲れ切っていたので直ぐ寝てしまいましたから気になりませんでしたが、今朝鐘の音と共に目が覚めて、改めて隣の寝台にアリシアの姿がないことを見ると、普段見慣れた光景とは異なる状況に不意に物悲しい心持ちになりました。
(オハヨー、ミリー。今日はナニするの?)
……まぁ、頭の中にいるのですけどね……。
(おはようございます、アリシア。今日はハイディ先生から、例の革の塊を見せてもらうつもりなのですけれども……)
その前にやっておかねばならないことが幾つかあります。急いで着替えると下に降りました。
朝食の為に食堂に降りると、既にみんな集まっていました。
「みなさん、おはようございます」
「おはよう、ミリー!」
「待ってたわ!」
「早速ヨロシクね!」
朝食を取るよりも前にわたしの前に列が出来ました。
「……これはまた随分と活躍した様ですね……お役に立てて何よりですが……」
昨日は、まず何は無くとも寮の建物の魔石に魔力を込めましたが、今日は寮の者の為に配布した、護身用の術具に魔力を込めなければいけません。何せコレはわたしの魔力に依存する術具なのですから込められるのはわたしだけです。
思っていた程、既に使用している者が多く殆どの者が魔力が空になった術具を持って並んでいます。
……これは役に立っていると喜んで良いのやら、思った以上に殺伐とした状況になっていることを心配した方が良いのやら……。
複雑な心境のまま順に魔力を込めていくのですが、それと並行してもう一つの目的を果たします。
「レイ、今から上げる名前を書き留めておいて下さいますか?」
ここにいる者達は、全てわたしの魔力である気色に包まれていますが、頭の上からそれが昇っている者とそうでない者のとで分かれました。
全て込め終わった後で、昇っていない者だけを集めて確認作業に入ります。
「別段これで特に何がある訳でもないのですが……。いつものわたしの研究とでも思っておいて下さい」
一人として拒否する者はなく、一人一人調書をとった所、その者達の共通項は国籍がラミ王国外の者であるということでした。
……他国の諜報員がここにいるのは今更ですからそこについては驚きませんが、こうもハッキリと別れるとは……あら? でも一人例外がいますね。
「……確か、貴女はラミ王国の出身ではなかったですか?」
詳しく聞いてみると、最近婚姻して籍が他国に移ったのだそうです。羨ましいですね。
(アリシア、これはどう思いますか?)
(学生結婚のこと?)
(違います!)
(あー魔力のことね。でもこーいったことは、アンナさまの方が詳しいんじゃない?)
(あの方は、この手のことは何時も口をつぐんでしまうのですから聞いても無駄なのですよ。アリシアから聞いてみて下さいますか?)
(オッケー!)
こういった時に任せられる者がいるのは助かります。精々アリシアからの質問攻めにあって下さい。いつも無視する貴女が悪いのです。
取り敢えず理由はわからないまでも原因がわかりましたので胸の支えが少し取れました。アリシア、後はよろしくお願い致しますね。わたしはまだやることがあるのです。
朝食を終えると、レイを伴いミーシャの案内でハイディの待つ教練棟へ向かいました。
「今日はまた随分と静かですね……」
不意に魔工学の棟が倒壊した時のことを思い出し、嫌な予感が頭をよぎりましたが杞憂でした。
「明日はもう成績優秀者の発表になりますから、教師達もここには殆どいませんよ。それにしてもわざわざミリーが出向かなくても、呼びつければ良いですのに……」
レイがミーシャを睨み付けています。
「これでもあたし、頑張ったんですよ!」
「レイ、そんなことをいうものではありませんよ。わたしでしたら構いません。丁度良い運動です。それよりも昨日の今日で有難う存じました。で、ハイディ先生がいらっしゃるのは史学科の教員室で宜しいのですね?」
「はい。逃げない様にしっかり縛り付けておきました!」
「え?」
なんでも、わたしが彼女に用があると告げると、一目散に逃げ出そうとした為、その場で押さえ付けて椅子に縛り付けて放置してあるそうです。
「……それは……昨日からですか?……」
「はい。流石に今は大人しくなっていると思いますよ」
「……急ぎましょう……」
慣れない杖を突き、出来る限りの早足で向かいました。
部屋の鍵はミーシャが持っており、急いで扉を開けさせると、部屋の中から異臭が漂ってきて思わず眉を顰めてしまいました。
中を見ると中央で椅子に縛り付けられ、頭から袋を被せられてぐったりしている者の姿が見えます。少しは動いていますから既に事切れている訳では無さそうでしたが、流石にそのままにしておく訳にはいきません。
「ミーシャ! 直ぐに袋を取って差し上げなさい!」
「はい!」
中からは、さるわぐつを嵌められたハイディの姿が現れました。その顔は恐怖と羞恥で顔がぐしゃぐしゃになっています。
……昨日からこの格好をさせられていたら仕方がありませんね……わたしの興味本位でこんなことになってしまい、申し訳御座いません……。
後でミーシャに注意をしておくことを心の中で約束し、異臭の正体であろう彼女の下に出来ている水溜りを見つめながらアリシアに頼みます。
(……魔法を使って、洗ってあげて下さいませ……)
(プププ……。オッケー!)
水で彼女の全身や周りの洗浄を行い、そのまま汚物をどかすと炎で乾燥。相変わらず見事な操作であっという間に彼女とその周りが綺麗になりました。
これはあくまで善意による行ないなのですが、怒涛の魔法による無理矢理な洗浄は、やられている本人にとっては拷問と大差ないかも知れません。ですがこうでもしなければとても近くに寄って話すことができないのです。近寄りたくありません。
洗浄が終わっても、以前項垂れたままの彼女の前に立つと、なんでもなかったかの様な笑顔で挨拶をしました。
「ご無沙汰しております、ハイディ先生。ミリセントです。今日は先生にご相談が御座いますので伺った次第なのですが、お話ししても宜しいでしょうか?」
逆上していきなり襲い掛かられても困りますから戒めはそのままにして、さるわぐつだけはミーシャに取らせているのですが、中々返答が返って来ません。暫く待ってやっと喋ったと思ったら、わたしの目を見ずに下を向いたまま震えた声で絞り出す様に一言だけ。
「……わ……わたくしに復讐ですか……」
「あら、滅相も御座いません。何か心当たりでもお有りなのですか?」
流石にいきなりこんな仕打ちをされて仕舞えばその考えにも至るかと思いますが、ここで下手なことをいおうものなら全てわたしのせいになってしまいます。余計なことはいわず惚けておくのが得策でしょう。
「……例の……件なんでしょ……」
……人は窮地に陥ると、悪い方へと勝手に考えが進むものなのですね……。
わたしが何もいわない内から、わたしとアリシアがあの様な目に遭ってしまったのは、自分があの革の塊を持ち出したことに責任がある。大変申し訳ない。後悔しているなどといい出しました。
わたしとしてはこのまま勝手に罪悪感に苛まれてもらっていた方が後の交渉がし易く、都合が良いのですから構いません。大人しく聞いていてあげましょう。なので暫く放って置いて勝手に喋らせていたのでしたが、ひとしきり懺悔にも似た後悔の念を話し終わると、項垂れたまま絞り出す様な声で「……もうこれ以上は辱めないで下さい……いっそ殺して……」そのまま泣き崩れてしまいました。
……しまった! ……調子に乗って見ていて止め時を見誤ってしまいましたね……。
無理もありません。一晩中こんな所に一人置かれて、いい年をした女性がこんな辱めを受けさせられていたのです。最早正気ではいられないでしょう。
彼女の中では行き着く所まで行ってしまった様です。これは面倒なことになってきました。
さてここからどうやって話しを持っていくべきかと思案していましたら、突然レイが腰の剣を抜き放ち、「その意気や良し! ならば即刻その首を刎ねてやろう! お覚悟!」今にも切り掛かりそうになりました。
───えッ⁉
慌てて止めに入りましたが、如何せん背丈が違いすぎ止めるのが大変です。
「ミーシャ! 貴女も一緒になって後押ししないで手伝いなさい!」
 




