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其の36 激怒

 怒りが過ぎると逆に冷静になってくるものなのですね。 

 頭の中のアンナ達は「落ち着け! 落ち着け!」と大騒ぎしていてうるさいですが。


 ……大丈夫、落ち着いています。淑女らしい振る舞いは崩しませんよ。


 身体中が痛いですがそんな素振りは見せずに、なんでもなかったかの様に立ち上がると手櫛で簡単に髪を整え、先程声が聞こえてきた方に向きます。

 眼鏡がないのでよく見えませんが輪郭でそれとなくはわかります。視界が悪いので睨み付けている様になっているのは仕方がありませんね。


(……アンナ……聞こえてますね。わたしの代わりに、しっかりと彼女達の顔を覚えておきなさい)

(う、うむ!)


「貴女方のことは覚えました。いずれまたご挨拶させて頂きますね」

 

 これくらいの嫌味は言わせて下さい。

 気がつけば方々から唾を飲む音が聞こえる程に周りが静かになっています。よくわかりませんがこれならばわたしのか細い声でも通ることでしょう。


「レイチェル。いらっしゃいますか」

「は、はい!」


 駆け寄ってきてすぐに手前で止まる音がしましたので、近くにいたのでしょう。


 ……お手間をお掛けしますが、落ちている眼鏡を拾って下さいませ。大事な物なのです。


「アリシア、手を」


 スッと右手を上げれば、すぐに掌を合わせてくれた感触が伝わります。


 ……ありがとう存じます。ですが、何故汗ばんでいるのでしょう?

 

 揉みくちゃにされていましたので、今の位置関係が分かりません。一体どこに向いているのやら。アリシアに中央へと向かせてもらい、姿勢を正すと暇の挨拶をします。


「みなさま、ご歓談中にお騒がせして申し訳御座いません。わたし共はこれにて失礼させて頂きます。みなさまはどうぞごゆるりお過ごし下さいませ」


 もちろんまだ終わりの時間ではありませんから帰りの馬車の用意は出来ていません。この状況ではこの家の者を探すのも難儀しますので、申し訳ないですがレイに馬車を屋敷の正面まで呼びに行ってもらっています。それに合わせてアリシアに手を引かせると、静かになっている大広間をゆっくりと退出しました。





 帰宅の道中、馬車の中は三人も乗っているのに静かです。

 御者も何も言わずに私たちを乗せると無言で手綱を握り馬を走らせていました。


(みなさん、どうされたのでしょうね?)

(それはお主……)

(ミリーちゃんがね、怖いからよ。わたし達も大変だったもの)

(え?)

(頼むから感情を昂ぶらせんでくれ。締め付けられるようで痛いんじゃ)


 淑女らしい振る舞いのつもりが、周りを威圧していたのだそうです。


(お主が覚えておけといった娘共なぞ、震え上がっておったぞ)

(周りの人達もよ)


 眼鏡がなくてよく見えませんでしたがまさかそんなことになっていたとは……。

 

(な、ならアリシア達もですか?)


 だから二人とも押し黙っているのかと思ったら少し違いました。


(こやつ等は、恐れているというよりも驚いて放心しとる様じゃぞ)


 ……それは聞き捨てなりません。


「アリシア! レイ! 大丈夫ですか?」

「いやいや、大丈夫か、なのはミリーの方だよ。痛くないの?」

「はい?」

「いやだって、ほら頭から血が……衣装にまでついてるよ」

「えぇ⁉︎ 早くいって下さいよ!」


 興奮して痛みを忘れていたのか、今になって痛い気がしてきました。


「あまりに悠然としているものだから、なんともないのかなって思ってた」

「そんなことありません!」


 オロオロとしているわたしに、レイが布を何枚か取り出すと血を拭いてくれ、その後に優しく頭に巻いてくれました。


「頭からの出血は、見た目よりも大事になっていないことが多いのですけれども、一応戻りましたら安静にしていて下さいね」

「……はい、ありがとう存じます……」


 ……流石レイです。普段からの稽古で流血慣れしているからか処置が的確ですね。


 頭の布に手をやりながら先程の失態を返りみりました。


「お二人とも、驚かせてしまい申し訳御座いませんでした。つい頭に血が昇ってしまい……」

「確かに驚きましたね。稽古中のうちのお父様よりも怖かったですよ」


 クスクスとレイに笑われてしまいました。


 ……お恥ずかしい……。


「ホントホント、そんなにちっこい身体の、どこからあんな地獄の底から聞こえてくる様な声が出てくるんだって、驚いたもん」


 ……アリシア、後で覚えときなさいよ。






 アリシアの家に戻ってからが大変でした。

 

 出迎えてくれた女中の二人は、わたし達が予定よりも早く戻って来たことにも驚いていましたが、それ以上にわたしの姿を見て声を上げて驚き、すぐにレニーとホルデを呼びに飛んで行ってしまいました。そして二人が戻ってくるよりも早くにレニーがやって来ると、慌ててわたしに駆け寄ろうとしたのですが、それをホルデが押し留め「今はすぐに傷の手当てをして休みなさい。詳しいお話しは明日に」静かに怒られました。


「ミリセントはすぐに寝室へ。アリシアとレイチェル嬢はこちらへいらっしゃい」


 その日は夜遅くまで話し合いをしていたそうです。


 ……お騒がせして申し訳御座いません。




 

 翌朝、目覚めは悪くありませんでした。

 気持ちも悪くなく、頭からの血も止まっています。

 

 昨日、レニーがすぐに医者を呼んでくれて処方をしてもらったのですが「あーこれはガラスか何かで切ったな。これなら縫う必要もなさそうだ。傷跡は残るかもしれないが髪の毛の下だし問題なかろう」と。それを聞き、わたしやレニーは安堵していたのですがホルデは「うら若き乙女に傷が残るのを何でもないとはどういう事ですか!」と一喝。


 ……わたしまで一緒に叱られたのは理不尽だと思いますよ。


「ミリセントお嬢様。起きられましたか?」


 わたしの起床を察した娘さんの方の女中が顔を洗う桶を持って入ってきました。何せ眼鏡がないから屋敷内の移動も危ないです。

 このま食事を寝室で取るか問われましたが、特に体調は問題なさそうなのでみんなと一緒することに。


「ではご案内致しますね」






 手を引かれて食堂に着くと既に三人は席に着いており、わたしの来るのを待っていた、というよりも待ち構えていました。


「お早う御座います。ミリセント。お加減は如何かしら。吐き気とかはありませんか?」

「おはよう御座います。体調は問題ありません。お陰様ですっかり元気です。昨日はお騒がせして大変申し訳御座いませんでした。」


 ホルデだけでなく三人に向けて謝ったのですが、何か雰囲気がおかしいです。みなさんからの反応が希薄でした。

 表情がよく見えないのでわかりませんが、レニーはいつも通りとしても、いつもならここ等でチャチャを入れるアリシアまでもが静かです。


 不思議に思いながら小首を傾げていますと「体調が良いといっても昨日の今日です。あまり無理をせぬ様に。お腹も減っているでしょう?」着席を促されます。


 確かにお腹が空いていました。随分と力を使ったのでしょう。優しい味が胃に染み渡ります。


 いつもより静かな朝食を終え、食後のお茶を飲んでいる最中にホルデが切り出しました。


「昨日の件につきましては、アリシア達からおおよそのことは聞いています。怪我を負ってしまったことについては不注意甚だしいですが、貴女の行った対応に関しましては特に問題は御座いません。むしろ良くやったといえましょう」


 ……よくは見えませんが、ニヤリと笑っている気がしますね。


 クレイン公爵邸で行われた懇親会に於いて、完全に主役を奪った格好になっているといわれました。


 衣装を血で汚してしまったことについて叱られると思っていましたが「私達の衣装は殿方にとっての武具甲冑と同じです。気にしてはいけません。むしろその場で慌てふためく様なみっともない姿を晒さなかったことを褒めるべきでしょう」何でもないと一蹴されました。

 

 ……流石、武家の妻ですね。


 本当は頭に血が上り怪我に気が付かず、更に眼鏡がなくて血が見えなかっただけですけれども、余計なことはいわないでおきましょう。


 お叱りを受けずに安堵していましたら、矛先がアリシアに向かいました。


「問題は貴女ですよ」

「申し訳ありません……」

「常に毅然とした態度でいる様、常々申しているではないですか。何のために修練を積んでいるのでしょう。レニー、貴方の教え方が間違っていたのではないですか?」

「う、うむ……」


 とうとうレニーにまで飛び火してしまいました。申し訳御座いません。

 

「みなの前で逃げ惑う醜態を晒し、挙句の果てにこんな小さな子を盾にするだなんて……ホント恥ずかしい……」


 ……お養母さま、もしやわたしとアリシアが同学年なのを忘れてやしませんかね?






 お茶が冷めてしまい、入れ直してからもなおホルデのお説教は続きました。このまま来客がなければ昼を過ぎても続いていたかも知れません。


 みんながうんざりとしている中、コンコンと戸を叩き年配の方の女中が部屋に入ってきました。


「旦那様、奥様。クレイン公爵家の使いの者だと名乗る方がお見えです」

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