其の225 最終話 二人の決断 後編
幸せな時というものは、例え短い間だっとしても長く感じるものです。一体どれ程の間、忘我の境地を彷徨っていたのでしょうか。
「おかーさーん、まだー?」
───ライナ!?
突然声を掛けられ、驚いて目が覚めると、今まで全身を纏っていた柔らかな感触は全て消え去ってしまい、石の玉座に腰を強かに打ってしまいました。
……アイタタタタ……。
何事かと思いましたが、理由はすぐにわかりました。
『流石にこれ以上は、ライナちゃんに見せられないからね!』
『アリシア!?』
いつの間にか彼女はわたしの中に戻っていました。
『続きはまた今度、ゆっくりとね!』
……つ、続きだなんて……。
先程までのことを思い出して思わず顔が熱くなります。
「す、すぐに戻ります! ですからもう少し待つ様にいっておきなさい!」
入り口から顔を覗かせているライナへ叫びました。こんな顔ではとても人前に出られません。
……見られては……いないですよね?
扉からは距離がありますから大丈夫だとは思いますが不安です。
……平常心平常心……。
少し落ち着きましょう。
深呼吸をして、腰の痛みも気にせず懸命に落ち着こうとしていたのですが、元凶が邪魔をしてきてしまいます。
『そんなゆっくりしてていいの? みんな待ってるわよ?』
『わかっていますよ!』
……全く……誰のせいですか……。
しかし火照りを鎮ます以外にも、今やらなければならないことがあるのです。
『まだ一仕事残っています。それを終えてからでないと出られません』
『あれ? まだここでやらなきゃいけないことなんて、あったっけ?』
『この部屋の装置の設定を変更します』
オババから聞いて書き留めた紙の束を集めると早速作業に取り掛かりました。
その目的は、わたしが存命の内はここを使える様にしておくこと。
この部屋を維持するだけでしたらそこまでの魔力は消費しません。今までよりも少なくなるのですから国民の負担は少なくなります。しかしそれをやってしまうとアンナと変わりありません。流石にそれをは駄目でしょう。
……アリシアも気兼ねしてしまうでしょうしね……。
幸いわたしには唯一の特技ともいえる人並外れた魔力があります。更に今のわたしの中に居るのはアリシアだけですから、他の者に使う余分な魔力を必要としません。ならばここをわたし以外の者が入れない様にしておくのと、アリシアと会う時にだけ霧を満たすことに使う分には充分。
……不本意ですが、一応このことだけはアンナさまに感謝をしておきましょうか……。
釈然とはしませんが、彼女が居たお陰で諸々が可能になったのです。
それと今まではサッサとこんな地位なんて放り出す気満々でしたが気が変わりました。
……今後も国民のみなさま方が住みやすい国造りをしていく為に尽力を注いで参りますので、暫くの間はこの地位に居ることをお許し下さい……。
我儘で自分勝手なのは百も承知です。君主が持つべきものの多くは特権などではなく、義務であるのも理解しています。ですがたった一つ、これだけは許して下さい。その為ならば生涯この身を国民に捧げましょう。
心の中で大陸中に住う全ての者に対して謝罪しながら誓いました。
本来ならばこの部屋も不要でしょうが、わたしが亡くなれは自動的に魔力の供給も止まりますので、その後は他の者でも使用出来る様になります。問題も無いでしょう。
……しかしこんなことでは、アンナさまとあまり変わりない気がしますね……。
わたしもまだまだ精進が足りません。
軽く自己嫌悪に陥りましたが、こうなったのもそもそもが……と責任転嫁をし、ここは重要な施設なのだから代わりになる場所を用意するまでの間は維持をする必要があるのだと自分にいい訳をしていると、後ろめたい気持ちは次第に薄れて来て、代わりに欲望がもたげて勝手に手が動き作業を進めていきました。
『ふ〜ん、そうか〜そうなんだ〜。ミリーってばもう! フフフ……』
そのまま黙々と作業を続けていたのでしたが、頭の中からはいやらしい声と気配が漂い、むず痒くて堪らなくなります。
……勘弁して下さい……。
『アリシア! まだここの猶予はあるのですから、呑気に見てないで出てきて手伝いなさい!』
こんな作業、わたし一人でも問題はありませんがこのままでは仕事になりません。アリシアを頭の中から引き摺り出しました。
「ハーイ。さっきぶり!」
目の前に現れたアリシアはニヤニヤと笑いながらわたしを見つめています。
……うっ……早まりましたかね……。
顔だけでなく耳まで熱くなって来ました。最早直視出来ません。
先程と同じく学園の頃の制服姿でしたが、着崩してもいないのに妙に艶かしく感じてしまいます。動悸が止まりません。
「ほ、ほら貴女はあちらを! ここはわたしがやりますから!」
暫くの間、恥ずかしくて堪らずアリシアに背を向けて作業に取り掛かっていたのでしたが、不意に背後から抱き付かれて驚きました。
「も、もう終わったのですか!?」
「とっくよ。ミリーはまだなの?」
流石はアリシア仕事が早い、というよりもわたしが惚けてて手がお留守になっていたのでしょう。お恥ずかしい……。
急いで作業を進めます。
「あ、ココ違うよ? コッチコッチ」
「有難う存じます……」
全く駄目です。集中出来ません。これはアリシアの色々な所が頭や背中に当たっていているせいです。気が散って仕方がありません。しかし苦言を呈することも振り解く気にもなりませんでした。
暫くするとこの体制にも慣れてきて、背後からの注意も受けることなく作業を進めることが出来る様になって行きます。
暫くの間作業に没頭していると、不意にアリシアが話し掛けて来ました。
「……ミリー、アタシのためにありがとね……」
「とんでもない。これはわたしの我儘です」
「それでも、ね……」
不意に、右頬に暖かな感触がありましたがもう動じません。無心に作業を進めます。耳朶が熱くなった様ですが気にしません。
「これからもヨロシクね!」
「こちらこそ。まだまだ貴女とは一緒にやりたいことが色々とありますからね」
「うん!」
それから作業が完了した後もしばらくの間、今後のやりたい研究話しに花が咲いてしまい、部屋の中央から動けずにいました。
「……そうそう、それと人造の魔石にも着手しませんと」
「う、うん」
アリシアの反応が少しおかしかったのはオババを思い出したからでしょうか。相変わらずなのだと少し笑ってしまいました。
先程までアリシアにはやられっぱなしでしたから、少しやり返す意味も込めて話しを広げて行くことにします。
「それに、やはり一度はかの大陸にも行きませんと」
「え!?」
「ほら、まだ見ぬ術式が沢山あると聞きますよ? これは技術者の端くれとしては見過ごせません。当然アリシアも一緒しますよね?」
「うっ……」
「あら? これからも先、ずっとわたしと一緒に居るのではありませんでしたか? まさかわたしが出掛けている間、ここに一人残るおつもりですか?」
「……ミリーのイジワル……」
……もうこれ位で勘弁してあげましょうか……。
先程やり込められました分の溜飲は下がりました。それと首に巻かれている腕にどんどんと力が入ってきています。そろそろ息が出来ません。
「そ、そう心配せずとも大丈夫ですよ!」
「ホントに?」
嘘ではありません。何故なら今後も君主の座に居続ける予定なのです。それなら呑気に旅に出ることなぞ出来ません。以前に各国へ赴いたのも政治的なものと成り行きでした。仕方なくです。更に今やこの大陸を統べる立場になりました。今まで以上に身勝手なことは出来ないでしょう。それに正式な国交が樹立もしていない国へ気軽に行くことなぞ不可能。周りから全力で止められてしまいます。そもそも旅は命懸けなのですから。
「わたしが向こうへ行くのは、退位してからになりますからね」
そして生涯現役でいるつもりなのだとも伝えました。
「それってもしかして……」
「ええ。亡くなった後に行こうと考えています」
アリシア達と同じ様な存在になればオババと同じことが出来るのでは? と考えた次第です。何も彼女と全く同じ存在になる必要はありません。次元の狭間を漂うことさえ出来れば良いのです。その為に死後はアリシア達と同じ存在になる予定。オババの話しから察するに、かの地では必ずしも実体を伴う必要性はなさそうでした。亡くなった後に行くのでも問題はないでしょう。それにその時でもオババはまだ健在だと思います。彼女からはまだまだ教わりたいことが沢山ありました。
その考えに至ったのも、それを成した装置がここにあるからというのもありました。不明な点はまだ多くありますが、その時までの猶予もまだあります。地道に解析していけば何とかなるでしょう。腕が鳴ります。問題はその時間が取れるか、ですが。
それに直接かの大陸へ行くのであれば、誰かしらに宿る必要もありませんので人に迷惑を掛けることもありません。
……わたしが亡くなれば、アリシアも逝くでしょうし……。
彼女にも負担を掛けずに済みます。
そんな話しをしていましたら、まだ随分と先のことなのに物悲しい気持ちになって来ました。恐らくこれはアリシアが感じていた気持ちと同じ様なものなのでしょう。ただ彼女が抱えていたものはこの何倍にも大きかったのだとは思いますが。
……わたしがこの程度で嘆いていてはいけませんね……。
これ以上この話しを続けるのは止めましょう。
沈んだ雰囲気にしない様、話題を変えようと考えていたのでしたが、アリシアはまだ続けて来ました。
「そっかー。でもまだ何十年も先だから、それまでにはこの世界にもだいぶ慣れるだろうし、大丈夫になるかな?」
……?
「それに、みんながみんなオババさんと同じだとも限らないしね!」
……逆にもっと恐ろしい形相かも知れませんよ……。
いえ問題はそこではありません。
「え!? 貴女も一緒に行くおつもりですか?」
驚いて振り返ります。
「え? ダメだった?」
キョトンとしていました。
「そ、そんなことはありませんが……」
寧ろ一緒に来てくれるのであればとても嬉しく思います。一人旅が寂しいのもありますが勿論それだけではありません。正直この先もずっと彼女が側にいてくれたならばと願ってやみませんでした。
「本当に宜しいのですか? わたしが亡くなった後も一緒だなんて……」
そこまでアリシアを拘束するのは流石に心苦しく思い、口に出すのは憚られていました。しかしそれは杞憂だった様です。
「二人っきりで旅行かー。なんか新婚旅行みたいだね!」
流石に少しは恥ずかしいのか照れくさそうにしています。わたしは恥ずかしくて堪りません。しかしそんなことよりも胸に込み上げるものがありました。
「アリシア……」
目頭に暖かいものを感じています。アリシアも同じ気持ちなのでしょう。彼女の目に光る物が見えています。しかし最早互いに恥ずかしがる間柄ではありません。見つめ合ったまま視線は外しませんでした。
「末永くよろしくね!」
「こちらこそ……」
途端二人して涙腺が崩壊してしまい、自然と抱き合いました。
自分の目が腫れているのは見なくてもわかります。これではまた外へ出るのが遅くなってしまいます。しかしこのままでいるのも悪くはないと考え、暫しアリシアの感触を堪能していたのでしたが、それは束の間のことでした。
───ガタガタ!
突如部屋全体が揺れ出したからです。
「じ、地震!!」
「ジシン? 何ですかそれは!?」
驚いて互いに力強く抱き合いましたが、これはただ苦しいだけで気持ち良くともなんともありません。残念です。
「え〜っとね! 地震は地殻変動によるプレートが……って、もしかしてこの世界には地震ってないの? ほら地面が突然揺れるヤツ!」
「……よくわかりませんが、地面が勝手に動くなんてことは聞いたことありませんよ」
そういっている間にも断続的に部屋が揺れていました。
「じゃ、じゃあこの部屋の装置イジるの、どこか失敗したとか!?」
「そんなことはないと思いますが……」
慌てて二人して装置の確認をしましたが特に異常は見られません。
「ほら正常に動いていますよ? わたしも魔力をゴッソリ持って行かれた感覚がありましたし、霧も順調に増えています。そもそも部屋が振動する機構は無いかと思いますが……」
「ならなんで?」
「……ん? 少しお待ち下さい……」
落ち着いて意識を自分の中に集中します。
装置が新たに始動した今、この部屋とわたしとは魔力的に繋がっていました。部屋全体には保護をする為の魔術を掛けてあるのですが、部屋が揺れる度に何となく少しづつ魔力を消費している感じがしました。
「……これは……部屋の外部から何か大きな衝撃を受けているみたいです……」
この部屋は王城の中の一室ですが、城が出来る以前から存在していて、部屋を囲う様にして城が建っていました。部屋といっても窓の無いただの石室です。そして外部と繋がる場所は出入口しかありませんでした。そこが集中的に衝撃を受けています。
「しかもこれはただ叩くとかではなく、攻撃を受けている様な感じがしますね……」
「……攻撃? ───アッ!」
「……アリシアもそう思いますか。恐らくはそうでしょう」
二人して顔を見合わせてしまいました。
今扉の外では、わたしが出て来るのが遅いのにも関わらずライナも入れなくなり、中の様子が全くわからない為、心配のあまり業を煮やしたレイ辺りが強引に押し入ろうと奮闘している最中なのでしょう。彼女の性格からして大きくは間違っていないと思います。
ここは状態保存の魔術も施してありますので生半可な攻撃ではびくともしません。しかし城内は違います。余波を受けて悲惨な有様になってしまうことでしょう。いえもう既に手遅れなのかも知れません。
「コレって、早く出ないとマズイんじゃない?」
「そうですね。わかってはいるのですが……」
大惨事となる前に一刻も早く出て行かねばならないのは明白ですが、しかしまだ人前に出られる顔ではないのです。これでは乙女としても君主としても恰好がつきません。
「なんだ、そんなこと?」
「そう仰られても、これはわたしの大事な矜持です!」
「相変わらずめんどくさいね〜。ちょっと待ってて」
そういうと、すぐにアリシアが魔法で顔を癒してくれて、あっという間に目の腫れや火照りを冷ましてくれました。
「イザベラさんから色々と習っといたの!」
……出来るならもっと早くやって下さいよ……。
したり顔に文句の一つもいいたくなりましたが、しかし今はそんな暇はありません。彼女とは今後いつでも話す機会がありますからいずれみっちりと。今は急いで外に出ましょう。
『では行きますよ!』
『オッケー!』
すぐにアリシアに頭の中へ戻ってもらうと早速扉に向かいました。しかし扉の前で立ち止まってしまいます。
……衝撃が止む頃合いを見計らいませんと開けられませんからね……。
今もまだ揺れています。ここで下手に顔を出すものなら怪我をしてしまうかも知れません。それともう一つ。
『きっと、外ではレイ達が鬼の形相で待ち構えていますよね……』
待ち構えている者達の顔を想像してしまい、踏み出すのに躊躇してしまいます。
『みんな怒ってるかな?』
『ですよね……』
恐らくレイだけでなくマダリンやエルハルト達も集まっていることでしょう。軽く震えが来ます。
『今じゃこの大陸でミリーが一番エライ女王さまなのに、みんなを怖がってるなんて、なんかオカシイ!』
『君主なぞ、所詮は国民の下僕ですからね。ある意味立場は一番下ですよ……』
思わずため息が出てしまいます。しかしこれも自分が望んだ立場なのですから今更文句はいいません。それに一人だけでこの立場に居るというわけでもないのですから。
『……そんなか弱いわたしですが、これからもどうぞ支えて下さいませ』
『アハハハッ! まかせて!』
アリシアに勇気をもらうと気を取り直して扉に手を掛けました。
『さ、ここからは新たな一歩ですよ』
『ん〜、そうなのかな?』
『え!?』
『だって、スタートはゴールが……始まりがあるのなら終わりがあるものでしょ? でも、これからもずっと、それこそ永遠に一緒なんだから終わりなんてないんじゃない?』
それを聞くと少し怖い気がして来ましたが、そんな先のことを今から心配していては何も始められなくなってしまいます。大丈夫。なる様にしかなりません。今までもそうしてなんとかやって来ました。それがあって今のわたしがあるのです。
面倒なことは考えるのはやめて、寧ろこの先ずっと彼女と共に居られることに喜びを感じている気持ちを大事にし、前向きに捉えることにしました。
『では、これからも変わることなくよろしくお願い致しますね』
『もちろん! ……でもどうだろ? いずれその内には二人共溶け合って同じモノになっちゃうかもね!』
『それならそれでも構いませんよ。ずっと一緒に居られるのですから』
『そうだね! そんなことよりも今は外に出た後のことだね! ガンバって!』
『人ごとの様にいわないで下さい! わたしの心が荒むと貴女にも影響があるのですよ?』
『なら慰めてあげるよ!』
『……まったく……期待してますよ!』
今後のことを考えると不安になることも多くありますが、それ以上に期待値の方が多くあります。今は間違いなく人生で一番幸せな気持ちに溢れていました。
しかし最後に一言彼女が余計なことをいい出さなければ、です。
『ア! そういえばさ、向こうの大陸にはミアお姉さんが行ってるけど、もしかしたらアタシ達が行った後でもまだ居るかも……』
───こんな時に余計なことをいわないで下さい!
せっかくの気分が台無しです。
しかしもう折れません。そんなことはすぐに頭の隅に追いやりました。
『その時はその時です! また何処かへ飛ばして差し上げますよ!』
そんなことでは怯みません。
アリシアには、これは始まりではないといわれていましたが、わたしにとってはこの扉を潜ることは新たに生まれ変わることの様な気がしています。そして今後どんな面倒事が降り掛かろうとも弾き返すことが出来る気持ちに溢れていました。
『そんなことよりも、今ここを乗り切ることの方が重要です。魔法の用意は出来ていますか?』
『オッケー! ナニが来ても大丈夫!』
『では行きますよ!』
アリシアと共に新たな世界へと踏み出したのです。
───完───
ここまでお読み頂きありがとう御座いました。
 




