其の232 愛別離苦
「ミリー、そろそろ落ち着いた?」
気が付けばいつの間にかまた石造りの玉座にアリシアに抱かれて座っており、子供をあやすかの様に背中をさすられていました。
「……もう大丈夫です。お恥ずかしい所をお見せしました……」
今更よ、と笑い飛ばされながら涙を拭われます。
……みっともない……。
アンナとイザベラが逝った後だからまだ良いですが、しかしオババがいます。これ以上醜態を晒さぬ様、赤くなった目を擦ると気を取り直しました。
術は既に完成していますので、その効力となる霧はかなり減って来ています。部屋全体が見渡せていました。しかしそのオババの姿は見当たりません。
「オババさまは?」
聞けばわたしが泣き腫らしている間に「そろそろワシもよかろう」と、さっさと逝ってしまわれていたそうです。
……挨拶も無しにとは、随分とアッサリしていますね……。
「ココのことはもう全部教えたから、それ以上のことを知りたければいつかアッチの大陸に来なって」
オババはここに居た実体の時もそうでない時も、その存在は曖昧で変わらないのだそうです。今もただこの場から離れるだけでこの世には存在しているとのこと。
消えるではなくそのまま宙に浮かび上がり部屋を抜け出たのだそうで、そのまま次元の狭間をゆっくりと漂いながら故郷へと戻って行くらしいです。
「相変わらず不思議な方ですね」
「ホントホント。あと、最後に子孫達をよろしくって」
なんでも彼女達の生殖は単体。そして一体どれ程の数がいるのか知りませんが大陸にいる者の全てはオババと同じ一族なのだそうで、更に寿命もわたし達とは違いました。何せアンナよりも長く生きているのです。
「……なんとなく、オババさまとはまた会える気がしますね……」
これは魔石の輸出を継続して履行しないと、当の本人が苦情をいいにやって来そうな気がします。
「うう……」
背中に震えを感じました。
「フフフ。相変わらずですね」
先程までは話を聞くのに夢中になって平気だったくせに、本人がいないのにも関わらず顔を思い出しただけで怖くなったのかと笑ってしまいましたが、それと同時に、この感触を味わえるのも残り僅かなのだと気付いて悲しい気持ちになりました。
恐らくアリシアも同じ気持ちなのでしょう。背後にいますからその表情はわかりませんが、わたしのお腹を回している手に少し力が入りました。思わずその腕にそっと両手を添えます。
ここにはもうわたし達だけしかいません。時が止まっているかの様な静寂に包まれていました。
……出来ることならばこのまま本当に時が止まって仕舞えば良いですのに……。
恐らくイザベラやオババは、わたし達に気兼ねして早々に逝ってくれたのでしょう。アリシアとの最後の別れの時間を少しでも多く与えてくれる為に。
……お心遣いありがとう存じます……。ですがアンナさまに限っては、やることをやってスッキリして逝っただけで、そんなことは微塵も考えてなかったと思いますけどもね……。
アンナのことを考えると頭が痛くなって来ますから彼女のことは頭の隅に追いやり、今この手の中にある暖かな感触を大事に味わいます。そしてそのまま二人共押し黙って静かに座り続けました。
しかし暫くすると突然アリシアの身体が強張り緊張が走ります。
「どうされたのですか?」
「シッ! 黙って!」
お腹に回している手に更に力が入りました。驚いてわたしも周囲を伺うと、霧が少し動いた様に見えます。
……何か、いる?
アリシアの方が先に気が付いたのは身長の差でしょう。決して彼女の膝の上が心地良くて、それで惚けていた訳ではありません。本当ですよ?
今の霧はわたしの腰下辺りを漂っています。アリシアなら膝下辺りでしょうか。その位置で霧に紛れているとなると小動物位の大きさのものか、若しくは腰を下ろしている人になるでしょう。まさかあの四人の内の誰がが未だに残っているとは考え難いですから、ラミと一緒に何かが生成されていたのでしょか。何れにしてもこの状況は不穏に違いありません。
しかし先程とは異なり、あまり不安を感じませんでした。何せ今は一人っきりではなくアリシアがいるのです。
別に虎の威を借る訳ではありませんが、彼女が一緒にいるだけでも心強く感じ、例えどんなものが現れようとも二人でならば対応出来る。そんな気になっていたからです。
その為、余裕を持って待ち構えていられたのでしたが、現れた者の姿を見て思わず驚いて立ち上がってしまいました。
「ラ、ライナですか?」
「あ! おかあさん、いた!」
「アイタッ!」
「あ! 失礼……」
勢い余ってアリシアの顎に頭が当たってしまいました。
……申し訳ありません……。
しかしそんなことよりも今は彼女のことです。
何故こんな所にいるのかと聞くよりも先に、彼女の方から尋ねられてしまいました。
「そのヒト、だあれ?」
……そういえばライナはアリシアとは面識がありませんでしたね……。
しかし例え面識があったとしてもこの状況をどう説明すれば良いものか。
「貴女は知らないかも知れませんが、彼女はわたしにとって大切な方です。粗相がない様に」
「ライナちゃん、ヨロシクね!」
「はい!」
「余計なことはいわない! ……気になさらずに。それよりも何故貴女がここへ?」
「えっとね……」
聞けばわたしがここに入ってかなり経つのに一向に出てくる気配がなく、心配して困った外で待つレイ達がなんとか中の様子を伺えないものかと、人を集めて入れる者を探してみた所、ライナだけが入れたのだそうです。
……ライナとは寝る時なども常に一緒にいましたから、まだ幼くて魔力量も少ないのもあってわたしの魔力とかなり似通っているのでしょうね……。
だとしても完全に一致している訳ではありません。血を分けた親子でも全く同じにはならないものです。
ここは本来アンナの魔力を帯びている者しか入れない場所。ならばこの部屋に掛けられている術の効力が弱まってきているとしか考えられません。
「……成程、そうでしたか。それは皆に迷惑を掛けましたね」
だとすると、もう少しすればライナだけでなく他の者も入って来ることが出来てしまいます。
……不味いですね……。
「ライナ、わたしはこの通り無事です。ただ、まだもう少しやることがありますので貴女は先に戻り、外で待つ者達へそのまま暫く待つ様に伝えなさい。それと彼女のことは秘密です。良いですか? ここにはわたし以外の者は誰もいませんでした。宜しいですね?」
「はい!」
急ぎ指示を飛ばしました。
……ふぅ……。
ライナの姿が消えるのを確認すると、アリシアの膝に座り直します。
「あ〜あ、せっかくだから、ライナちゃんを抱き上げてみたかったな〜」
「よして下さい。あの子が混乱しますよ」
本来ならばアリシアはもうこの世には居ない筈の者。もしここでのことを他の者が知ったら大騒ぎになってしまいます。ライナは素直な子ですから、外に戻ってもいい付け通りの報告をするでしょう。しかし後で必ずわたしに彼女のことを聞いて来るはずです。何せ本来ならばわたししかいない筈の場所に他の者がいたのですから。
……さて、幾ら幼いとはいえどういいくるめれば良いものか……。
これは困りました。しかしそんなことよりももっと重要なことが。
「まぁいっか。最後にライナちゃんと少しでも話せたし。……アタシもそろそろかな?」
───ッ!
気が付けば霧も足元辺りまで下がっていました。




