其の227 帰国
先人はいいました。百里を行く者は九十九里をもって半ばとす。勝って兜の緒を締めよ。云々……。色々といわれていますから、油断大敵なことは百も承知。しかし努めて冷静を装っているつもりですが、どうしても心の内が表情に出てしまっているみたいです。
「陛下、ご機嫌でいらっしゃいますね」
ただ何となく車窓から外を眺めていただけでしたが、気付かない内に顔が緩んでいた様です。前に座るレイが微笑ましいものを見る目付きで笑い掛けられました。
季節は巡り既に肌寒い時期になっていますが心はポカポカ。正直一刻でも早く飛んで帰りたい気持ちで一杯ですが、一人旅ではないのですから我儘はいえません。大人しくしていましょう。それに今はこの喜びを噛み締めていますから、ラミ王国に戻るまでの退屈で長い旅路も苦になりません。
───何せ、これでやっと解放されるのですからね!
「そう見えますか? 今回は長かったですからね。どうしても故郷が恋しくなるものなのですよ」
今や目に入る全ての領土がわたしの国となった訳ですから、それを見て喜んでいるのかとでも思っていたのでしょうか。彼女は少しだけ驚いた表情になりました。しかしながらその様な支配欲や野心的なものは持ち合わせていません。あるのは生存本能から来る純粋な利己主義のみ。しかし他所から見たらたいして変わらないことでしょう。仕方がありません。
それ以上のことは口にせず、レイから視線を外すと改めて車窓から周りの様子を眺めました。
……よしよし……。
道行く者の頭から魔力が立ち昇っているのが見えています。そしてそれらが向かう先はわたし達の行く方向と同じラミ王国。
……うふふ……順調順調……。
思わず笑みが溢れそうになりましたがはしたないのでグッと堪えます。わたしもまだまだ修練が足りませんね。しかしよく見ていると全ての者がそうとなっている訳ではありませんでした。
……あの者達は、まだそうとなっている事実を知らないのでしょうか……それともブルノルフの様に人型の魔獣に成っている者ですかね……。
途端に不安になって来ました。
(……これ、足りますかね……)
(例のアンナのアレのことかの?)
心配のあまり無意識の内に頭の中に語り掛けていた様です。
……お恥ずかしい……。
それを拾ってくれたオババ曰く問題はないだろうとのことでした。
(数もそうじゃが質も重要じゃからの)
術を発動した当時に比べ、今や食糧事情も格段に向上しているからなのか魔力量の多い者が増えているらしく、その辺りの心配は無いだろうと太鼓判を押してくれました。
(そうですか! 有難う存じます!)
その言葉は自然に出て来ました。
こうなった結果を作った張本人に対して、果たしてお礼をいうのが正しいのかどうかはわかりませんが、今はそんなことはどちらでも良いでしょう。終わり良ければ全て良し。
瑣末なことなどは気にならない程に浮かれているわたしを乗せた馬車は、ラミ王国に向けてゆっくりと進んで行きました。
わたしが直接国を離れて、結果としてですが国取りの外交に赴いたのは今回が初めてのことではありません。ルトア国の時もそうでした。
思い返せばあの時は、王城に戻るやいなや宰相のエルハルトに捕まり、そのまま拘束されて暫くの間書類の山と格闘する羽目になりました。感慨に耽る間も無かったです。確かに仮にも一国を預かる訳なのですから事後処理が繁雑になるのは仕方がないとはいえ、達成感も何もあったもんじゃありませんでした。
……あの時は死ぬ思いで処理をしましたね……。
思い出すだけで嫌な汗が出て来ます。
それが今回はその三倍の三カ国。その仕事量は前回の比ではないことは容易く想像出来ました。
……王国内に入りましたね……。
途端に身体に震えが来ます。
これは待ち構えている仕事量に対する恐怖から来るものなのでしょうか。ですが幾ら忙殺されようとも、それを乗り切りさえすればその後の勝利は約束されています。そう、これはきっと武者震い。そう思うことにして心の平穏に努めました。
───心的外傷になんか負けませんよ! さぁ、幾らでも掛かってらっしゃい!
気を取り直すと、気合い十分に王都内へと入ったのでしたが、思いもよらぬ光景が目に飛び込んで来て目を見張りました。
……こ、これは……。
(スゴイ! パレードだ!)
(流石に一つの大陸を統べたのじゃから当然じゃろ)
(ミリーちゃん、良かったわね!)
(活気がある国じゃのお)
沿道は人で溢れ返っており、以前の外遊帰りとは打って変わって街を挙げてのお祭り騒ぎの大歓待。
「陛下、みなに手をお振りになっては如何でしょう?」
呆気に取られたまま、レイから促されるままにぎこちない笑顔で外にかって向かって手を振ると、騒ぎは更に大きくなりました。
「女王陛下バンザーイッ! ラミ王国バンザーイッ!」
「陛下ー、おかえりなさーい!」
「さすがオレらの女王さまだ!」
「ちっこいのにスゴイねー」
「ほら見ろよ、前見た時と背ェー変わってねーぞ」
時折り聞き捨てならない台詞も混じって聞こえて来ましたが概ね称賛の嵐。それが王城に着くまでの間ずっと続きました。そして王城に馬車が止まると、これまた見たことない数の出迎が。
『お帰りなさいませ女王陛下』
馬車を降りてもわたしはまだ唖然としたままでした。
……これは一体全体……。
そんなわたしの前に代表として宰相のエルハルトが進み出て跪きましたので、彼に状況を尋ねようとしたのでしたが、「長旅からのお帰り、お疲れのことかとは存じますが……」彼はわたしと視線を合わさずに、先に到着していた娘のマダリンに目配せで指示をして「急ぎお召し物のお着替えを……」と、あれよあれよという間に城内に連れて行かれて身体を磨かれると豪奢なお仕着せに包まれて宴の場に放り出されました。
『女王陛下、おめでとう御座います!』
そしてわたしが到着すると、国内の貴族はもちろん諸国の有力者達が勢揃いしている中で宴席が始まりました。
目の前には夢にまで見ていた慣れ親しんだラミ王国の豪華な料理の数々に美味しそうなお酒が並んでいましたが、代わる代わ挨拶に来る者をこなすのが精一杯なのと、仕事のことで気がそぞろになり手を付けられないでいました。
「陛下、如何なされましたか?」
「マダリン……」
この様な場所ですので努めて冷静に笑顔を絶やさぬ様にしていましたが、近しい者にはわかってしまった様です。心配されてそっと声を掛けられました。
「陛下のご心配されていらっしゃる件でしたら問題御座いません」
こちらが何をかいわなくともすぐに状況を察してくれて、貴族子女らしい笑みで返されました。流石はマダリン、優秀です。そしてまたその父であるエルハルト率いる官僚達も同様でした。
前回の教訓を踏まえて既に事前準備がなされていたのと、今回わたしが戻るまでの時間的な余裕があった為に、早急にしなければならない国家間の煩雑な書類仕事は大半が終わっているとのこと。
───ッ!
「な、なら……」
「はい。今はこの陛下御自身が成した功績を心よりお喜びお楽しみ下さいませ」
それを聞いて緊張が緩んだのと、今までの疲れが溜まっていたのもあったのでしょう。その後の記憶は朝起きるまでありませんでした。
……たまには、こんな日があってもいいですよね……。
幾ら急ぎの仕事が無くなったといえども、わたしがやらなければならない、わたしにしか出来ない仕事は幾つもあります。これもその内の一つ。
……さて、行きますか……。
国璽が押された無事三カ国を統治した証である書簡を石室まで運び入れるのはわたしにしか出来ません。
宴席は夜遅くまで行われましたが、一夜開ければ城内は通常状態。いつまでもお祭り気分ではいられません。わたしも今朝は早々に起こされて執務室に放り込まれました。その時、特にマダリンから昨晩のことについてのお小言はありませんでしたから、そんなに羽目は外していなかったのでしょう。ホッとしています。
……しかし、増えましたね……。
今まで城内の移動は気軽なものでした。一人で出歩くことは珍しいことではなく、護衛が付くにしても精々レイ一人。しかし今は違います。
「今までは一国のことでしたから目をつぶっていましだが、流石に今のお立場では……」
「先だってのことも御座います。何かあってからでは遅いのですよ」
エルハルトやレニー達から苦言を呈され、執務室から移動するだけでもレイ以外に護衛をゾロゾロと引き連れる羽目に。更に今後は御次も増やす予定で現在選定中だとか。
……うぅ……わたしの自由が……。
煩わしくて堪りませんがその憂いも暫しの辛抱です。
(本当に、行けば直ぐにわかるのですね?)
(そうじゃ。案ずるな)
オババが施したこのアンナの呪い、もとい術ですが、確かに大陸全土に住う者全てに匹敵する数をラミ王国民にすることで完成することには違いないとのことでしたが、ただ集めるだけでは駄目でした。その後で、術の要となる玉座の設置されている石室にアンナを連れて行くことで初めて完成するものなのだそうです。
正直な所、いつまで経ってもアンナが居座っていましたから術が不発に終わったのかと不安でした。
……当の本人がそれを忘れていたのだなんて……。
はるか昔のことだからすっかり忘れていたと笑っています。
彼女がポンコツなのは今に始まったことではありません。しかしそれに振り回されるのは今日までのこと。広い心を持って許してあげましょう。
上機嫌で足取りも軽く石室の前にまで来たのでしたが、いざ中に入ろうとすると足が止まりました。
やっとここまで来れました。これでもう終わりです。いえ、これは始まりでしょう。ここから全てが変わり明るい未来が待っているのです。そんな期待に膨らむ気持ちや達成感に合わせて焦燥感にも似た感情がないまぜとなり、足を踏み出すのに躊躇してしまいました。それともう一つ気がかりなことがあります。
「……レイ……」
「は! 陛下。御用でしょうか」
彼女だけを呼び寄せました。
「……わたしがここに入って戻って来た時、以前のわたしとは違っているかも知れません。それでも貴女は……」
その後の言葉は濁してしまいます。
わざわざ呼んだにも拘らず彼女の顔を見ることが出来ません。石室の入り口を見つめながら話し掛けました。彼女はわたしにとって大切な友人ですが、今は立場も変わり純粋な友達という訳にはいきません。わたしが勝手にそう思っているだけなのかも知れないのです。返答を聞くのが怖くなったのがありました。
努めて平静を保っているつもりでしたが、果たして今のわたしは彼女からどう見えているのでしょうか。恐る恐る顔を上げて彼女に視線を移すと、いつものわたしの護衛に付く時の至極真面目な顔付きには違いはなかったのですが、何処となく少しだけ微笑んだ様に見えました。
彼女はわたしの視線に気付くと、周りの者に聞こえない程の小さな声でそっと囁きました。
「……何をなさるおつもりか存じ上げませんが、例えどの様になられましても、陛下はわたしにとって大切なミリセントですよ……」
「……あ、有難う存じます……」
思わず顔が熱くなり眼鏡が曇った気がします。しかしその言葉のお蔭で笑顔でもって石室に足を踏み入れることが出来ました。




