其の217 それぞれの勤め
不安に苛まれて惚けていてもいけません。今の内にやらなければいけないことをやりましょう。
「レイ、貴女は直ぐにここから離れなさい」
「……し、しかし……」
彼女もこの場に於いて自分が役に立たないことをわかっていました。護衛としての責務が果たせないと苦渋に満ちた表情です。残念ながら仕方がありません。満足に得物が無く魔法が得意でない彼女に対し、魔術を使って来るブルノルフとでは相性が悪過ぎます。彼女には今出来ることをやってもらいましょう。
「ベルナのことを頼みます」
先程まで疲労困憊で座り込んでいた彼女ですが、今は倒れて寝ています。先程の雷を受けてしまったのでしょうか、ピクリとも動きません。まだ息がある場合は早急に処置が必要です。
「わたしは今この場を離れる訳にはいきません」
当然ながら、せっかく魔石を砕いた者達も雷の直撃を喰らっていました。果たして一体どれほどの者が無事なのかはわかりませんが、少しても命を拾う為にもブルノルフの攻撃をここで押さえておく必要があります。何せ今の彼の攻撃は見境がありません。少しでも防御の手を緩めると周りが大惨事になってしまします。
「彼女もわたしにとって大事な国民です。頼みましたよ」
「……陛下の御心のままに……」
渋々ながらも了承してくれましたが、一度ベルナを確認した後、少し視線を外すと近くに居るミアを見て再度わたしに視線を投げ掛けて来ました。
……う……お恥ずかしい……。
彼女は相も変わらず大の字になって寝ています。淑女としていかがなものかと思いますが、これだけ騒いでいても起きて来ない所を見るに彼女も雷に打たれて意識を失っているのでしょう。
「……ミア姉さまの方は、余裕があったらで構いません……」
殺しても死ななさそうな彼女のことです。心配をするだけ無駄に思えますが、あれでも一応わたしの姉。多少は気に留めてあげましょう。
……それにしても肝心な時に使えない人ですね……。
意識があれば今頃嬉々としてブルノルフに向かっていたことでしょう。それならば直ぐにも決着が付いていたものを。
今、流石のアリシアもこの地での魔法操作には難儀していました。彼の攻撃を抑えるので精一杯。反撃にまでは至れません。イザベラが休憩から復帰するまではこのまま防戦一方です。
……もどかしい……。
わたしに何か得物でもあれば別ですが、今はいつもの杖さえありません。完全に無手の状況。その為、目の前で繰り広げられる攻防を見ていることしか出来ないでいました。
この状況にヤキモキしていたのはブルノルフも同じだったのでしょう。いくら魔術で攻撃を仕掛けても無駄に思ったのか、それとももう魔術が種切れなのかわかりませんが、突然攻撃の手を緩めました。
───これは好機!
何か違う手立てを仕掛けて来る前触れなのは百も承知ですが、これを逃す手はありません。反撃を仕掛けるべくアリシアに頼もうとしたらその前に(気を付けて! なんか様子がヘンよ!)アリシアから警告が。
……?
見ると先程まで顔を真っ赤にして怒っていた彼でしたが、今は不自然な程に冷静な顔付きになっています。そして身体が小刻みに震えていました。
……あ、あれは……。
先程まで何度も同じ様な光景を見ていました。あれは肉体の変化する兆しです。徐々に身体全体が盛り上がり、服が破れ始めました。
───魔獣化です!
彼は先程わたしがやらかした時も、今さっきまで散々怒りを露わにしていても魔獣化することがありませんでした。その為、彼はてっきり魔獣の因子を取り込んでいなかったものだと考えていましたから、これにはとても驚かされました。しかし驚いてばかりもいられません。
既にこの場でに於いては何人もの者が魔獣化していましたが、いずれの者も自ら進んで成ったのではありません。その為、魔獣としての本能でわたしに襲って来ていただけですからそう脅威ではありませんでした。しかし彼は違います。明らかにわたしに敵意を持ち、その上で自らの意思で成ろうとしているのです。
とてつもなく嫌な予感がしました。
(アリシア! 彼奴を成らしてはいけません!)
どんな獣になるのかわかりませんが、その前に急いで止めます。狙いは魔石。その核さえ壊して仕舞えば魔獣には成れません。その後に残るのはただの一人の老人。
アリシアもわかっていた様で、わたしが叫ぶよりも速く魔法を行使していました。
攻撃魔法の強度を出す為にかなり魔力を込めていた様です。魔力をゴッソリ持っていかれる感じがすると、大きな音を立てて土の塊が床をせり上がり、黒光りする先の鋭い円錐形の土の塊が出来上がりました。そしてそれがブルノルフの下腹部目掛けて一直線に走ります。しかし……。
「ふん! 効かぬわ!」
やり過ぎとも思える鋼でも貫きそうなアリシア渾身の土槍でしたが、それは彼の身体に刺さることなく無惨にも粉々に崩れてしまい、ただの土塊に変わってしまいました。
(えーっ! なんでーっ!)
(は、弾いていましたよね……)
魔法が途中で切れたというよりも、ただ単に土槍がブルノルフの身体に負けた様に見えました。しかしあの様なことは普通の人の身体で出来るものではありません。どんなに鍛え上げた者でも串刺し必須の土槍でした。
……間に合いませんでしたか……。
既に魔獣化した後なのでしょう。しかしあそこまで強靭な肉体を持つ魔獣です。一体どの様な獣に由来しているものなのか。若しくは複数の獣が融合しているのか。
嫌な予感が現実味を帯びて来ました。
もうもうとする土煙の中、ブルノルフの姿が見えるのを固唾を飲んで見守りました。
しかしそこに現れて見えたのは獣じみた姿ではなく、体躯は違えどもどう見ても人の姿をしたブルノルフでした。
……え?




