其の164 食事の問題
寮内食堂封鎖の期間は結局どの寮も長くとも二ヶ月程で収まり、マダリンの堪忍袋の緒が切れて雷が落ちる前には済んで助かりました。しかし結果として首尾は上々。手に切り傷や小さな火傷を負っている者も見られますが、みなその顔は晴々としていました。
……普段、下に見ている者からものを教わることに抵抗していた者もいましたがね……。
今回の件に反発した学生も少なくありませんでした。しかし結局空腹には耐えられなかったのでしょう。暫くすると諦めて素直に従います。一人だけ何もせずに食事にありつくとか、代わりの者を立てるとかといったズルは監督役がいますから出来ません。しかし最後の方では楽しそうに調理している姿が見られ安堵しました。
この結果として料理の講座を履修する者が増えたそうで、担当教師達がうれしい悲鳴を上げています。そしてそれに合わせて今回思わぬ副産物がありました。
わたしの教師業務の本職は魔工学。その担当する学生の中にも今回の件に巻き込まれた者が幾人おり、その中から提案が上がりました。
「今回の件は特別だとは思いますが、やはり不慮の事態で食事が取れなくなる機会がないとはいえません。なので、いつでも簡単に食事が取れる様にはならないものでしょうか?」
元々保存食はあります。軍や旅ではお馴染み。しかしそれらはいずれも干したり、塩蔵、薫製、酢漬けなどで、あまり味も良くなく、そのまま食べるには適しません。それにものによっては長期間の保存は出来ませんでした。
今回もそれで済まそうとしていた者もいましたが、結局はそれだけでは耐えられず根を上げていました。やはり食事は美味しく頂きたいものですよね。
不本意ながらも、わたしは今回の件で料理の講義も持たされています。ならばこれは良い機会でしょう。必要は発明の母。ないのでしたら作れば良いのです。これで今年の研究目標が出来ました。
(そのような訳でして、アリシアの知識で何か良さそうなのはありませんかね?)
(あるある! 一杯あるよー!)
彼女の元いた世界では、常温でも長期間の保存が可能で美味しいモノが沢山あったそうです。なんとも羨ましいですね。
(そもそも食品が腐敗する、腐ってダメになっちゃう原理ってのはね……)
何やら目に見えない程に小さい微生物という生き物がここかしこに存在し、それが食品に混入することによって有機物が分解され、増殖によって変質する現象なのだそうす。小さな妖精の悪戯ですかね?
その為、それを食品から取り除くことが肝心。
(貴女ってば、色々なことをご存知ですよね……)
(こんなこと、別に専門でもなくてもわかるわ!)
しかし講義で研究、開発するにあたって、まずはその目に見えない生物、微生物とやらの概念を学生達に説明するのが大変でした。
……パスツールさんにならってフラスコを用意しよう! とアリシアが騒いでいますが、これはもう既にわたしの専門外ですよね?
(では、まず基本の缶詰から作ろう!)
なぽれおんさん? に感謝だなどとまた訳のわからないことをいっていますが、食品を金属の入れ物で密封し保存させるのが最も手っ取り早いのだそうで、それを作ることにしました。
(これは元々軍隊でね……)
確かに軍の行軍に於いて兵站は重要。兵の志気に関わります。これが広まれば革命的なことでしょう。わたしが郷里にいた頃は山全体がその役目を果たしていましたが、大人数の行軍ではそうはいきません。
……ラャキ国ではとても迷惑を掛けましたし、ルトア王国でも用意が大変だったと聞きましたしね……。
その必要性は痛い程認識しています。
その缶詰ですが、アリシア曰く、ある一定の温度まで加熱し加圧加熱殺菌し密閉すれば殆どの食品が長期保存可能で、食品の形は崩れてしまうもある意味永久的に保存出来るそうです。
(それは凄いですね……しかし原理はそう難しいものでも無いのに、今までなかったのが不思議ですね?)
(あ〜似た様なのは前に見たことがあるぞ……)
アンナには心当たりがありました。かつて呼んだ方が考案し、試しに同じ様な物を作っていたそうです。
(あの時は確か入れ物がすぐに錆びてダメになっとったし、ダメにならんでも変形したり、開けてみたら中身が腐っておったりと散々じゃったな……)
容器の変形は、恐らく食品が腐ってガスが発生することで金属の覆いが膨張したのでしょう。話しを聞くにその彼女は「缶詰」の知識はあったものの、自身には技術がなく人にやらせた結果、上手くいかずお蔵入りにした様です。
……確かにこれはそれなりの技術を必要としますし、中途半端な知識では失敗の連続でしょうね……。
それに本人が魔法を使えなかったのも失敗した理由の一つだと思われます。
(そんな訳で、酸にも強く加工もしやすいブリキの製作から始めるよー!)
まず鉄板を用意してそれを塩酸で洗浄。表面の酸化物を除去します。その後に水洗いしてスズの中に入れドブ漬けしてメッキ。これで器となる鋼板の完成です。その工程には魔法もふんだんに使いました。
そして保存する為の食品は、金属の覆いに入れた後で微生物を殺す為に殺菌をする必要があるのですが、食品によってその温度は違いますし、その後に冷ましたりして完全密閉する必要があります。これは共に繊細な作業。
加熱冷却密閉まではアリシアの魔法任せ。
(え〜っと、この食品なら加圧加熱殺菌は百十度以上必要なはずだから……)
そして金属の加工はそれを得意としているわたし達の先輩をお呼びして協力して頂きました。
「密閉です。寸分の狂いなく圧着して下さい。誤差が命取りですからね。もっと正確にお願いします。そこ! それでは駄目です! やり直し!」
「ヒィ〜ッ!」
そして完成後に水に沈めて放置して漏れがないかの確認。ここまでは成功です。後は同じ物を何個も作り時間と共に開封して問題がないかの検証。これは流石に数日以内で納まる研究ではありませんから、最低数ヶ月以上の期間は必要でしょう。長い目で見ます。その間は色々な食材を試したり他の研究をしたいと思います。
(他にも何か良い案はございますか?)
(フリーズドライはどう?)
(それは何でしょう?)
(真空凍結乾燥技術……要は干物みたいなものね。あれは設備作るのが大変だけど、冷却乾燥なら魔法でゴリ押しすればなんとかなりそう!)
(ほうほう……)
早速次の研究に向けてアリシアや学生達と相談していたのですが、残念ながらそれ以上の研究は出来ませんでした。
『陛下! いい加減になさって下さい!』
……何も親子で怒鳴らなくとも……。
研究に没頭し政務を怠っていた結果、怒ったエルハルトとマダリンがやって来て強制的に王城へと連れ戻されてしまったからです。
……みなさん、後の検証作業は頼みましたよ……。




