其の160 ミリセントの逆鱗
わたしが怒り心頭で席を立ち、杖の音を響かせながら歩き始めると、周囲の席に座っていた者達が慌てて食器を抱えて逃げ出しました。調理場の者達も急いで中から出て来ると並べてられていた食事を片付け始めます。わたしのことをよく知っている者が如何にこの場に多くいたことがわかりましたが、エルフルーナはわたしのことを知らない様で、周りの騒ぎにキョトンとしていました。
イジメはいけません。良くない行であるのは誰でも知っています。それが暴力であっても言葉であっても。しかしそれに対して赤の他人が無闇に口を出すのは難しく、ましてや内情を良く知らない上に立場的にも微妙なわたしがしゃしゃり出て行くことはお門違い。しかしこれとそれとは話が違います。
───これは万死に値します!
「貴女方! 何をなさっているのですか!」
わたしの怒りの一括に、その場にいた殆どの者が腰砕けとなり、膝を突いたり座り込んでしまいました。
……あら、これは失礼……。
セドラまでもが余波を受け、椅子に座りながら白目を剥いています。そんな中、エルフルーナと呼ばれていた彼女だけは、両膝を震わせながらも二本の足で立っていました。
……ほほぅ……。
彼女はわざわざ留学してまでここに来れる程の者ですから、金銭的にも余裕のある上流貴族の子女なのでしょう。性根が腐っていようともそれなりに自尊心が高い様です。青い顔をしながらと歯を食いしばり、わたしを睨みつけ来ました。
「なっ、何ですかアナタは! 無礼な! ワタクシを誰だと思って……」
……立っていられて目を逸らさずにそこまでいえたことだけは褒めてあげましょう。
しかし残念ながら怯えているのは隠せていません。声が震えています。
「わたしはこの学園の教師です」
「きょ、教師ですって!?」
目を見開いて驚きながら、わたしの頭のてっぺんから足先まで見下ろしています。
……失礼な視線ですね……。
もうだいぶ慣れてきた視線ですが良い気持ちはしません。思わずまた威嚇しそうになりましたが睨むだけに留めます。
「わたしも貴女のことは存じませんが、その口振から察するに、さぞかし高貴な家柄なのでしょうね。ならばいずれは人の上に立身としながらも、先程の行いはなんですか! 教師でなくとも人としても見過ごせません!」
「……なっ……! ア、アナタが教師なのだと仰るならば、その証拠をお見せなさい! 爵位は!」
今度は顔を真っ赤にして喚いています。
……青くなったり赤くなったり忙しい娘ですね……。
ここは貴族子女の通う学園です。そうなると当然教師も爵位のある者ばかり。しかしよくよく考えてみれば、わたしは無位無官ではなくとも叙爵はしていません。むしろ授爵する側。この国に於いて君主の地位は厳密には爵位にあたりません。そうなると……。
「証拠もなにも、この場にいる者達がわたしが教師であることを証言してくれるでしょう。……そうですね、爵位に関しては……現状わたしは男爵位の子女にあたりますかね」
……嘘ではありません。父もまだまだまだ元気ですしね。
それを聞いた彼女は途端居丈高に。わたしを見て鼻で笑っています。それに対しわたしは胸を張って応えました。
「何か勘違いされている様ですが、ここは宮廷でも社交界でもありません。学園です。爵位の力なぞ役に立ちません。ましてや親の地位を振り翳すことなぞ愚の骨頂。ここでものをいうのは己自身の力だけです。そして教師の役目は、貴女の様な無知蒙昧な輩を指導することです」
「───なっ!」
更に顔を赤くし手を振り上げて来ました。
「何ですかその態度は! 指導を受ける者の姿勢ではありませんね!」
振るわれた手を避け、威圧を強めると杖を彼女の頭の上に置き、力を込めて姿勢を崩させます。
「───なっ!? お、お待ちを! このままでは床にー!」
「あら? 何か問題がございますか?」
「よ、汚れてしまいます!」
彼女の足許には先程セドラの食事をぶちまけた散乱が。
「これをなさったのは貴女方ですよね?」
「───っ!」
「食事は身体と心を育むとても大切なものです。それはご存知ですよね? それを理解していない程に愚か者であるとは思いたくありません。先程から見ていましたが、貴女方が悪戯に彼女の食事を弄る段階では度し難くも手を出すつもりはありませんでした。味は落ちても食べることは可能でしたから。しかしその後の行為は言語道断です!」
(ミ、ミリー、これ以上はマズいって!)
(お主、やり過ぎじゃぞ!)
(ミリーちゃん、抑えて!)
(お黙り!)
「……も、申し訳御座いません……」
彼女は既に涙目ですがこんなことで許すつもりはありません。
「そうですね。謝罪は重要ですが、一体貴女は何に対して申し訳なく思っているのでしょうか?」
「……そ、それはもちろんセドラ嬢に対して……」
「……ふぅ……貴女はまだよくわかっていない様ですね。下にある物がよく見えませんか? ならばわたしの眼鏡をお貸ししましょう」
そのまま自分の眼鏡を外しすと、動けずにいる彼女に掛けさせました。
「───な、何ですかこれはーっ!」
力を振り絞って膝をつくのに耐えていた彼女でしたが、眼鏡に大量に魔力を搾り取られてそのまま床に倒れ込みます。
「ここまで近付けば、よく見えますよね?」
顔から突っ込み、制服はおろか綺麗に纏めていた髪も、床に落ちていた料理にまみれて無惨な姿になりました。もちろんわたしの眼鏡は状態保存の魔術が掛かっていますから問題ありません。
「それで、目の前にあるのは何でしょう? 見えますね?」
「ヒィーッ! ざ、残飯がー!」
「あら? よく聞こえませんね? 知らないのであれば教えてあげます。それは料理ですよ。人によって味覚が違いますから味に関してはどう受け取るかは異なりますが、それを残飯だと思われるのでしたら、それは貴女の行いのせいに他なりません」
ふと、ラャキ国での散々な食事を思い出し、更に頭に血が上って来てしまったのは彼女の不幸でした。
「さて、貴女はこれに対してどう落とし前を付けるのでしょうか? 高貴な身分なのでしたら、それ相応の態度をお見せなさい」
このまま彼女が床に落ちている料理を一粒残さず平らげるまで、例え時間が幾ら掛かろうとも最後まで見届けるつもりでしたが、その前に乱入者があり止められてしまいました。
「陛下! お辞め下さい! やり過ぎです!」
衛兵達を伴ったマダリンでした。
……まだ気が済んでいませんのに……




