其の9 講義の開始
五つの鐘が鳴りました。講義開始の合図です。
一学年は半年間、座学・実学共に基礎課程の講義になります。
ここにいるのはみな貴族子女ですので、読み書き計算はある程度出来ている前提で講義は進められて行くのですが、進行度合いや理解度はそれぞれ異なるため、貴族としての共通認識の擦り合わせをしておく意味も持ちます。
一学年の午前は基礎の講義になり、午後はお試しの専門課程とに別れ、二学年からは全ての講義は専門課程になり、三学年は専門課程の講義を行いつつ卒業後の進路を見据えた準備期間となります。
基礎課程の講義は各教室が寮毎に分かれており、まだちゃんと知り合ってはいませんが見知った顔が見られます。
「結構、忙しいのね……」
隣の席でアリシアが履修表を広げ溜息を吐いています。
「初めの内だけだと思いますよ。専門課程といいましても、人によっては卒業後にそのまま嫁ぐ方もいらっしゃいますから、礼儀作法の講義などはお茶会講義などと言われ、のんびりとしたものだとか」
「なにそれ楽そう! アタシもそれがいいな〜」
「アリシアはもう少し言葉使いに留意いたしませんと、礼儀作法の講義はおろか、普段でも先生方に訓戒されてしまいますよ」
「だいじょーぶよ。センセーの前ではちゃんとするから。アタシよりミリーの方の方が心配よ。相変わらずしゃべり方が古臭いし堅苦しいんだから。アタシはもう慣れたけどさ」
笑われてしまいました。
わたしの最も身近な方がアンナにイザベラで、かつわたしの教師でもありましたから彼女達に影響されてしまったのでしょう。これは致し方ありません。
わたしが勉強を頑張らなくてはいけないのも、元は彼女のせいになりますから、深く考えますとモヤモヤとしますが、彼女達のお陰で予習は捗りました。基礎の講義はサッサと終わらせて早く専門課程に進みたいものです。
わたしは今一不安なアリシアを横目に、やる気に満ちて講義に挑むのでした。
───でしたのに、これはどうしたことでしょう?
「ミリセント・ノア嬢、講義の後にお話しがあります」
座学の講義は始め、各々の学力を確認するための簡単な試験を行い、途中休憩を挟みつつニ刻程掛かりました。
読み書き計算の基礎が出来ているか、魔術・魔法の見識度。王国の歴史、法律、諸外国との関係性といったものの理解度……。内容的にはそう難しくはありません。貴族子女であれば知っていて当然な事柄です。アリシアも「かんたん、かんたん♪」と鼻歌混じりで筆を走らせていました。
それが終われば午後からは実学の講義となるのですが、その間の半刻程はお昼の時間になります。道具を片付けながらアリシアとお昼は学園内の食堂に行くか寮に戻るのか、何を食べようかと相談していましたら、先程まで教壇に立っていた年配の女性教師に呼び止められ、午後の講義後に教員棟に来る様に言われたのです。
「ミリー、ナニやったの?」
「……さぁ?……わかりません……」
あまりに点がヒドかったんじゃない? とアリシアが笑っていますが満点ではなくともそれなりに自信があります。点数での問題はないと思うのですが……。
「まあいいや、それより早くゴハンに行こ!」
「……そうですね……」
モヤモヤとした気分のまま食事を摂り、実学の講義は気もそぞろで受けましたので何をしているのかわからない内に鐘が七つ鳴り、全ての講義が終わりました。
「じゃぁねミリー。先に帰ってるねー」
アリシアと別れ、足取りも重く一人教員棟に向かいます。
中は当然ながら教職員ばかりで生徒はわたしだけ。居た堪れない気持ちの中、件の教師からお話しを伺います。
「ミリセント・ノア嬢。早速ですが先程の答案の件になりまが、拝見したところ、その内容について看過出来ないところが御座いましてお呼び立てした次第です」
予想通り試験の件でした。
……あまりにも点が悪くて呼び出されたのでしょうか……。
厳しい視線を向けられて思わず萎縮してしまい、項垂れながら頭の中で先程の試験内容を反芻し、どこを間違えてしまったのか、計算でしょうか? それとも解答欄がズレてしまった……だといいのですが……。などと考え緊張しながら黙り込み続く言葉を待ち受けます。
「全体的には問題は無いのですが、ただ王国の歴史の項目です。これは一度貴女の見解についてお話しを聞いておかねば、と思いまして」
……?……
予想外のことを言われて目を見開き固まります。
「貴女は物語り作家か、史学の研究者にでもなりたいのでしょうか?」
……な、なんのことですか?
わたしがよくわからないといった顔で首を傾げますと、ため息を吐きながらわたしの解答用紙を突き付けます。
「よくご覧なさい。近世・近代については問題御座いませんが、古代から中世にかけての記述、ここです。特に王朝の成り立ちにからその後については正史と明らかにかけ離れ、貴女の主観に満ちています」
ジロリと睨まれました。
「確かに貴女が書かれたものと似た様な説を提唱する書物があるのは存じておりますが、それらは王族に対し不敬であると問題視されているのをご存知無いのですか?」
……そもそもそんな本があるなんて初耳です……。
頭の中で(ワシは嘘なんぞ吐いとらんからな!)とうるさいですが、これは間違いなくアンナのせいです。
アンナが語ってくれた歴史の方が本当に正しいのかも知れませんが、この反応から察するにかなり正史との乖離がある様子です。しかしここで「貴女の方が間違っているのでは? 当時の生き証人から直に聞いた話しですよ?」などと言う訳にもいかず、ここはただ黙って大人しく口をつぐんでいるしかありません。
……参りました……。
「そういった物を読むなとは言いません。確かに読み物としては面白くもあるのでしょう。しかしあれらは興味を引かせる為に荒唐無稽なことを書き立ているだけなのです。そんな物を学問の参考としてはいけません。良いですか? そもそも学問とは……」
……そこからが長くなりました。
それは最早お説教というよりも特別講義です。
彼女は、それはもう熱心にラミ王国の歴史について滔々と語り、気が付けば既に暮れ六つの鐘も鳴り終わり、陽も暮れてきています。
「……先生、先生! 聞こえますかー! ハイディ先生ー! いつまで話し込んでいるのですかー!」
それを見かねた他の教師が止めに入るまで、彼女の一人語りは終わりませんでした。
……疲れました……。
寮に戻る頃には既に陽も落ち、食堂の閉まる寸前に滑り込みます。
『なんだい? 今帰って来たのかい? 初日からナニやらかしたんだ? あんた、ズイブンとちいさいねぇ〜ほら、沢山食べて大きくおなり!』
片付けの手を止めさせてしまった食堂のお姉さん方に囲まれながら、急いで夕飯をかき込みます。
……うぅ……恥ずかしいやら居た堪れないやら……
お腹が膨れたことで人心地はつきましたが、肉体的な疲労に精神的な苦痛が重なり身体が酷く重く感じます。しかし疲れてはいても寝る前に身体は綺麗にしておかなければいけません。これでもうら若き乙女です。
幸い浴場は温泉を引いているらしく、夜中でなければ常に入れます。ありがたいことです。ですがのんびりと入っている暇はありません。サッサと上がるとなんとか消灯の四つ迄には部屋へ戻れました。
「あらミリー、遅かったのね」
……初日からこれでは先が思いやられます。
ろくに返答も返せず、寝台に潜り込むと直ぐに寝てしまいました。




