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その後の話。
……とはいえ、まだまだ、彼女たちの話は途中で、長い長い人生がこのあとに待ち受けているから、結末ではなく、経過にすぎないのだけれど。
ニキータはまだ父親の意思を確認しに村に帰ったばかりだし、ロレッタのほうも基本的に激務の中にいるので、もしもニキータが暫定父親との合意を得ても、血縁なし証明のことはだいぶ後回しになるだろう。
ブランは用事も終わったので新区画にある自分の店に戻って、その日の業務をこなすことになる。
新区画にできあがった『銀の狐亭二号店』は、実際のところ、情報収集のための拠点だ。
宿屋としての体裁はつくろいつつも、本業は半分政府組織みたいなもので、宿としての繁盛は望まれていない。
潰れないのが不自然なほど寂れてはおらず、十人いたら八人がすすめるほど繁盛もしない。
いてもいなくても誰も気に留めないぐらいの店というぐらいが望ましい。だから接客態度もさほど愛想よくしないし、あらゆることに力を入れすぎない。
適切であることに全力を出す。
がんばって『普通』を維持する。
それはブランが生まれた時からやってきたことのように思う。
周囲の同年代より明らかに頭抜けた能力を隠す。普通の人よりとてつもなく強い感情を隠す。世間一般に認められない趣味趣向は……まあ、他人には隠していた。
この偽装についてブランはうまくやれていると自分では思っている。実際に大きな問題が起こったこともない。
たぶん向いているのだろう。
だけれど、望んでやっているわけではない。
それはそうだろう? 遠慮斟酌いっさいなく、『自分』を出せるなら、どんなにいいか。
だから機会があれば暴走もする。今回のはたぶん、そういうことなのだろう。
「ブラン〜。新メニュー考えたの!」
……だというのに、双子のはずの妹は、そういう苦労がまったく見えない。
自分と毛並みの色が正反対というだけの彼女は、あまりにも一生懸命で、あまりにも不器用で……
自分と同じぐらい異常な能力を持っているくせに、やることなすこと、自然と『普通』で。
あまりにも恨めしい。
自分が苦労してどうにかこなしていることを、隣で鼻歌まじりにやられると、なんとも腹立たしいものだ。
それがこの、いかにも頭が鈍そうな、いかにもものを考えていなさそうな……それが偽装だとしたらあまりにも見事すぎる、同じ顔をした相手とくれば、腹立たしさもひとしおだ。
「うっさいバーカ」
はしゃぐ妹を冷たく撃墜する。
けれど彼女はそんなことを全然気にしない。まったく動じずパタパタ寄ってきて、新メニューとやらを差し出してくる。
ブランは食べ物を粗末にしてはいけないと父が言っていたので、自分に出されたものを払い除けたりはしない。
客が来ないのをいいことにカウンターの上に置かれた『新メニュー』はどうにも焼き菓子のようで、なんと言ったか、『ガトーショコラ』……の、模造品。
父原案の異世界料理の、材料が微妙に違うバージョンなのだった。
妹が期待を込めた目で見てくるのをやぶにらみで応じて、フォークですくってガトーショコラを口に運ぶ。
表面がちょっと硬い。七十点。
中がぎっしりしててなかなかフォークが通らない。七十点。
微妙に口の中の水分を持っていきすぎてパサつく。七十点。
味は、八十点。
でも飲み物をあとから思い出したように持ってくる。六十点。
総じて七十点ぐらいの、妹の振る舞い。
……狙ってやってるならすごいのだけれど、これが天然なのだから、目の前でニコニコしながら味の感想を待っているあの顔が腹立たしい。
ブランは無言のまま食べ終えた皿を厨房に下げに行く。
妹がニコニコしながらついてくる。
洗い場に皿を置いて振り返れば手が届くぐらい近くにいたので、ほっぺたをつかんで左右に引っ張った。
「にゃにしゅりゅにょぉ〜?」
「顔の形を変えてやろうかなって」
「へぇぇぇ〜!?」
もちろん本当にはやらない。父が悲しむので。
ほっぺたを放してやると、妹は涙目でほおをさすって、うらめしげにブランをにらむ。
……幼い時分ならにらみ返したのだけれど、この妹はこっちからの干渉を受け流すのがうまくって、こっちが力を込めるとへにゃへにゃと力を流されて、バランスを崩してしまうことばかりだった。
だから最近のブランはため息を一つつくだけで敵意だの恨みだの、悔しさだの敗北感だのを引っ込めて、力を入れすぎず、普通に対応するよう心がける。
「……いつになったら独り立ちするんだろう」
仲のいい姉妹、というほどでもなかったはずだ。
それがなんの因果か、二人で二号店を任されている。
きっと父のやっている組織の継承権を争うだろうとも思っていたのだが、宿屋店主も、裏のクラン活動も、ずいぶんあっさりとゆずられてしまっている。
……なんていう虚しさだろう。
こっちはこんなに妹と張り合おうとして、敵愾心さえあるぐらいなのに、妹の方はこっちのことを全然敵として見ていないのだ。
無邪気になついてくるものに敵対的な感情を抱き続けるのは、疲れる。
母や妹を嫌えなかったのはきっと、そういうことなのだろうとブランは思った。
「独り立ち? ブランが?」
「そっちの話だよ、ノワ」
「ん〜どうしよっかな〜。二十歳になったら色々やってみよっかな」
「…………」
ふわふわとした夢が普通に口から出てきたもので、ブランは絶句してしまう。
こういう振る舞いが自分にはできないのだと、会話のたびにいちいち思い知らされる。
「ブランは?」
ほら。
こうやって、普通に聞き返されると、言葉に詰まる。
それっぽい答え方はいくらでも浮かぶべきはずなのに、まずは自分の本心を探ってみて、そこがあんまりにも真っ白な更地なもので、ぽつねんと立ち尽くしてしまうのだ。
夢も希望もよくわからない。
目標も目的も終わってしまった。
言われたことはなんでもできる。でも、言われてないことをどこまでしていいかわからない。
目標を与えられれば成果を返す。でも、自分から目標を見つけ出すことができない。
「私には、なにもない。自分でしたいことが、なんにも」
ないものを、ないと答える、しかできない。
するとノワは、あまりにも普通に、こう応じた。
「じゃあ、宿屋が向いてるのかもね」
「━━は?」
「自分でしたいことがないなら、人のしたいことを応援するしかないもん」
宿屋は本来、そういう場所ではないけれど。
父の宿屋は、そういう場所だから。
……なんて、なんて、なんて、悔しく、恨めしいのだろう。
父のことをよく見ていたつもりだったのに、こういう発想がすぐに出て来ない。
だからブランは、妹のことを嫌いたい。
でも、あまりにも普通で、あまりにも好意的で、嫌い続けることができない。
「なんでそうなるの。ばかなの」
悔し紛れについた悪態は、あまりにも中身がなくって、上滑りしているようだった。
この程度の悪意じゃあ妹の心には届かない。虚しく空転する悪意は自分に戻ってきて、自己嫌悪になって心を重くした。
「でも〜。ブランが『なんにもない』っていうから〜……」
「……別に、今すぐ決めなきゃいけないわけじゃないでしょ。色々変わっていく時期だし。そのうち見つかるかもしれないし」
「あ、そっか」
「……ばーか」
「えへへへ」
「気持ち悪い笑い」
悪態をついても受け流される。ちっともショックを受けない妹に疲れる。経過していく、永遠に繰り返されるかのように錯覚する毎日。
これはまだ、結末にいたらない人たちの話だ。
世界は続いていくもので、その後の話は、神のみぞ知る。
これにて『セーブ&ロードのできる宿屋さん』シリーズすべて完結です。
みなさま今まで六年間ありがとうございました。