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ロレッタ・オルブライトとの面会はすぐに適った。
「ブランちゃんからのお願いとあらば、即応せずにはいられないだろう。アレクさんの娘さんでもあるし、あと最近は休む暇もなかったからちょうどいいしな……」
ブランには他にも貴族関係の知り合いがいるのだが、その人たちは総じて一年で五歳ぐらい歳をとっているような、常に疲れ果てているような、そういう影がつきまとっている。
もう一人の方の貴族の知り合いは元女王陛下の近衛兵だった女性だ。
ブランより二つ歳上でまだ二十歳にもなっていないはずなのだが、すでに充分な風格というのか、迫力というのか、疲れ果てて殺人者みたいな目つきになっているのだ。
女王退位に併せて近衛兵隊も解散したのだが、その女性は『特務折衝官』という新しい役職になった女王のもとから逃れられず、秘書をやらされているらしい。
さてそんなふうに年齢を重ねたロレッタは、たしかまだ二十代半ばぐらいで、見た目は今となっては若々しくさえあるのだが、しかしぼんやりながめていると五十代ぐらいの雰囲気があるのだった。
本当に激務で疲れ果てているらしい。
ロレッタと落ち合ったのは『銀の狐』がいくつか抱えるセーフハウスのうち一つで、簡素なテーブルに椅子が四脚ばかりあるだけの半地下空間なのだが、ここまでお疲れならもっといい場所に呼べばよかったと思うブランなのだった。
「もう今日は働くつもりがないので時間はいくらでもあるが、用件を先に聞いてしまおうか。そちらの赤毛のお嬢さんに関係することかな」
年齢を重ねたロレッタは口調がわずかにやわらいでいて、生真面目で視野の狭かったはずが、察しがよくなり、人の意思を見抜く目が磨かれているようだった。
一歩間違うと━━これは本人が『間違うと』と述べたのだが━━次の国家元首にされかねない状況が、ロレッタを成長させたのだろう。
すでに冒険者業は廃業し、鎧も剣も帯びていない。
簡素なシャツにタイトめのスカートという服装はしかし、武器を帯びている時よりも、よほど得体のしれない、重苦しい迫力がある。
大人に、まじめな話をする。
この迫力が『まじめに話を聞く大人』から発せられるものであることをブランはもう知っていた。
そういう時には、大人の背後に『人生』や『権力』が見えて、それが重苦しい気配を発するのだ。
これは『大人』と話をする経験を積まないとなかなかかわすのが難しい重圧で、ブランの隣にいるニキータなどは、緊張しきって異常に背筋を伸ばし、ガチガチに硬直していた。
仕方ないので、ブランが代わりに用件を話すことにする。
「実はこちらにいるニキータさんなのですが……」
ブランが切り出す話を、最初、ロレッタは興味深そうに、試すような笑顔をわずかに浮かべながら聞いていた。
しかし話が進むにつれわずかに目を細め首をかしげ始め、すっかり事情を話し終えるころには首をいっぱいにかたむけて眉根を寄せて『わけがわからない』という顔になっていた。
「……整理させてほしい」
ロレッタが片手を突き出してそう言うので、ブランは発言をやめてロレッタの思考が整うのを待った。
しばらくして、
「……つまり、父親との血縁がないということで、私にゴリ押してほしいと、そういう話……なのか?」
「はあ、そうですけれど……」
特に難解な内容とも思っていなかったし、ロレッタの理解力が低いとも思ってなかったのと、あともともと感情の起伏があまりないので、ブランの反応は薄かった。
しかしロレッタの中ではなにか引っ掛かりがあるようで、もう一度「ちょっと待ってくれ」と言って考え込んだあと、
「……連絡をしてもなかなか会ってくれない、避けられていたとさえ思っていた、恩人の娘さんから、突然連絡が来て、会ってほしいと言われた。望み通りに会って用件をたずねてみたら、『父親と結婚したい子がいるので、父親と血縁がないことを貴族の力でゴリ押してほしい』と言われた」
「ええ、まあ……」
「…………なんだこの状況!?」
「今しがたロレッタさんがおっしゃった通りの状況ですが……」
「理解はできている。けれど感情が理解を拒むのだ。君たちは親子だな、本当に!」
「お褒めにあずかり光栄です」
ブランは『父の影響が濃く出ているよ』と言われたと解釈したのでお礼を述べた。
ここでロレッタが長考したおかげだろう、極度の緊張状態から復帰したニキータが「そういえば!」と上っ張りの内ポケットからなにかを取り出す。
「あの、これ、オルブライト様との血縁を示す書状がありまして……」
「いやいやいや! もうそれ、意味なくないか!? 私と遠縁だったとしてなんなんだ!? 問題の本質はそこにないっていうか、そこは君にとってどうでもいいんだろう!? 私はどんな気持ちで血縁証明書を見せられたらいいんだ!」
「親戚補正……?」
「……私ももう若くないな……君たちの話についていけない」
ロレッタは遠い目をした。
それは彼女が『銀の狐亭』本店で豆を出されるたびにしていた目だった。
ロレッタはしかし当時と比べると精神がだいぶ強靭になったようだ。
ため息を一つつくだけで正気に戻り、
「……とにかく、血縁者との婚姻はタブーだし、それをおおっぴらに認めることはできない」
「どうして!?」
「『どうして』!? 逆にどうして認めてもらえると!? あのな、なぜかこの場では私が少数派みたいになっているけれど、私の方がこの件にかんしては常識的なのだぞ!?」
「『血縁者』ではなくって『血縁見込み』です! 私と父は血がつながってないべきです!」
「『べき』か『べきじゃない』かは君の願望だからなあ……とにかく、きっちりと血縁がない証明ができない以上、後押しもできない。私の遠縁であることは書状があるならば認めよう。今後は遠い親戚としての交流もあるかもしれない」
政界にいる者からすると喉から手が出るほどほしいコネであった。
しかしニキータにとってはどうでもいい。
「そんな、血縁だけ認められても困るのです! 別にオルブライト様の親戚みたいな顔をしたいわけではないのですよ!」
「あとロレッタさんの親戚だってバレると政略結婚仕組まれかねませんよね……」
ブランがボソッとささやくと、ニキータが顔を青くする。
「そんな!? 父以外と結婚しろと!? なんて非常識で穢らわしいんだ!」
「私が君たちのことを理解できないのは、年齢差だけが原因ではなさそうだな……」
ぼそりとロレッタがつぶやく。
ニキータはしょんぼりうつむき、
「……まあ、しかし、世間は『この感じ』ですよね。……いっときでも夢を見れただけ、私は幸せなのかもしれません」
「む……」
目の前で自分を頼ってきた少女にしょんぼりされると心が痛む。
うつむくニキータの肩を、隣のブランがたたく。
顔を上げたニキータの瞳はわずかに潤んでいた。
ブランはじっと彼女の目を見て、口を開く。
「友人として申し上げます。どうか……世間に負けないで。倫理観なんかに……負けないで」
ロレッタが「友人と思うなら説得の方向が違うのでは」とつぶやいたが、同志二人のあいだはすでに第三者が立ち入れる空気感ではなかった。
ニキータはブランだけを見ている。
ブランもまた、ニキータだけを見ている。
呼び出されて置いてけぼりを食らっているロレッタは、死んだ目で二人を見ている。声を発さず見守るしかない。
「ニキータさん、あなたには、いざとなれば……父を誘拐するという手段が残されています。どこか誰も知らない遠い場所に行って、そこでひっそり二人で幸せに暮らすという道が……」
なにせこの世界、食べるだけならさほど困らないのだ。
暴雨暴風などで物理的にどうにかならない限りたいていの穀物はすくすく育つ。畑さえ確保してしまえば不作ということがまずないのだ。
植物の病気などはあるようなのだが、それの観測は難しい。色々なことに手を出しているブランの父によると『不作につながる病気は存在するのだけれど、知らない間に修正されてる。誰かパッチでも当ててるのかも』と彼特有のわけのわからない発言をしていたぐらいだ。
初代大王の時代には地上にモンスターがはびこっていて畑の場所を確保するのも難しかったようだが、今、モンスターはダンジョン内にしかいない。
しばらく放置されたダンジョンからはモンスターがあふれてくるようだが、冒険者ギルド協会の管理はここ数年でみるみる徹底しており、高難易度ダンジョンには『さる組織』から派遣された者が出向いてモンスターの間引きをしている。もうあふれ出すことはないだろう。
だからこの世界は本当に『食べていくだけなら、致命的なことにはならない』のだ。
政治形態の変化による情勢不安も、『王家』がなくなったことによりそれと密接に関係していた神殿の影響力減衰……そこから生まれた新興宗教たちの勢力争いも、人里離れてしまえば関係がない。
この世界は━━まるで誰かが願ったかのように、適度な危険はありつつも、平和で、安全、なのだった。
「でも、愛する人を誘拐なんて……」
誘拐という手段をささやかれたニキータがためらうように言う。
しかしブランはニキータの肩に優しく力をかけて、首を左右に振る。
「なんでもするべきです。……さもないと……」
「……さもないと?」
「突然出てきた『新しいお母さん』が、あなたの弟を産んだりしますよ」
ブランには今、弟がいる。
いわゆる『見做し母』と『見做し父』のあいだに生まれた『見做し弟』だ。
この父母と弟との血縁とはまずもって間違いなく……
細部がまだまだふわふわしているとはいえ、一応国家が正式に参照している『戸籍』において保証された、あの父が、あの母とのあいだに作った子供なのだ。
その元気な赤ちゃんが生まれるまでにはもちろん色々あった。
だんだんふくらんでいく見做し母のお腹など、じわじわと精神にダメージを与えてきたものだ。
母を倒して父を奪う━━ブランはずっとそう決意してきた。
けれど母が妊娠した時の敗北感と衝撃は、ブランの決意を砕くのに充分なものだったのだ。
だからこそブランは言う。
「どうか、負けないで」
自分のように。
……自分はもうあきらめてしまっていて、本当は同胞なんかじゃないのだけれど。
……だからこそ、負けないでほしい。
夢を見る権利は期間限定で、どれほど心の中で『終わっていない』と思ってみても、どうしようもない現実が強引に『終わり』を押し付けてくることがある。
ブランにとって母の妊娠から弟の誕生までが『終わり』だった。
「なにかに真剣になることに、誰かの許可はいらないけれど……チャンスは回数制で、時間制なんですよ。私は強引にさらっていればよかったと思うことが今でもあります。あなたにはどうか、後悔をしてほしくない……」
「……やっぱり、さらうのは、ためらうもの、なのか?」
「ええ。私の両親は……めちゃくちゃ強いので」
「めちゃくちゃ強い」
「意趣返しに弟をさらおうかと思ったんですけどね。弟は……弟なんです。恨めないし、異性として愛せない。他人の子供じゃなくって、弟なんですよ……」
「わけはわからないが、とにかく悲しい気持ちが伝わってくる……」
「単純ですよ。この愛は代わりを見つけられない唯一無二のもので、それはとっくに終わってしまったということです。勘違いだったと思うこともあります。本当に愛していたのか理由を考えて、精一杯『愛するほどでもないわけ』を挙げたりしても……人を愛するのに理由なんか必要ないっていうことが、わかるだけなんです」
「……」
「だからあなたは、『好きになるはずがない理由』をあとから挙げるような、そんな時間を過ごしてほしくないと思っています」
「……ブランさん」
「あと、うちのパパは性格に難があるってよく言われますけど、普通に経済力もあるし大きな組織も立ち上げてるし、結婚を経済活動と捉えてドライに考えてみても、これ以上ないぐらいの人なんですよね……」
「あきらめきれてはいないのだな……」
「新しい恋はきっと、前の恋の死骸の上にできるんです。足元に転がる私の心の死骸の感触を、私は永遠に足裏から拭い去ることはないのでしょう。愛することができなくなっても、愛した過去は消えないので」
「……なにかあったのは充分に察せられたよ。それに……畳み掛けてきているのも、わかった。……うん。勇気をもらった。ありがとう。私は……父をさらってみるよ」
少女二人は見つめ合って微笑む。
そこに傍観していた第三者からの声がかかった。
「待て待て待て! 私の目の前で物騒な決意を表明しないでもらえないか!?」
「オルブライト様……しかし、これはもう、決めたことです」
「いやしかし、目の前で堂々と誘拐宣言されては、憲兵隊……ああ、いや、今は警察隊だな。警察隊に連絡しなければならん」
「くっ……卑怯な……」
「誘拐計画を練っている君が悪いと思う。……わかった、わかった、私も折れよう。君と君の暫定父親が結婚の方向で合意しているなら、私が君たちに血縁がないことを証言する……」
それは『自分に相談してきた少女を誘拐犯にするか、別ななにかにするか』という究極の選択のすえの、苦渋の決断であった。
父親誘拐というわけのわからない犯罪行為をされるぐらいなら、合意を確認した上で二人の仲を応援した方が、犯罪発生件数が減るという思いから出た苦し紛れであった。
この場に居合わせたことがそもそもの不幸だったと言える。
ロレッタは目の前で行われた犯罪の相談を見なかったことにできる人格の持ち主ではないのだ。
だから深い深い、長い長いため息をついて、
「……家督継承の指輪を取り戻そうとあがいていた時の私も、このぐらい無茶をしていたのだろうか」
若かりしころを思い出す。
人生の転機。恩人のこと。
あの異常かつ悪夢のような、『セーブ&ロードのできる宿屋』で過ごした、もう六年も前になる、あの日のことを。
ロレッタさんの実年齢は二十代なりたてですが、ブラン視点での言及かつブランがロレッタさんの実年齢をよく覚えていなかったので、『二十代半ば』と思ってます