“音”
「ミソフォニア」
音嫌悪性 または 音恐怖症 とも呼ばれ、まれに診断される医学的な障害であり
特定の音や行動に対して否定的な感情(怒り、逃避反応、憎しみ、嫌悪)が起こされる。
(Wikipediarより引用)
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「あなたが何を考えているか分からない」
一体何回この言葉を聞いただろうか
(お前になんて言ったって何も分からない。)
一体何回この言葉を飲み込んで、僕に優しくしてくれる人達に何も告げずに切り捨てたか。
人から逃げて1人でいる事、それがミソフォニアを持つ僕にとっての“普通”の人生なんだ。
ずっとそう思っていた。
ーーーー高校生時代ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高校生になって2度目の夏。連日の猛暑日で、今日も教室の窓は最大まで開いており、時折吹く風でカーテンが大きく揺れる。
貴明はいつもの場所で昼ごはんをさっさと済ませ、クラスメイトがそれぞれ雑談をしている騒がしい教室に戻った後はお気に入りの音楽を聴きながら自分の机で眠っていた。これが高校生になってから続く貴明の昼のルーティーンだ。
貴明はみんなから自分はどう見られているのか、入学当初はそんな事を考える時期もあったが、今となってはどうでも良い事だった。
「、、、たか」
「、、、、」
「貴!」
大きな声の呼びかけで僕はイヤホンを外し突っ伏していた机から急いで顔を上げた。
「ん、、?新一、、」
「ん、じゃねえだろ!いつもならお前もう起きてんのに寝てるから、、起こしてやったんだよ。もう昼休み終わるぞ」
「あぁ、そっか。もうそんな時間、、」
時計に目をやると授業開始の5分前だった。
「あとさ、今日の放課後にみんなでラーメン食いに行くんだけどさ、お前も行くか?」
「みんなって、、誰?」
「俺と同じサッカー部の友達で違うクラスなんだけど、お前の事話したら会ってみたいってなってさ!ほらサッカーゲーム強いじゃん?飯の後はそいつの家でみんなでやろうってなって」
少し悩んだが、新一の言葉にはいつも力強さとどこか優しさもあり、いつも気付くとその言葉に背中を押され首を縦に振っている。
「、、、まぁ、良いけど」
「お!ダメもとだったけど、良いんだな!あ、、そんで、今回も、、まぁ全然途中で帰っても良いからさ。じゃあ、楽しみにしてるわ!」
「うん。」
満面の笑みでそう言うと新一は自分の席へ戻っていった。
(いつもありがとう)
自分の席に戻り後ろの席の女子生徒と楽しそうに喋っている新一の姿に向かって自然と感謝を伝えた。
新一は沢山の人に見捨てられた僕の事を何度も気にかけてくれる大切な友達だ。
「授業始めるぞ」
先生が教室に入ってきて、教室は先程までの賑やかさが嘘のように静かになった。
その瞬間、誰かの大きく鼻を啜る音が聞こえた。
僕は先生に見つからないように再びイヤホンをつけた。
ーー放課後ーーーー
新一に連れられて、集合場所の自転車置き場へ向かった。
「おーう!お待たせ!」
新一が手を振ると、3人の男がそれに答えて手を振った。
「こいつが昨日話してた貴明!」
「初めまして」
3人とも見かけた事はあったが、話すのは初めてだ。
挨拶をすると、長髪の1人の男が話しかけてきた
「あれ?お前いつも外で一人で昼飯食べてる奴だよな?」
僕はいつもグラウンドの外れにある階段で一人弁当を食べている。
目立つ場所ではないと思っていたが、やはり完全に人目を盗むのは難しいようだ。
「えっ、、そうだけど」
「新一と友達なのに、なんで昼に一緒じゃねぇの?」
「いや、それは、、、」
僕のこいつに対する第一印象は最悪だ。なんでそんな事を聞く必要があるのか。
返事に詰まると代わりに新一が答えた
「なんでも良いじゃん康太。こいつ昔から一人が好きなんだよ。」
「ふ〜ん。ま、とりあえず店に行くか。」
みんながそれぞれの自転車を持ってきて走り出した。
貴明は一番後ろでみんなの背を眺めていた。
(一人が好きな訳じゃないよ。ただ、、)
目的のラーメン屋は自転車で10分ほどの距離にあった。
店の前に自転車を止めると3人のうちの一人、直也が口を開いた。
「ここが最近出来て、今話題のラーメン屋「源」だ!一度来たかったんだよね」
来た時間が早かった為、すぐにテーブル席に着くことが出来た。
みんなが楽しそうにメニューを開いて注文する料理を話し合っている。
しかし僕の意識はカウンターでラーメンを食べている中年の男性に向いていた。
ずるずると必要以上に麺を啜る音、口に含んだ後の必要以上に大きい咀嚼音、挙句の果てに
一定の間隔でわざとらしい咳払いをしている
(なんなんだよ。なんであんな音を出して平気なんだ。もう止めてよ。あんな奴、、、
殺してやりたい。)
不快な音に自分の感情が高まる。呼吸も早くなり、じわじわと発汗している。
「、、、貴」
「おい、貴!」
新一の声で我に帰る
「、、え?」
「え、じゃなくて。お前は何にするんだよ?」
我に帰るとみんなは注文するものがすでに決まっていた。
「あ、新一と同じので、良いよ、、。」
「分かった」
店員を呼び注文を通すと、みんなで学校の事やサッカーの話をして盛り上がった。
康太や直也、もう一人の祐太が積極的に話しかけてくれた事で、話に夢中になっていた。
そして気付くとあれだけ気になっていたカウンターの中年の男性も姿を消していた。
「貴、お前本当にサッカー詳しいな!中々こんな詳しい奴いねぇから楽しいわ!」
「はは、まぁやる方は全然なんだけどね。」
「じゃあ教えてやるから今度休み時間にでもやろうぜ!」
第一印象とは裏腹に康太と僕はサッカーで意気投合をして距離が縮まっていた。
そこで注文をした食べ物が次々とテーブルへ運ばれてくる。
「直也、お前本当にそんなに食うのかよ!」
「おう!だってラーメンもチャーハンも、この唐揚げだって美味そうだったんだもん!」
「お前弁当だってすげぇ量なのに、、」
「全然大丈夫だよ!俺たちって育ち盛りじゃん!」
そう言うと隣に座る直也は一心不乱に音を立てて食べ始めた。
「食うのは良いけど、明日の部活で動けねぇなんて言うなよ」
4人は笑っていたが、僕だけは真逆の感情に駆られていた。
(直也の食べる音、なんなんだよ。どうしてこんな不快な音を出せるんだ。なんでみんな平気なんだ。どうして、、。)
僕は怒りで最後には自分の食べているラーメンの味も分からなくなっていた。
僕が食べ終わった後も、大量の注文をしていた直也は不快な音を出しながら食べ続けていた。
我慢が出来なくなった僕は新一に告げる。
「本当にごめん。先に帰っても良いかな?」
怒気を含んだ突然の声を聞いて全員が貴明を見つめた。
とにかく1秒でも早く“音”から逃げたかった貴明は、新一の返事も待たず唖然としている康太達にも何も説明もしないままお金を置いて店を飛び出した。
外に出ると少しだけ空の色がオレンジ色に変わっていた。
そんな夕方の空を背に、逃げるように貴明は自転車を漕いだ。
貴明の目には涙が浮かんでいた。
(ごめん、、、本当にごめん)
ミソフォニアには特徴がある。
嫌な音や行動から逃れれば、すぐに怒りの感情はなくなる事だ。
あれほど自分でコントロール出来なかった激しい怒りの感情は消え失せ、自分のしてしまった行動だけが
頭には深く残る。
(ごめん、、、本当に、、ごめんなさい)
誘ってくれた新一に“また”同じ事で迷惑をかけた事、自分を受け入れてくれた康太、直也、裕太全員を裏切ってしまった事実だけが貴明の心を苦しめていた。
いつもより遠回りをした帰り道、気持ちの落ち着いた貴明は自転車を押しながら河川敷を歩いていた。
イヤホンからはいつも聴いている歌が流れていた。そして、その歌詞を自然と口ずさんでいた。
「そうだ、、僕だけがいなくなればいいんだ」
貴明は夕陽に染まった川を眺めながら、再びその目には涙が溜まっていた。