第十四話 世にも奇妙な小旅行(1/6) 旅行前夜
ヴァラデア直営幼稚園に通う園児たちの帰宅は、だいたい西の空が暮れ始めてくる前と決まっている。
子どもたちはまだ明るいうちに帰宅して、早いうちにご飯を食べて、お風呂に入って、父母よりもずっと早く眠りにつく。それがこの国に生きる子どもの常だ。
今日も夜のとばりが降り始める前に人間の子どもたちの親が迎えに来て、一人残らず帰っていった。
その一方で、先生方の帰宅は陽が沈みきってからとなる。
昼間は子どもたちの世話のためにできなかった事務処理や、明日のための諸々の準備をする必要があるのだ。
その仕事量は地味に多い。
ここの幼稚園は、普通よりも子どもの数が少ないので手に余るほどの仕事はないものの、それでも他人の一日を預かるという仕事柄ゆえに繊細な作業が求められて、精神的な重圧が大きくなる。一日を終える頃には疲労でバッタリだ。
世の教職者というのは大変なものである。それをよーく実感する。
「じゃあ、シルギットちゃん。きみたちの日誌を端末に送るから、今日の分の記入をお願いねー」
「わかりました」
幼稚園の職員室に教諭たちが集う。窓の外には暮れなずむ空が広がっていて、目に見えて薄暗くなってきている。しばらくすれば陽が完全に沈んで、辺りは夜闇に包まれるだろう。
でも、部屋の中は十分な照明で照らされているので、ここはいつでも真昼間だ。その環境のおかげで、時刻に影響なく作業することができる。
ドラゴンの目なら照明が無くても問題なく作業できるけど、やはり明るい方が良い。光を支配するドラゴンだからなのか、明るいほど身も心も落ち着くのだ。
子ドラゴン専用の特注事務机に向かい、同僚の丸メガネから大型タブレット端末に回された書類の処理を始める。
「なーんで幼児の私が、職員室で事務仕事してるんですかねぇ」
「そう言いつつ手ぇ動かしてるじゃないの、しーちゃん。いや、ドラゴンだから前足か」
「いちいち言い換えなくてもわかります」
「相変わらず無駄口多いなー、へっへっへ」
へらへらと薄っぺらく笑っている丸刈りがからかってくるが、適当に受け流しながら淡々と前足の指を動かして、書類へ文字を入力する。気分的に足りないアレコレは尻尾を揺らすことで補う。
この書類は、ドラゴン姉妹の保育日誌だ。今日はなにをやったのか、どんな問題が起きたのか、明日からはどうするのかなどについて書き込む。それで蓄積した情報をもとに教育計画を立てていくのだ。
最初は先生方の仕事に興味があったから、勉強ついでに少し手伝ってみただけだった。それを続けているうちに手伝う範囲が広がっていって、妹の日誌を丸々書くようになって、うやむやのうちに自分のものまで書くようになったのだった。
赤ちゃんが自分自身の保育日誌をつけるとはこれいかに。たぶん史上初だろう。
第十四話 世にも奇妙な小旅行
まず、今日の妹の様子を思い出す。
どんなことを学んだか、だれで遊んだか、なにを食べたのか、機嫌は良かったのか悪かったのか、具合が悪そうにしていなかったか、等々。一日を通して観察してきたことを余すことなく書き記す。
人間の何十倍も高性能なドラゴンの頭脳を本気で回転させれば明瞭に思い出すことができるので、この作業は楽である。
記録を書き終えた次は、明日からの教育計画を書きだす。ここからは真面目に頭をひねらなければならない。
シルギット的あの子の重点教育課題は“人間関係”である。
あの子は無敵のガキ大将なうえに、生まれついて傲岸不遜なドラゴンだ。人間たちに対して横柄な態度をとってばかりいて、いつでも我がままを通そうとするという、控えめに言っても嫌な性格の子である。
皆に嫌われて仲間外れにされてしまわないか心配だ。そんな問題を改善するために、いつも妹向けの教育計画を練っている。
まあ、こんな特殊過ぎる幼稚園に通う子どもたちも然る者、妹がどれだけムカつく態度をとっても華麗に受け流しているので、当面は心配することもなさそうなのだが。
たぶん子どもたちは、ドラゴンといっしょに過ごすための教育を裏で施されていたのだろう。職員がプロなら子どももプロだ。ドラゴンとの接し方をよく心得ているようだった。
時間をかけて妹の日誌を仕上げたら、次は自分のものに手を付ける。
自分の観察記録をつけるのは、妹のものよりも一段と難しい。単純に日記をつけるだけだと“観察”記録にならないので、よく考えて書かなければならないい。
いつ、誰と、どこで、なぜ、なにをしたかを思い出して、それを自分を見つめる第三者視点に置き換える。シルギット先生がシルギットちゃんの世話をした場面を想像し創造する。
ここで一番気をつけなければならないことは、観察対象の心情をそのまま書きだしてはいけないことだ。
他者の心を読むことはできない。いつかそういう神秘が発現する可能性はあるが、とにかく観察対象の思っていることはわからないのが普遍的常識なので、その常識に収まった客観的意見として書かなければならない。
そこさえ押さえれば、割と自然な感じの日誌が出来上がる。
担当してから始めの頃は苦労させられたものである。アリサによって『不自然すぎる』と何度もだめ押しを喰らってしまい、かなり遅くまで残業する羽目になったのは、今となっては懐かしいものだ。赤ちゃんに残業させている時点でいろいろおかしいことは気にしない。
文章力が上達した今では書類作成にてこずることはなく、自分用の観察日誌も滞りなくつけ終えることができる。
今日も問題なく作業が終わった。
レビューを依頼するため、できあがった文書をアリサの端末に送る。これであとは結果を待つだけだ。
それまでの間、いろいろな文書を適当に漁っていると、ふと画面の片隅に気になる見出しを見つける。
「お泊り会の、お知らせ?」
爪先で端末を操作して、気になる文書を拡大表示する。
車を飛ばして数時間のところにあるヴァラデアの別荘に行って、自然と触れ合って遊んだ後に一泊して、朝ご飯を頂いてから帰るという、一泊二日のまったり旅行計画のようだ。開催日はなんと、たった一週間後らしい。
そんな話は一度も耳にしたことがないことに違和感を覚える。これほどの大イベントとなれば、もっと早くに連絡があってもおかしくはないはず。
「あの、お泊り会? って、あるんですけど。なんですかコレ? こんなことをやるなんて聞いたことがないですよ」
「あ、それはね」
誰ともなしに呟いてみた疑問に答えたのは、席から立って背筋を伸ばして体操している丸メガネだ。
「ヴァラデアさんが中古の別荘を買ったらしくてね、ん~二週間以内にそれを活かせる旅行計画を立てろって命令してきたんだよ、先週に。計画はなんとか形になってきたから、三日後くらいには連絡できるかな?」
「なるほど」
背筋もおさげも伸ばして気持ちよさそうにあくびをしながらの答えで、とりあえず納得する。
あのお母さんは、なにかいいことを思いつくと衝動的に実行しようとする悪い癖を持つのだ。その思いつきの正しさを検証するために、教師たちに無理強いしてきたというところだろう。
あまりに唐突な話ではあるが、これはこれでおもしろそうでもあった。
生まれて初めての外泊ということになるので、わくわくが止まらない内容といえる。
お母さんの気まぐれも、ときには良い方向に働くようだった。
「反応薄いねー? キミ」
丸メガネはメガネの位置を指先で直しながら首を傾げる。なぜか笑いをこらえているようで、柔らかそうな頬をぷくっと緩ませているのが謎だ。
「まあ、あのお母さんのやることですし。話自体はおもしろそうだから、まあいいかってなってね」
「淡白だねえ。でも、実際おもしろくなるかなー? 今回行くところって観光地でもなんでもない超ド級に不便な田舎でね、見どころがないんだよ。まともな情報がさっぱり集まらないから、計画組むのも大変だったんだよね」
丸メガネはいやに演技臭い仕草で肩をすくめつつため息をつく。ほかの大人たちもうなずいているので、一同それなりに苦労したことがうかがえる。
「なんでそんなところの別荘を買ったんだ……?」
そこでひとつ気になるのは、大した魅力のない僻地にある別荘など価値が低そうなので、投資の候補に入るとは思えないところだ。なにがヴァラデアの心を刺激したというのか。
「さあね。ドラゴン的におもしろそうなトコがあったんじゃないかな?」
「ドラゴン的……狩りをするのに使える、くらいかな」
「狩りっうふっふっ、それはないと思うよ。きみたちが狩りをするのに使う場所って、だいたい決まってるみたいだしね。わざわざよくわからない僻地なんて選ばないよ、きっと」
丸メガネは柔らかそうな頬を膨らませると、ぷふっと吹き出しながら笑気に震える声で答える。
なんかむかつく顔である。でも、言っていること自体は間違っていない。
ヴァラデアが狩りをするところはだいたい決まっている。肥沃で広大な専用狩場をいくつも持っているので、わざわざ新しい狩場を開拓する必要はないだろう。
「じゃあ、なにかすごい人……有名な人とかがいたりしませんか?」
「いちおう調べたけど、そんな話は聞かなかったねー。というか、ほかに人が住んでるのを見なかったし、今回行くところ」
狩り以外にドラゴンの心をくすぐる要素といえば、なにか強い力をもつ奴がいることくらいか。その強さを取り入れるために策を弄するのがドラゴンだ。
でも、そんなのが居たとしたら、直接会いに行っていたに違いない。それは別荘を買う理由とは結び付かない。
「うーむ、じゃあどうしてなんだろうなあ」
「いやいやぁ、しーちゃんよ、ほかにも考えつかね? 景色がいいとか、食い物がうまいとか、珍しい動物を見れるとか、いっぱいあると思うんだけどよ」
丸刈りが仕事を止めて立ち上がると、呆れと笑いが入り混じった顔で手を振りながら話に割り込んでくる。
彼の言うことは、確かに別荘選びをする際に考慮するべき魅力的要素といえるだろう。
「……どうでもいいですね、それは。うん、ドラゴンにとっては」
だがそれは人間視点での話だ。ドラゴン目線から率直に言ってみれば、良い景色とは自分で造る棲み処であり、うまい食い物とは獲りたての獲物か自分で作る料理であり、珍しい動物とは自分たち自身のこととなる。
丸刈りが語る要素は、特別足りえない凡庸なものだ。理屈はともかく、そう感じてしまう。
「ああ、そうなのか。ハハハ」
目に見えて答えに窮した様子で、丸刈りはすごすごと引き下がって席に戻った。やっぱり種族が違うと相互理解はやりづらい。
あと考えられることは、ヴァラデア個人の好みに適うものだったということくらいか。その好みがなんなのか不明というところがそもそもの疑問なのだが。
「ま、どんなところかは、行ってみればわかるんじゃないの」
丸メガネは興味なさげにそれだけ言うと腰を下ろして作業に戻ったので、それにならって端末に目線を戻す。
百聞は一見にしかずだ。見たことがないものに対して無駄に考えを巡らせるのは非効率極まりないので、この話はやめることにした。
「シルギットちゃん、日報確認したよ。ちょっと言い回しをこっちで修正しといたけど、ほかは問題なかった」
アリサが大声で呼びかけてくる。先ほど作った日報は特に問題なかったらしい。
それはつまり、仕事が終わったということ。あとは屋敷に帰るだけだ。
「ああ、はい、そうですか。じゃあ、もうあがりますね」
「おつかれさまー」
「おつつー」
いつものように職員室を辞する。
それとほぼ同時に、どこからともなく現れたヴァラデアの気配が空から近づいてくると、玄関のほうに降り立った。仕事が終わってから迎えに来るのが早すぎだが、これもまたいつものことだ。
玄関に向けて通路をひとり歩きながら、次の行動について考える。
先のお泊り会について、お母さんにいろいろと質問してみようかと思うが、やはりやめておくことにする。
会まであと一週間に迫ってもヴァラデアからの連絡がなかったということは、きっと驚かせるためにもったいぶっていたのだろう。下手に訊いてしまって『誰がバラしたんだ』とか言って不機嫌になられると面倒なので、今はそっとしておくのが無難だ。
今日はなにも見なかった。なにも聞かなかった。当面はこれで問題なし。
あと気にしないといけないのは、ヴァラデアから正式なお達しがきたときに、自然な対応をできるかどうかだろう。
うかつな真似をしないように心の準備をしておこうと思いながら、玄関扉を開け放つ。
同時に扉の隙間からヴァラデアのでかい頭が捻じ入ってくる。もう少し離れて待てんのかと言いたい。
「今日もご苦労だったなシルギット。さあ帰ろう」
ヴァラデアは首根っこをくわえ持ってくると背中に放り出し、振り向きざまに尻尾で玄関扉を閉めつつ飛び上がった。
屋敷に向かう間の数分で親子の話をするのが、帰るときのお決まりだ。
さて、今回は何から話すべきかと思案していると、すぐにヴァラデアのほうから話しかけてきた。
「人間たちの仕事の手伝い、今日は前よりも早く終わったじゃあないか」
「まあ、何度もやってるから、もう慣れたよ」
「そのうち暗くなる前に全部終わらせることができるようになるんじゃないかな? さすがはこの私の娘だね、素晴らしい処理能力だ」
ヴァラデアは嬉しそうに低い地声でリズム良く喉を鳴らす。
「なんの見返りもないのに人間の仕事を手伝ってやるなんて、おまえはなんて優しいんだろうなあ。おまえの優しさはもっと評価されるべきだと思うよ。あいつらはおまえの優しさへの対価を支払うべきだよね」
「なんか言い出したぞ~」
「そこで私は言ったんだ、『慰安旅行っていいよね』ってね。というわけで、あいつらは一泊二日の旅行計画を練ってるから、近いうちに開催通知が来るだろう。初めてのお泊りだぞー、楽しみにしていなさい」
「そう。楽しみだね」
お泊り会についてはそのうち話を振ってくるだろうとはわかっていた。でも、まさかその日のうちに話してくるとは思わなかったので少し驚くが、なんとか冷静に対処する。
「反応薄いなー? シルギット」
「いや、ちょっと話が急すぎてね。そういう話って、もっと前から知らせておくもんじゃあないかな? 常識的に考えて」
「そうでもないと思うがな」
感づかれないようにと意識しすぎたためか、逆に不自然だったようだ。なにやら怪しげにチラ見してくるヴァラデアだが、すぐに正面へ向き直った。
迷いなく突き進むヴァラデアの後頭部を見てふと思う。
このお母さんは、上の娘が教師の仕事を手伝っていることを知っているのだが、それに文句を言ってきたことはなかった。娘が年齢不相応すぎる成長を見せることを嫌う彼女が、幼児にふさわしくない大人の仕事をすることを許していた。
そんな変わった態度を見せていた理由は、このお泊り会のための仕込みだったのではないか。
このお母さんの場合はその可能性が大きくなるので、少々胸に嫌なものを感じるが、いまさらそんなことを気にしても仕方ない。
話自体はおもしろそうなのだから、細かいことは気にせずに楽しんでしまうが勝ちなのだ。