第三話 栄光への第一歩(3/3) 奇跡の子
五分の面会時間はあっという間に過ぎて、首相ご一行は逃げるように退室していった。
面会室を隔てる大きな壁が閉じると、育児部屋は殺風景な閉鎖空間に戻った。
やや虚ろな目をしているヴァラデアは、鼻先が地面につくほどに深くうつむいている。ちょっと疲れているようだ。
面会時は楽しそうに首相をいびり倒していたのに、あんなクソ対応でも気を遣っていたのかもしれない。
なんとも信じがたいことだ。ドラゴンとしては若輩者の身では、母親の考え方を理解することはできそうになかった。
「みなさん、お疲れ様でした」
「ああ、おまえも。今日はご苦労様」
しばらくすると、エクセラが壁の穴越しに話しかけてきた。
ヴァラデアは長い首だけを持ち上げると、もっさりと前足を振りながら返事をした。
「タイラさん、体調崩して病院に行っちゃいましたよ。今回のあれ、なんだったんですか? なんで無駄に脅してたんですか?」
「ああ、それはだね……」
「子どもが大事だってことを訴えたかったってことはわかりますよ? 私にとっても大事です。気持ちはよーくわかります」
エクセラは出だしから攻める。対するヴァラデアは、意外にも控えめな態度に留めていて、攻勢を跳ね返すことができていない。
「でもね、だからって病院送りにする必要ないですよね? 時間を割いてお祝いに来てくれた人にとる態度じゃあないですよね?」
「はい」
「それくらいの常識、ヴァラデア様は持っていますよね?」
「はい」
厳しく責められたヴァラデアは、しゅんとすると素直に返事をした。
気まずそうに視線を床に落としながら頬を爪で掻くその姿は、千年以上の時を生き抜いてきたらしい強大なドラゴンにはとても見えない。
「まったく。初めて見ましたよ、敵でもない人をあんななぶるなんて」
「いやね? あいつはしっかり見てないと調子に乗るやつだから、あそこは強気で行くべきであってね。いい機会なんだから、しっかりと調教してやらないと……」
ヴァラデアは口ごもりながら苦しい言い訳を連ねるが、その内容がひどいので印象悪化が加速するばかりだ。
特に調教とか抜かしているのが最悪である。これまた見事な奴隷認定発言だ。
「もうー……。あんな扱いすると、いつか逃げちゃいますよ。私に見せてくれる優しさを、少しでも分けてやれなかったんですか?」
エクセラは攻めの勢いを弱めることなく非難を続ける。
今回のヴァラデアの行動は、彼女にとっても予想外なことのようだった。ふだんとは違いすぎる戦友の在り様を見て、本気で心配しているのかもしれない。
だがしかし、なにやら思いつめたような顔をしているヴァラデアは、やけに抑揚のない声でつぶやく。
「私にとって、おまえとあいつは別種の生き物だ。同じ扱いをすることはできない。私がドラゴンである限り、そうせざるを得ないんだ。わかっているんだろう?」
「……ハァー……。そうですか。次からは自重してくださいよ。私も見ててちょっとハラハラするので」
その一言だけでエクセラの攻撃がぴたりと止まる。短い沈黙のあと、疲れをにじませるため息を静かに吐くと、それ以上はなにも言うことはなく引き下がっていった。
彼女はいったいなにを思っていたのか。分厚い壁越しではなにも伝わってくることはない。
大人の話が終わったところで、母親に尋ねておきたい事があったのですかさず質問してみる。
「あの、お母さん。ちょっと教えてほしいんだけど」
「なに?」
腹ばいの体勢で転がっているヴァラデアが、少しばかり気だるげにこちらへ向いてくる。
気分が悪いからあとにしてくれと目で訴えかけてくるが、今の疲れている様子のヴァラデアが相手ならどんな質問をしても怖くない気がするので、あえて無視して話を進めてみる。
「首相とドラゴンって対等の関係なんだよね?」
「そう言ったっけね。それがどうした?」
「あれのどこが」
ヴァラデアと首相のタイラは、まったく対等の関係には見えなかった。タイラは終始ヴァラデアの顔色をうかがってばかりいたのだから。
「いやいや、地位は対等だよ? 地位は。でも、同じくらいの地位でも、力の差ってのはあるよね。私は偉い上に強いんだ。アレとは比べものにならないくらいに」
力なくも偉そうなことをぬかしてくれる。実際の力関係はやはりドラゴンのほうが上なのだ。
タイラは彼女の教え子という関係らしいため、今の地位に関係なく頭が上がらないところもあるだろう。ほかにもなんらかの弱みを握られている可能性がある。
「そもそも奴が首相になれたのも、私が投資してやったおかげだったんだ」
「完璧に頭上がらない関係だね!」
「おまえたちの将来のために、奴には今まで面倒をみてやった分だけ恩返しさせるさ。さっきはたっぷり気合を入れてやったから、必死になってがんばるだろうよ」
なんか渾身の得意顔をしながら言ってくれるけど、今の話のどこに胸を張れる要素があったのか。
「ええと、いや、そんなストレートに見返りを求めるのは、あまり良くないんじゃないかな……」
「ん? この私が手間と金をかけてやったんだぞ? 奴が労力の対価を支払うのは当然のことだろう」
味も素っ気もないことを真顔で言い切られては、なんて言えばいいのかわからなくなってくる。
「大抵の人間はね、私たちが世話をしてやると、かけた労力分以上は感謝するものなんだ。感謝した人間というものは、びっくりするほど使いやすいから、困ったときにすっごく役立つよ。
シルギット、これが人間という生き物を有効に使うための基本だ。よく覚えておきなさい」
話す相手が実の子どもだからなのか、ヴァラデアは戦友のエクセラにすら言わなかった本音を遠慮なくぶちまけてきた。
ついさっきエクセラに対して反省の色を見せていたのはなんだったのか。嬉々として邪悪に語るこの母親、確信的である。
正直、引く。
「ごめん、お母さん。こんな言い方するのはあれだけど……かなり嫌なやつだねあんた……」
なんというか、話が通じているようで通じていない感かあって気味が悪い。知性にどうしようもない隔たりがあるような気がして、よくわからないが怖い。
人外の存在が見せる異質なおぞましさに身震いする。
「嫌なやつ? どうしてそう思ったんだい?」
きょとんとした顔をしているヴァラデアは、なんかものすごく怪訝そうに問うてくる。
「思うって。さっきの完璧どっかの悪役みたいなセリフじゃない。やだよ、そんなことニヤニヤしながら言ってるお母さんは」
「さっきの? ええと……首相に投資して手綱を握ってるってところ? 正解!」
無言の真顔で否定してあげると、首をひねって本気で悩み始めた挙句、見当違いの答えを自信満々そうに返してくれる。
そこでさじを投げた。
ヴァラデアは、自らの娘を守るためなら手段を選ばないのだろう。娘のためなら人間を利用し踏みつけにして傷つけることを冷然とやってしまえるのだ。
親としては確かに頼りになる存在ではある。が、奥底に眠る“何者ともつかない心”が、そんなやり方を拒んでやまなかった。
「おまえ……エクセラみたいなことを……人間みたいなことを言うんだね」
ヴァラデアはとても意外そうに目を見開いて、じろじろと顔を見てくる。その瞳は強い好奇心に彩られてきらめいていた。
そんな視線に下品さを感じて辟易してしまい、無意識のうちにぞんざいな態度になってしまう。
「なんか文句あるのか。生まれつきだよ、悪いか」
「文句なんてないよ。というか、それが良しっ! 実にいい!」
「いいの!?」
なにか物言いをつけてくるかと思いきや、ヴァラデアは嬉しそうに笑うと親指相当の指をぐっと立てて賞賛してきた。
そういう返しをするのか。思わぬ不意打ちに脚の力が抜けて、ガックリと転がってしまう。
「それがいいんだ。私たちが目指しているものは、そういう“人間らしさ”なんだからね。ああ、本当にうらやましいよ」
どこかうわついた感じで言いながら己の娘を見つめるその眼差しには、強い羨望の感情が込められているかのようだ。
なんの前触れもなく憧れの視線を向けられて、どう振舞うべきかわからず困ってしまう。
「え? 人間らしさって……ドラゴンだろうに、それでいいの? いや、私としちゃいいんだけどさ。気が楽で」
「ふふ、そうだな。かなり早いけど、私たちがどういうドラゴンなのかについて、おまえにはもう話しておくか」
ヴァラデアは、いそいそと居住まいを正す。
しばし目を閉じ、再び開く。
すると、雰囲気ががらりと変わった。
「私たちは“人間のような考え方ができる”という力を備えているドラゴンだ。その能力を行使することで、何百代にもわたり人間を取り込み、“ドラゴンが持ち得ない力”を追求してきた」
目つきが違う。話し方が違う。まるで別ドラゴンだ。
これが本当のヴァラデアだというのか、それとも別人格だったりするのか、それはわからない。
底知れない深みを感じさせる蒼眼を向けて、彼女はおごそかに言葉を紡ぎ続ける。
「その力とは“暴力以外の強さ”だ。ときにはドラゴンをも打ち破りうる“心の力”と呼ぶべきものだ」
ヴァラデアは、ついと目をそらすと自嘲的に笑う。
「まあ、未だにわか仕込みだがな。ゆえに、まずいと解っていながらも、今まで結んできた絆を断ち切りかねない真似をしてしまった。
タイラ……あの人間には、わ、わる、悪いことをした……と言うべき、なのだ!」
ヴァラデアは、精一杯に謝罪の言葉をひねり出す。ドラゴンの道理を通さずに、自分のほうが間違っていたと、途方もなく苦しげに認める。
見た感じ、飾りは見られない。先ほど首相に対してとった行いが愚かなことであったと、今度こそ反省していそうだ。
「私は人間としては未熟だ。自らの力を思うがままに振るい、誰かを傷つけ貶めて笑う“くそガキ”だ。
その体たらくでは、人間の力を得るどころではない。なにも反映しない、なにも変わらん……」
悠久の時を感じさせる遠い眼で、天上を見上げて黙する。
「だが、おまえは違った。おまえはエクセラと同じように、私の行いを嫌悪できるという“力”を持っていた。“人間の反応”を見せてくれていた。
おまえはたいしたことではないと思っているようだが、本来あり得んことなのだ。短命で脆弱な人間どもを見下し踏みつけにすることが当たり前な、私のような普通のドラゴンにとってはな」
ヴァラデアが首相を脅していたときの悪役全開なやり取りを思い出す。
きっと、いつもああいうことをしているのだろう。それが全生物の頂点たるドラゴンという生き物のサガだから。
そして、いつもその行いを悔いてみせようと努力しているのだろう。たとえそれが、高慢で暴虐なドラゴンとしては不自然なことかもしれなくても。
その努力は何百年も続けてきたのだろう。だが、それは今も実を結んでいないのだ。
普通のドラゴンが、己に無いものを持つ娘と向き合う。希望、羨望、切望、さまざまな思いを宿した多彩色の瞳で静かに見つめてくる。
「おまえだけが持つその“神秘”は、きっと我らが種の悲願を果たしてくれるだろう。シルギット、我が愛し子よ、おまえを誇りに思おう」
ヴァラデアは、長い首をもたげて愛おしそうに頭をすりつけてくる。
反射的にその動作に応じて身を寄せ合うと、なんともいえない心地よさを感じて、地の鳴き声が喉からもれ出る。
出入り口の扉の隣にある壁の穴から誰かがのぞき込んでいる気配を感じるが、気にしないでおく。
「じゃあ、あの子はどうなんだろう?」
ふとそこで、自分の妹のことを思い出す。
妹は姉とは違い、年齢不相応な知識を持たない普通の子どもだ。成長すれば、いつかはヴァラデアのように、“人間のような考え方ができるドラゴン”とやらになるのだろうか。
それは成長してみなければわからない。これからの妹の成長が楽しみである。
「あの子……?」
ヴァラデアは弾かれるように立ち上がると、妹が寝ているベッドをじっと見つめだした。考え事でもしているのか、黙ったままひたすら見つめ続ける。
数分間に及ぶ長い黙考の後、妹から目を逸らすと、沈痛な面持ちでうつむいた。
その所作になんとなく不穏なものを感じて、その意味を問おうとしたが、ヴァラデアはさっさと眠りについてしまったため、真意を得ることは叶わなかった。
彼女がなにを思っていたのかはわからない。ただ、無言で妹を見つめていたときの目つきは冷たい氷の刃を思わせて、なんとなく嫌な感じがした。
第三話 完