第三話 栄光への第一歩(1/3) 来客の知らせ
ろくな家具を置いていなければ窓すら無い、精神統一の修行に向いていそうなほどに殺風景なドラゴンの育児部屋で、妹を相手に激しく遊ぶ。
全体重をかけた飛び蹴りやひじ打ちは序の口で、投げで頭から落としたり、倒れたところに首を思いきり踏みつけたりもする。
強靭な肉体をぶつけながら必ず殺す技をかけ合うその遊びは、人間の身なら十秒に三回くらいは死ねそうな凄まじさだ。
それでちょうど良いと思えるところがドラゴンの最強生物たるゆえんと言えよう。常識さんはきっと草葉の陰で泣いている。
すぐ側ではヴァラデアが巨体を横たえて眠っている。
姉妹でどれだけ騒ごうとも、彼女は一向に目を覚ます気配を見せなかった。彼女はいったん眠りに入ると、姉妹が部屋を出ようとしない限りは起きることがないのだ。
妹のフライングボディアタックが顔面に直撃しても微動だにしなかったときは、ある意味で感心したものだった。
恐るべき鈍さのお母さんではあるが、実は妹も同じだったりする。一度本格的に寝入ってしまうと、どんな殺人技をかけようとも決して目覚めないのだ。
自分もそうなのだろう。今までも眠ったあとに、自然に目を覚ましたとき以外に起床したことはなかったから。
一度寝入ったら、自らの意思で起きない限りは決して目覚めない。その余裕あふれる豪胆な生態は、まさに全生物の頂点にある王というべき在り方といえた。
第三話 栄光への第一歩
ヴァラデアが不意に目を覚ますと、眠たそうに大あくびをしながら、のそりと身を起こす。
「おまえたち。お昼になったら首相が会いに来るよ。今から三時間後だから、いちおう心の準備をしておきなさい」
全身をぴんと突っ張って気持ちよさそうに伸びをしたあと、出し抜けに本日の予定を告げてきた。
「首相って……なにが来るって?」
ヴァラデアからの唐突な発言の意図を汲み取れなかったので、妹に極めていた関節技を解いて、いぶかしみながら尋ねる。
「首相は首相……あー、人間の国の代表者。私と同じくらい偉い人間だよ」
「いや、それは知ってるけど」
「わかるのか……ええと……うん、そいつがこれからやってくるんだ。出産祝いをしたいって、前から予約を入れてきてたんだよ。面会時間は五分だけ。ちょっとあいさつしたらとっとと帰すから安心していいからね」
お母さんはそんな権力者と繋がりをもっているらしい。思わぬ人間関係に感心して、思わず『ほぉ』とため息を漏らす。
「そんな人を招くっていうのに、会ってやるのが五分だけってすごいね。やっぱりドラゴンのほうが格上なのかな」
「いや、別に。基本は対等だよ。時間が短いのは私の都合でそうさせただけ。まだ完全に産後の興奮が抜けてないから、あまり時間をかけると殺しちゃいそうで怖いんだよ。予想では今の時期なら完全に落ち着くはずだったんだけどねえ。慎重にならないと」
何気なく放たれたものすごく危ない発言に、思わず全身の力が抜けてコケかけてしまった。
ヴァラデアが姉妹を産んでからそれなりに経った。以前よりは大分落ち着いたのだが、未だに産後の興奮が抜けきっていないようだ。
不意に興奮が極度に強まっては我を失って、我が子に近づく者に襲いかかる凶暴な獣と化してしまうことが、いまだにあるのだという。
彼女は、自分がそんな危うい状態であることがわかっているのに、一国の代表者という重要人物と面会するつもりらしい。
「慎重もクソもないでしょそれ。殺す可能性がある面会ってなんだよ。延期しなよ」
「子どもがそんなことをいちいち気にするのはやめなさい」
「子どもでも気になるわ」
ヴァラデアは、そ知らぬ顔で突っ込みをひょうひょうと受け流す。
面会の実施は確定事項のようだ。よほど重要なことなのか、ずいぶんと性急なことである。
「まだ時間はあるから遊んでいなさい。ほら、あの子が遊んでもらいたがってるぞ」
背後を指されながらそう言われた次の瞬間、妹が背後から体当たりを喰らわせてきた。
直線的な突進の勢いに任せて押し倒そうとしてくるが、勢いを殺さずにうまく受け流し、尻尾を取って振り回してから投げ飛ばす。
妹は壁際まですっ飛んでいくと、思いっきり衝突音を響かせて壁にぶつかる。でもまったくこたえてないようで、素早く体勢を立て直すと華麗に着地していた。
興奮して荒く息を吹き付けてくる妹が、きゅうきゅうとかわいらしい鳴き声をあげて楽しそうに跳ねながら、犬か何かのように周りをぐるぐると回ってくる。
次はどんな力で殴りつけてくるのか、どんな技を見せてくれるのか、そんなことを期待するような眼差しを向けてきている。
「そんなに遊びたいか、このわんぱく小娘め。かかってこいよ。お姉ちゃんが軽くひねってやる」
そんな期待に応えてやるべく、子ドラゴンの鋭い突進攻撃を受け入れた。
妹と最初に爪牙を交えて以来、一日のうち二~三時間ほどを“ケンカごっこ”をして過ごすようになった。
妹はおもちゃで遊ぶよりも、追いかけっこなどで動き回るよりも、暴力を振るうことでたいへんに喜ぶのだ。
“ケンカごっこ”を始めて最初の頃は、子どもの教育的にこんなことをしていいのか、暴れないようにしつけるべきではないのかとよく悩んだ。
そんな心配事に対してのヴァラデアの答えは、『そのように暴れ回ることで丈夫な体を作るのがドラゴンなので問題なし』だった。ヴァラデアも子どものころは散々暴れて、あちこちを破壊しまくってきたという。
自分が持つ常識とドラゴンの常識がいろいろとずれていることを再認識してから、もーそういうものだとして割り切ることにした。そうしないとやってられない。
とりあえず熱くなり過ぎて理性を振り切ってしまわないように気をつけながら、妹とのケンカに付き合うことにしている。
基本的にこちらほうが体格的にも体力的にも勝っているので、ケンカではいつも優勢を保っている。
加えて、体を動かせば動かすほど、高度な格闘技術が意識の奥底から湧き上がってきては動きが洗練されていくので、単調な動きしかできない妹を軽い力であしらうことができるのだ。
そのため、いつも妹のほうが先に力尽きて遊びが終わる。
二時間ほど休まずに遊び続けたところで、妹はようやく暴れ疲れたようだ。
くあっと大口を開けて眠たそうにあくびをすると、のろのろとした動作で姉のベッドへよじ登っていく。柔らかいマットの上でくるりと全身を丸めると、尻尾を枕にして眠りについたのだった。
「ふう。今回も理性を飛ばさずにやり遂げたぞー」
妹の世話というひと仕事を終えたので、前足で汗をぬぐう仕草をしてみながら一息つく。ドラゴンの身に汗腺は無いが、気持ちいい汗をかいた気分にはなれる。
これから眠くなるまで、独りでどうやって暇を潰すか。
なにか時間を過ごすためのいいものはないかと辺りを探ってみると、部屋の出入り口の扉に向かって会話をするヴァラデアの姿が目に入った。
「ああ、もうそろそろだ。やっと完全に落ち着く。獣を卒業できる。おまえにあの子たちを愛でさせることができる。ああ、短いようで長かった」
「楽しみですね。でも、まだ完全に落ち着いてないのなら例の話、予定通りに進めて本当によかったんですか? 延期でもすればよかったじゃないですか。どうせ文句言わないんでしょう? それでも来る向こうも向こうで命知らずですけど」
「首相のことか。面会時間も短くさせたし大丈夫だよ。私もあいつに話すことがあるからね。くくっ、中止も延期もせずに予定通りに面会をしてあげるなんて、私はなんて優しいんだ」
「なに自分で言ってんですか。あいっ変わらず反吐が出るほど自己中ですねえ~ヴァラデア様は」
「はっはっは。なにをそんなわかりきったことを。世界がこの私を中心に回ってるのは常識じゃあないか。そんなに褒めるな、照れるじゃないか。さすがはエクセラ、この私が見込んだ女だ」
「褒めたつもりまったくないですけど、どういたしまして。まったく、いつもながらどうしようもないですね」
よく見ると、扉のすぐ横に小さな風穴が多数ある。そこから声が通ってきているようだ。
聞き覚えがある気がする声だが、声だけでははっきりとしない。
ヴァラデアは長い尻尾を左右にゆらゆらと揺らしながら、人間みたいに身振り手振りを交えて会話している。実に楽しそうな背中である。
今までこの母親に抱いていた印象は、近寄ってきた人間を片っ端から食い殺しそうな感じの凶暴なドラゴンだった。
今、目の前で談笑しているヴァラデアは、ありえないほどに明るく、ほがらかとして、仕草がどこか人間くさい。
記憶にある母親の姿との差異が大きすぎて、目の前の現実をなかなか受け入れることができない。
じっと会話している姿を見ていると、話を終えたヴァラデアが長い首を伸ばして顔をのぞき込んできた。
「どうしたぼーっとして。あの子はもう寝たのかい? 急に静かになったと思ったら」
「あ、うん。今日も長いこと暴れてたからね……。疲れるよね……。ところで誰と話してたの?」
「ん? エクセラだよ。一度だけ会っただろう」
それを聞いて、初めて目覚めた日に会ったきりだった、ヴァラデアの友人らしき人間の女のことを思い出す。
「私もだいぶ落ち着いてきたからねえ。あと数日もすれば完全に落ち着いて、あいつにおまえたちを触らせることができるようになるだろう。楽しみにしてなよ」
軽快なリズムで身体を揺らしながらご機嫌な調子で語る。そう言っている本人が一番楽しみにしていそうである。
エクセラという女は、彼女にとってよほど大切な人なのだろう。
「あの人とは仲いいの?」
「そりゃもう。私がちょっと傭兵やってた頃、いっしょに戦場を駆け抜けてきた戦友でね、あれから二十年以上も付き合いが続いてるんだ。今では一番の大切な仲間だよ。おまえもこれからいろいろとあいつに教えてもらうといいよ」
『どうだすごいだろ』とでも言いたげに胸を張りつつ戦友を語る。
傭兵仲間とは、これはまたすごい間柄だ。そもそもドラゴンであるヴァラデアが傭兵時代とやらを語っている時点でいろいろとおかしい。この母親はいったい今までどういう生活を送ってきたのか、歳若い身ではまったく想像できなかった。
そこで、話にひとつの違和感を覚える。傭兵としていっしょに戦ってきて、それから二十年以上の付き合い。二十年以上。
少々おぼろげだが、記憶にあるエクセラの外見年齢は、どんなに厳しく見積もっても二十代半ばくらいにしか見えなかった。
「……若作りすぎじゃないの、あの人」
「そうだよねえ。短命な人間のはずなのに全然老いてないし、どうなってるんだろ? まあ、老いないでくれるのはいいんだけどね。人間はあっという間にいなくなってしまうんだ、終わりが遅くなってくれるのは良いことだよ」
誰よりも長い付き合いであるはずのヴァラデアも、嬉しそうにほほ笑みつつも首を傾げてふしぎがっていた。
人間よりもはるかに感覚が鋭いドラゴンから見ても、彼女は“若い”と感じるのだ。彼女はいったい何歳なのだろうか。ちょっと本気で考え込む。
思いがけないところに転がっていた、ドラゴンとは別方向に神秘の存在。もしかしたら神秘的な存在同士惹かれあったのかもしれないな、などと冗談めいたことを考えていたら、壁の穴からくだんのエクセラが呼びかけてきた。
「ヴァラデア様、首相は三十分後に到着するそうです。準備をお願いします」
「えっ、もうそんな時間?」
予想していなかった内容の連絡を受けて、思わず驚きの声をあげてしまう。妹と遊んでいるうちに、いつの間にかかなりの時間が経っていたようだった。
これから訪問してくる人間は一国の代表者だ。それなりに丁寧な対応をするべきだろう。心の準備ができていなかったので、緊張を感じて身をこわばらせてしまう。
ヴァラデアは鼻先を背中に優しく押し付けてきながら、穏やかな調子でささやいてきた。
「だいじょうぶだよ。もしおまえに危害を加えてくるようなことがあったら、すぐに皆殺しにしてやるから。おまえはなにも心配しなくてもいいからね」
しかし、語りの穏やかさに反して発言内容はえらく剣呑なものだった。
子どものことになるとすぐにこれだ。凶暴なドラゴンとしての本性が表に出てきてしまう。
「そんなことを気にしてるんじゃあないんだけどね! 怖いよあんた!」
「はっはっは、だいじょうぶだって」
ヴァラデアは、抗議を受けても軽い感じでへらへら笑うだけだった。
なにより心配なのはこの猛獣だ。
これからなにが起きるのか。漠然とした不安を抱えたまま、面会の時間まで待ち続けることとなった。