第十話 かつてのお友だち(5/7) 闘争に飢える獣ども
妹は一家で乗ってきたキャンピングカーの方に向かっている。いや、車があるところで立ち止まった。
車は近くに停めてあったので、すぐに追いつく。
「……そこでなにやってるの? おまえ」
妹は車の下に頭を突っ込んで隠れていた。だが尻尾が隠れていない。
尻尾を引っ張って引きずり出そうとしてみると、金切り声をあげて踏ん張り抵抗してくる。
車を持ち上げてみても、そこから動かない。車を動かしてみても、サカサカ這って車の下に隠れ直す。なんとしてでも空の下に戻りたくないらしい。
力づくで連行することもできると思うが、そんな強引なやり方では栄えが無い。とりあえず話を聞いてから説得することにした。
車の下に潜り込んで妹と顔を突き合わせる。すると、這い寄ってから横顔ですりすりしてくる。
甘えた鳴き声から察するに、お姉ちゃんも来てくれて喜んでいるようだ。いっしょにここで引きこもっていようと目で訴えてくる。
残念ながら、お姉ちゃんは妹の願いを叶えるつもりでここに居るわけではない。さっそく空の下に連れ戻すための説得を始めた。
「おまえはなんで、そんなところで震えてるの? ほら、戻ろ。ちゃんとお母さんの闘いを見てないと、あとでお母さんに叱られるかもよ」
「やだ。怖い」
妹はさらに寄ってきて、聞く耳持たないといった感じで鼻先をぐりぐりと擦りつけてくる。まさか『お母さんに叱られる』が効かないとは思わなかった。
他者の名を借りるのではだめだ。怯え全開な妹の首筋を撫でつつ、包容力を意識して語りかけてみる。
「怖い? なに言ってるのおまえ。怖いところなんてなーんも……なーんもないじゃないの」
「怖い、怖いっ」
「そんなにビビらないでよ。たしかにあのドラゴンはすっごく強いだろうから怖いよ。でもね、お母さんがついてるんだよ。わかる? 私たちにはお母さんがついてるんだよ。
お母さんが私たちを守ってる限り、怖いことなんてなにも……うん、なにもないんだよ。だからさ、落ち着こう。ね?」
「でも怖いの! ガルルル怖いの!」
もう恐怖を通り越して、いまにも喉に噛みついてきそうな怒りの双眸を見せてくる。最強ママが近くにいるというのに、ここまで怖がるのはちょっと異常だ。
なにがこの小さなドラゴンを怯えさせるのか。姉としてその心を知る必要があるだろう。
妹の気持ちを鎮めるために、その首筋に鼻先を擦りつけ続けていると、ようやく『怖い』以外のことを言ってくれるようになる。
「怖い。怖い。怖いしむかつくっ。むかつく!」
「そうだね、むかつくね。ドラゴンの私たちが“怖い”って思うなんてありえないよね」
「うん。ありえないっ」
「でさ、なんで怖いの? おまえがなにを怖がってるのか、お姉ちゃんわからなくて困ってるんだ。ねえ、なんで怖いの? お姉ちゃんに教えてくれないかな」
そこで妹は押し黙ると、上目遣いで見つめてきたので、口を結んで見つめ返す。
わずかな沈黙のあと、妹は恥ずかしそうに目をそらしながら、意を決したように口を開いた。
「……負けたら怖い。負けたら怖くてむかつくの」
「負けるのが怖い? だれが、なにに、負けるのが怖いの? ほら、がんばって言って」
「……お母さんが、負けたら……」
妹の語り方はちょっとふて腐れ気味だ。
「お母さんが、なにに?」
「あの敵に。お母さんが敵に負けたら怖いよ。怖くてむかつくの。しーは怖くないの? 怖いでしょ?」
「ああ、うん……ね?」
ようやく妹の思いを理解することに成功する。妹が怖いのは対戦相手のドラゴンではなくて、お母さんが対戦相手のドラゴンに負けることのほうらしい。
というか、負ける可能性自体を恐れるとは。妄想力が変な方向に実り豊かすぎる子である。
「お母さん全然負けてないのに、なに言ってるの? おまえは考え過ぎだよ。私たちのお母さんはね、実際世界最強だよ? 他のドラゴンなんかに負けるなんてあるわけないじゃないの」
「そうなの?」
「うん、最強だよ最強。精神面はちょっとアレだけど、戦闘力では文句なしの最強。最強! 最強は絶対負けないの。わかる?」
「絶対負けない? お母さん絶対負けない? 微粒子レベルの可能性だって無い?」
「ぶっ」
どこでそんな言葉を覚えたのか、妙な発言に思わず吹きかける。
いくらなんでも神経質すぎだろと突っ込んでやりたくなったが、あふれかけた吐息をなんとか抑えきってみせた。今は余計なことを言うべきではない。
「当たり前だよ。ほら、お母さんの闘いを見てみなよ。負けそうに見えないじゃない」
妹の頭を強引に引っ張って、車の下からいっしょに顔を出して大空を見る。
超ドラゴンたちは神秘のぶつけ合いをやめて、滞空しながら睨み合っていた。
「おまえは頭を使って闘えんのか! そんな工夫のない攻撃では、この私を捉えることなど永久にできんわ! いくら力があろうと、それでは無力と同じよ!」
「きさまはその程度の力しか出せんのか! そんな貧弱な攻撃など蚊が刺したほどにも感じぬわ! その体たらくでは、このアドナエスを倒すことなど一生できんな!」
「この私が準備運動で本気を出すと思っていたのか? おめでたいやつめ! おまえはすぐに知ることになるだろう、この私が人間から学ぶことで編み出した技の恐ろしさというものをな!」
「どれだけ恐ろしくしょうもない力を、このアドナエスに見せてくるのだろうな! 人間の技とやらにうつつを抜かして力を磨くことを怠ったきさまなど恐れるに足らんわ!」
二頭のドラゴンが身振り手振りを交えながらののしり合う。それを遠巻きに観る人々が煽り立てる。なんだか興行試合のパフォーマンスのようだ。
いや、実際パフォーマンスだろう。二頭はお行儀よく相手の発言終了を待ってから台詞を吐いているのだから。そしてそのひとときを楽しんでいるようであった。
「至高の力というものを教授してやろう! 平身低頭して感謝しろっ!」
「究極の力というものを見せてやろう! 震え怯え絶望しろ!」
互いに大口を開いて牙を剥き、地声で猛々しく吠えあったあと、巨獣たちのぶつかり合いが始まった。
アドナエスが口を開けたまま突撃して噛みつきにいく。ヴァラデアは自然体のままで動かない。
両者が接触した次の瞬間、空気を微震させる重々しい打撃音が走ると、アドナエスがきりもみ回転しながらスッ飛んでいった。
動きが速すぎてなにが起きたのかよくわからなかったが、ヴァラデアが上段膝蹴りの構えをとっているのを見るに、たぶんカウンターを入れたのだろう。
少しふらついていたアドナエスは、すぐに体勢を立て直して再突撃するが、刹那の交差の後に叩き伏せられて墜落する。大砲みたいな音がしたけど、今のは肘打ちだったと思う。
一方的にやられているアドナエス。今度はすぐに突撃したりせず、ヴァラデアの隙を伺うように旋回し始める。
「おやおやぁ? どうしたのかなぁ? 急に慎重になっちゃって。いつになったら本気を出すのかなぁー? きゅーきょくの力とやらを早く見たいなぁー」
ヴァラデアはものすごく意地悪そうな余裕面をしながら煽りを入れる。実にむかつく顔である。
本能レベルでプライドが高いドラゴンがそんな挑発に耐えられるはずもなく、アドナエスは即座に攻撃を開始する。
紅に輝く光の翼を輝かせ、衝撃波を発生させながら突撃を実行するも、あっさりと攻撃に合わせて掴みかかられて、勢いそのままにクレーターの底へと投げ落とされる様を捉えることができた。
今のは人間の武術である合気だ。ドラゴンがそんな技まで習得しているというのか。本当に多芸である。
「この大マヌケがッ! 同じ失敗を繰り返すんじゃない! なんだその無様な闘い方は! 少しは工夫する努力をしろ! 思考停止をせずに戦術を練れ! 斬新な発想でこの私を出し抜いて、おまえがこの私と並ぶ力を持つ者だということを証明しろ!
我が強敵よ! この私をおびやかし得る者よ! 立ち上がれ! そして向かってこい!」
ヴァラデアが野太い地声で咆えながら、ちょっと懇願が入った口調で対戦相手に檄を飛ばす。それも余裕の表れなのか。
「もう勝ったつもりか? 愚か者め! では望み通り向かって行ってやろう。そしてこのアドナエスの偉大な力を見誤ったことを悔やむがいいわ!」
猛るアドナエスはまだ元気のようだ。獣の声で咆え返したあと、陽色のブレスを繰り出しながらヴァラデアに立ち向かっていく。
あっさりを隙をつかれて、思いっきり腹に拳を叩き込まれて天の彼方まで吹っ飛んでいきかけたが。
母親と同程度の力を持つというドラゴンが翻弄されている。
ドラゴンの力と人間の技術を組み合わせることで編み出したという至高の技は、本当に強大な怪物を圧倒していた。
「お母さん強い! 強い! お母さんのほうが強い! 強いっ!」
「強いのはわかったから、落ち着け! お、落ち着くんだ! いろいろ!」
お母さんの活躍を見た妹が、車の下から飛び出して大興奮し始める。ついさっきまでプルプル縮こまっていたのに、お母さんの完全勝利を確信したとたんにこれである。
こちらも今まで心を圧迫していたものがきれいに消える。そして、もうろうとしてくるほどの勢いで熱い血潮が全身を駆けめぐり始める。
“お母さんが勝てないかもしれないことを恐れる”というのは姉も同じだったか。恐れから解放された反動がこの高揚感なのだろう。
ああ、やっぱりこの子とは血が繋がっているんだなあ、ということを感じさせてくれる瞬間だった。
「お母さんいけー! 殺せー! そこだー首を引きちぎれー!」
妹は元気いっぱいに飛び跳ねながらお母さんを応援する。人目があるところで『殺せ』とか連呼して欲しくない。
「んんーくるるーるるるー! フーフー! グルルルおまえもたたかおー!」
で、熱狂の果てに襲い掛かってくるこの凶暴生物である。
全身のバネをフル活用した、高速突貫からの噛みつきを繰り出してくる。人間程度の反応速度では動くことすらできないであろう速さではあるが、単調極まりない突撃など、同族であるお姉ちゃんに通用するはずがない。
ひとつ、妹の前足を取る。ふたつ、下あごにカウンターの足蹴りを叩き込む。みっつ、首回りへ飛びつきつつ前足をひねりあげる。よっつ、全体重をかけてのしかかり、妹の頭を地面に叩きつけた。
関節を極めることで動きを封じて、妹の興奮が収まるのを待つ。そうしようと思ったのに、体が勝手に動いて踏みつけ攻撃を繰り出してしまう。
それから体が勝手に動き出す。なんか嬉しそうに咆えてしまいながら、妹へ殴る蹴るの暴行をしてしまう。そして打撃を喰らう妹も、満面の笑みで反撃をしてくれる。
かつてないほどのたかぶりが理性をとろかし、熱波の激流が体を突き動かす。こうなってしまっては、満足するまで暴れなければ体の自由を取り戻すことはできないだろう。
「ちくしょうめ!」
できることは一つ。悪態をつくことだけだった。