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第二話 ドラゴンの遊び(2/3) 魔獣の覚醒

 恥じらいの海に沈んでから少し経った。

 恥辱にあえぎ悶える気持ちを鎮めるために、自らの荒ぶる心を説得する。


 自分はとっても幼い子どもだ、生まれて間もない子どもなのだ。それが子どもっぽいアホ行動をしてなにが悪いというのか。いや、悪くない。むしろ正しいと断言して差し支えない。

 自分は世界の普遍的正義を実行したのだ。恥じらうことなどあるものか。いや、恥ずかしくない。

 自分がやっていた珍行動は、子どもとしては当然のことなのだ。


 欺まんに謎理論を塗り重ねることで、ようやく恥ずかしさが収まってくる。今なら抱えていた自分の尻尾を手放して、立ち上がることができるはず。

 右前脚を出す。左前脚を出す。深呼吸をして、背筋に力を込めつつ尻尾を振って、力強く四足で立ちあがる。


 その直後、絶妙なタイミングでお母さんが水を差してきやがった。


「そんなに恥ずかしがるな。ぷっ。どんな記憶があろうともね、おまえは紛れもなく子どもなんだ。子どもならそういったことはあるあるだよ。そう、子どもだし! だからなにもおかしくはないからね! ぷぷっ」


 ヴァラデアは、とっても慈しみにあふれる優しい目つきで見つめてくれながら、やたらと“子ども”を強調した励ましの言葉をかけてくる。

 そして、微妙に視線を逸らすその目は楽しげに歪んでいて、笑いをこらえていることが一目でわかる。隠そうという気はまったく無いようだった。


 この母親はケンカでも売っているのか。顔面に一発いいのを入れてやりたくなるが、怖いので実際に手を出すことはしない。


 気分が悪い。ヴァラデアからそっぽを向いて、苛立ち紛れに前足の爪で床を思い切り引っかく。

 この床はヴァラデアが爪を立てて歩き回っても傷一つつかないという驚異的な硬度があるので、思う存分力強く引っかくことができる。ストレス解消にはもってこいといえる。


 ヴァラデアはにやにやと笑いながら、かわいい我が子がいじける姿を観賞するが、ふと笑顔が消えた。

 目頭を前足で抑えて軽くうつむくと、目まいでも起こしたかのようにフラリと体を揺らして、きつく目を閉じる。その喉からは獣の唸り声が漏れ出てきていた。


「くそっ、頭が。いいところだったのに、邪魔くさい本能だな、まったくもう」

「……だいじょうぶ?」


 ヴァラデアは顔を前足で覆ったまま、忌々しげに吐き捨てる。

 つい先ほど彼女が説明していた通り、子どもを守る母ドラゴンとしての本能が強くなってきたらしい。

 頭が本能に支配されている間は自我を失って、会話することもできなくなってしまうのだ。

 ヴァラデアは気を落ち着けるように何度も深呼吸をした後、緩慢な動きで頭を振る。


「まだだいじょうぶ。ところで、おまえの妹はどうしたんだい?」

「妹?」


 妹とかいきなり訊かれても、なんのことだかわからないのでオウム返しすることしかできない。するとヴァラデアは、呆れた感じでため息をついた。


「あの子のことに決まってるだろう……。おまえはお姉ちゃんなんだから、少しは気にかけてやりなさい」

「ん、お姉ちゃん?」

「おまえのことだが」


 急にお姉ちゃん呼ばわりされたので首を傾げていると、ヴァラデアはもうひとりの我が子のためのベッドを指差した。

 “お姉ちゃん”とは自分のことを指していたらしい。そこで自身の性別を初めて知った。今まで自覚がまったくなかったので少し驚く。


「え、私お姉ちゃん? 私って女だったの?」

「メスだが、それがどうかしたか? 変なことを気にするんだな、人間じゃあるまいし」


 ヴァラデアは指差す前足を下ろすと、ちょっと不可解そうな面持ちで見つめてくる。なにを驚いているのかがわからないらしい。


「なんで女ってわかったの? 正直全然見分けつかないんだけど」

「まあなあ……。私たちには性なんてないんだが、学術的にはメスらしいな。だから私はお母さんで、おまえたちのことは姉妹と呼ぶことにしているんだ」


 どうも種族的な事情があるようだった。

 女だけなのにどうやって繁殖するのか。一部の虫とかトカゲみたいに単為生殖でもするのか。そういえば、お母さんはいるがお父さんはいなかった。


 ちょっと気になるが、赤ちゃんの身でそんなことを訊いたりしたら、ヴァラデアが落涙する姿がゆうに想像できたのでやめておくことにした。

 そういう類のことを気にするのは大人になってからで良い。


「そんな話はいいから……。ほら、あの子がなにかやり始めたぞ」


 ヴァラデアは再び前足を持ち上げると、妹用のベッドから横にそれた所を指差す。その先には、さっきまで寝ていたはずの妹の姿があった。

 いつの間に起きていたのか、台座みたいなベッドから降りていて、おもちゃの石ころを拾いあげて遊んでいた。というか食べていた。


 さまざまな素材でできた色とりどりの石ころを、耳障りな破砕音を立てながら噛み砕いては飲み込んでいく。

 そのなかには、精一杯力を込めることで握りつぶすことができたものより硬い素材の石ころも混ざっていた。


 すさまじい咬合力である。爪以上に鋭い牙を持っているだけあって、噛む力は握力よりもかなり強いようだ。

 そんな子どもの奇行を見ても、ヴァラデアはまったく動じていない。


「お母さん、いや、なんか普通に食ってるけど、止めなくていいのあれ」


 金属を食うとかだいじょうぶなのか。金属中毒とか腸閉塞とかいった悲惨な病気にかかったりしないのか。

 さすがに心配になったのでヴァラデアに訴えかけてみるが、やはりじっと見つめるだけで止めに入ることはない。


「平気だよ、子どもでもあれくらい消化できるし。……すすんで食べるもんじゃあないけどね」

「へえ、そうなんだ。なにその無駄に丈夫な胃腸」

「私たちは岩だろうと毒だろうとなんでもいけるんだ……。よほど変なものを食わない限りはね。好き嫌いを抜きにすれば食べるものには困らないよ……」


 これで胃腸の病気の心配をする必要がなくなったな、と思いながら自分の腹をさすっていると、少しずつ大きくなってくる荒々しい息遣いを耳にする。

 それはヴァラデアのものだった。なにやら深くうつむいている彼女は、全身を不自然なくらいに震わせていて、とても異様なものを感じる。


「お母さん、だいじょうわあ」


 ヴァラデアの顔をのぞき込んでみたとたん、すくみ上がってしまった。

 異様に血走った目をしていて、興奮しているのか瞳孔は散大している。剥き出しになった鋭い牙が並ぶ口からは、透明なよだれが垂れ流しになっている。

 知性などかけらも感じられない、見ているだけで命の危険を感じる凄まじい狂獣の姿がそこにあった。


 少し前に正気を失いかけたときは気を持ち直したかに見えたが、無理をしていただけだったらしい。我慢をしたぶん反動が強く出たのかもしれない。

 これは実にやばい。近づいたら即座に食いついて丸呑みにしてきそうだ。


 思わず声をあげると、ヴァラデアははっとした様子で素早く背を見せてうずくまり、頭を抱えて顔を覆い隠した。


「グルルルッ……くそっ、もうだめか。フーッ、フーッ……もうちょっと話をしたかったけど」


 その声色や仕草はとても恥ずかしそうで、この姿を見ないでくれと訴えてきているように見える。

 どのみち理性はこれから消し飛ぶようだし、無駄な足掻きではと思うが、それでもあえて足掻くことに意義があるのかもしれない。


 とまあ考察してみるけど、すべては憶測でしかない。この母の真意を知るには、まだ付き合いが浅すぎる。


「無理するなよ。あんた怖いよ。話なんてあとでいくらでもできるでしょ」

「うう、そうだね」


 実に残念無念そうにつぶやくと、異様に俊敏な動作で起き上がり、部屋の出入り口を注視する。外敵が最初に入ってくるだろう場所を警戒し始めたのだ。


「あの子の世話、任せたよ」


 そのお願いを最後にお母さんは眠りについて、代わりに獣が目覚めた。

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