第一話 新生(2/3) 頭脳はなんとか
一、でかいドラゴンが鬼気迫る顔で凝視してくる。
二、人間みたいな動きで左前足を額に当て、いやいやと頭と右前足の平を振る。
三、ぎこちない動きで向き直す。
四、また人間みたいな動きで狭い額に前足を当て、またいやいやと頭を振る。
そして一に戻る。このぶざまな無限ループである。呆れてくるほどの狼狽っぷりだ。
だんだんと蹴りを入れてやりたくなってくるが、そんな体力は残っていないし、反撃されると即死しそうなので実行する気にはなれない。
「いや、ちょっと。もうね、いい加減に落ち着いてくださいよ」
落ち着いて質問に答えてもらわなければ困るのだ。とりあえず適当に一声かけてなだめてみる。
だがヴァラデアは、やりきれなさそうに尻尾を床へ叩き付けると、人間みたいな仕草でビシッと勢いよく指を突きつけてきた。
その顔は悲惨なほど歪んでいて、なんだか今にも泣き出しそうだ。というかマジに涙が浮かんでいる。トカゲ的顔面のドラゴンなのに、えらく表情豊かである。
「落ち着けるか! 生後一日の幼児がしゃべるか? いいや、ありえないねッ! 私は医師免許持っててなあ、人間の子どもをたくさん取り上げてきたけど、そんな会話が成り立つレベルでしゃべった奴なんて見たことない! ドラゴンの子どもだってそれだけは変わらんはずだ!
私の子どもがそんな妙な反応するなんてありえないだろーっ! お母さんわからないよ! 神秘ッッ!」
悲痛な絶叫とともにまくしたててくると、変な声で鳴きながら驚きダンスを再開した。混乱祭りで当惑神輿担ぎは継続中のようだ。もう話は通じそうにない。
「だめだこいつ。くそっ、どうすればいい?」
悶え狂う変なドラゴンさんのことはもう諦めることにして、今の発言の意味を考えてみることにする。
ヴァラデアは、自分を指して『幼児がしゃべっている』、『私の子ども』と言っていた。
改めて自分の手を見てみる。
長く鋭いかぎ爪がついた四本指の手は、その色も形も目の前にいるドラゴンと瓜二つだ。
体のほうも全身が継ぎ目のほとんど見えない羽みたいな鱗で覆われていて、よく見れば割と太めの尻尾も生えている。頭頂部に触れてみると、角と思われる三つの硬い突起に触れた。
今の自分の姿を鏡で見てみれば、きっと小さくなったヴァラデアが映るのだろう。
「そうか、私は幼児でドラゴンか。で、こいつは親なのか……」
本能的なものなのだろうか。ふしぎと自分がドラゴンであることと、目の前にいるドラゴンが自分の親であることを、すんなりと受け入れることができた。
自らつぶやいた言葉を反すうする。次に疑問が増える。
今まで『自分は記憶喪失になっている』と思っていたが、事態は単純ではないようだった。
ヴァラデアが言っていたように、自分が生後一日の幼児というのなら、なんの記憶も持っていないはずだ。それなのに、こうして普通に会話が成立する程度の知識をすでに持っている。ヴァラデアのことも見覚えがある気がする。
この記憶はいったいどこから来たものなのか。考えてみても答えが出てくることはない。
どうしようもない閉塞感からは逃れられない。自分という存在の得体の知れなさに対して、言いようのない不安を覚える。
「くそっ! ちくしょう! 自分の子どもになに言っている。落ち着け……冷静になれ……。そうだ、私は今年で千五百歳の大人だ。大人になったんだ。また『ド慌てん坊さん☆』とかなんとか言われて笑われるぞ。人間に侮られたくないだろ、私……っ!」
頭を前足で抱えるヴァラデアは、迷いを振り払うように頭を振る。思う存分混乱したので、ようやく冷静さを取り戻したようだ。
「エクセラ、戻って来い! 今すぐ!」
切迫した様子で声を張り上げて、誰かに対して呼びかける。
すると、少し前に部屋から追い出されていたエクセラが再び姿を現した。
「なんですかもーう。人を追い払っておいて即行で呼び戻すだなんて。どういう了見か納得いく説明してくれるんですよねえ、ヴァ・ラ・デ・ア・さま!」
肩をいからせながら腰に手を据えて、切れ長の片目だけを見開いた不気味な笑顔で嫌みったらしく不平を吐く。まるで危ない筋の人だ。
最初に見たときは丁寧な物腰の人だと思ったのに、この回れ右な変貌ぶりである。とても同一人物とは思えない。
ドラゴンに続くイメージの迷走ぶりになんだかついていけなくなってきて、軽いめまいを感じると思わず額に前足を当てた。
「事情が変わった。今は近寄っても大丈夫だ。おまえの力を貸せ……いや、助けてくれ。私だけじゃもう……」
ヴァラデアは、挑発的な態度を気に留めることはせず、平伏して真摯に助けを請う。
一般的にプライドが病的なまでに高いとされるドラゴンが、必死に頭を下げながらのお願いをしているのだ。エクセラからそれを見てなにか感じ入ったか、態度をまともなものに改めた。
「うーん、しょうがないですね。今度はなにがあったんですか?」
「聞いて驚け。しゃべったんだよ、私の子が。『どこかでお会いしませんでしたか?』とか訊いてきたんだよ、この私に」
ヴァラデアはまさにこの世のものではないものを目撃したかのような、焦燥しきった様子でぼそぼそと語る。
「話した? この子が?」
いかにも『信じてません』といった感じのうろんげな目つきでエクセラはつぶやく。まあ常識的な反応だ。
「気のせいじゃないんですか? いっくらなんでもさすがにそれは……」
「気のせいじゃないですよ、お姉さん。しゃべれるんですよ、私は」
ここで黙っている理由はない。よく目を合わせてから“音なき声”で短く意思を伝えてやると、エクセラはほんのわずかだけ目を見開いた。
一呼吸ほどの間をおいてから、彼女はヴァラデアのほうをちらりと見やる。
「ええと、ドラゴンの声ってどこから聞こえてくるかわからないんですよねー。実はヴァラデア様が話してるとかじゃあないですよねー」
「するか、バカが……。いい加減にしろ」
エクセラは、冗談めいた軽い口調で確認してみるも、余裕皆無な非難の言葉を返されて閉口していた。黙って視線を戻してくると、苦しげに口を結んで考え込む。
ややあって表情に浮かんできたものは、なんらかの決意。ベッドの手すりに手をかけて、軽く咳ばらいをすると“確認”を始めた。
「えー、私の言葉がわかりますか? わかったなら右手を上げて親指を立ててください。あ、このドラゴンも親指はこの指ですよー」
指示の通りに親指相当の指を立てると、エクセラの眉がぴくりと動く。その眼はいよいよ確信めいたもので満ちていった。
覚悟を決めたように口元を引き締め、深々と吐き出される溜め息とともに確認を続けてくる。
「少し質問させてください。ええと、そうだ、自己紹介はできますか? わかる範囲でいいので答えてみてください」
改まった確認を受けて、今一度自分自身が何者なのかを思い出そうとしてみる。
が、だめ。手ごたえはまるでない。
四則演算式だか鉱物の名前だか、どうでもいいことはちらほら浮かんでくるのに、肝心な身の上のことになると、雲でもつかむかのように霧消してしまう。
なぜその部分だけがどうやっても思い出せないのか。考えようとしても頭が痛くなってくるだけで成果は出ない。
「だめです、できません。自分のことがなにもわからないんですよ」
ふと自分の体を見る。
青白くきらめく鱗が美しい赤ちゃんドラゴンである。それが忘れることのできる過去を持つというのか。
なにもわからない。誰も教えてくれない。自分すらも教えてくれない。
「そうですか。そりゃまあね。では、次は簡単な知能テストを」
「いや、ちょっと待ってください」
エクセラがさっさと別の確認に移ろうとするが、そこで一つ思い出しかけていたことがあったことに気づいたので慌てて止める。
大きく息を吸い込み、体の芯に力をこめる。うんざりするほどに重い前足を上げて、“記憶の水面に浮かんできたもの”を指差してみた。
「ヴァラデアさんでしたよね? そう、私はそのドラゴンさんのことを、知ってる気がするような、しないような……うーん」
だが口に出してみると、その奇妙な記憶とやらが“確かなもの”なのかが不安になってきてしまい、言葉も尻すぼみになっていく。
大人たちが息を呑んで子どもを見守る張り詰めた空気のなか、もっと思い出せることはないかと努めてみるが、どうにも思考がおぼつかない。
それ以前に疲労がひどくて、いちいち考えをかき乱される。
考えれば考えるほど頭痛がじわじわと強くなっていき、集中するどころではなくなっていくのだった。
「やっぱりだめだ、なにも思い出せない。あ、頭が、ちょっと痛……」
「ああ、だいじょうぶですか?」
脳髄に染み入ってくる鈍痛に耐え切れずに頭を抱えると、エクセラは慌てて手を挙げて制止してくる。
「この子はまだ疲れてる。少し前は死にかけてたんだから、無理をさせちゃあだめだ」
ヴァラデアは、沈んだ調子で心配そうに言いながら、エクセラの肩を大きな前足で掴んで下がらせた。
実は自分は死にかけていたという事実をぽっと出されたのはちょっと衝撃だったが、とにかく無理をしていい状態ではないことはよくわかった。
質問の打ち切りに合わせて、考えることをやめることにした。