追いついてきた現実と未来
“生命喰らい”との異名を持つドラゴン、セランレーデの縄張りは、生命の豊かさに定評がある。
人の手が入っていない原生林が多数あるので、緑の絶景を求める人々が国内外を問わずに大勢押しかけてくるのだ。そんな観光資源が、この地の経済を支える柱の一つとなっている。
だがしかし、自然豊かであるがゆえの大きな問題も抱えている。肥えた環境で大量に繁殖した害獣が、頻繁に人々を襲うのだ。
そんな脅威に対抗するのが、人間のハンターたちである。彼らは力を合わせて、日々恐るべき害獣どもに立ち向かっている。
今まさに、その戦いの場面に居合わせているところだ。
様々な銃器で武装したハンターの男女らが、数頭の大柄な害獣と戦っている様子を、少し離れたところにある茂みの中で気配を消しながら観察している。
お相手は“キマイラ”と呼ばれている種で、様々な動物の頭が複数くっついているという気持ち悪いやつである。頭の種類は個体によって違っていて、ある個体はヤギと蛇、ある個体は猫とイノシシと馬だったりする。
この色々な動物の部品を雑にくっつけているだけなのは何なのか。あまりに異形すぎるので、自然の生き物だとはとても思えない。
絶対にどこかの研究所から逃げ出してきた生体兵器とかだと思うのだが、真相は定かではない。
怪物に立ち向かうハンターたちの戦法は、数名のおとり役が前に出て害獣の気を引きつけている隙に、攻撃役が集中砲火を浴びせかけるというものだ。
銃撃は一発も外れていない。だが、無駄に強靭な生命力を持つ害獣どもはなかなか倒れず、元気いっぱいに人間へ襲いかかり続ける。
おとり役は害獣からの攻撃をうまくいなし続けているが、一人が木の根に足を取られてしまう。害獣はわずかな隙も見逃さずに、すかさず前足を振りかざして殴りかかろうとする。
そんな場面を見た次の瞬間、傍に置いていた狙撃用ビームライフルを素早く取って、構えて、害獣が振り上げた前足を狙い撃つ。
人の目では見えない光線は一寸の狂いもなく的中、前足を撃ち抜かれた害獣はわずかに怯む。その隙におとり役は体勢を立て直して逃れていた。
そのあとは順調にことが運んで、全身を穴だらけにされた害獣は力尽きると、一匹残らず地へと倒れ伏した。
ハンターたちが死体処理を始めるのを確認したら、神秘の力を働かせる。
『対象の安全確保に成功した。成功報酬は三日以内に指定の銀行口座へ振り込むように』
情報端末用の文字情報を神秘の力で組み上げて、しかるべきところへ送り出す。
これでやるべきことは終わった。仕事道具の銃を背負ってから、光の翼を広げてその場から立ち去った。
二十年くらい前から便利屋を始めて、あちこちを飛び回るようになった。
やることは『犯罪以外ならなんでも有り』とはしているけど、ドラゴンに飛び込んでくる仕事は荒事ばかりである。
話の大半が害獣駆除や警備関係で、今日請け負った仕事は後者だった。
先日、とある女性からこんな依頼があった。『私の恋人が危険な害獣駆除に参加するので、ケガをしないように守ってあげて欲しい。でもこういうことを頼んだことを知られたらプライドを傷つけてしまうので、あの人に気づかれないような形で助けてあげて欲しい』、とのことだった。
地味にめんどくさい条件の仕事だったけど、無事にことを終えることができたので、ひと安心である。
ちょうど今、依頼主から『ありがとう』という内容の返事を受信した。多少面倒なことはあるけれど、こうして感謝の言葉をもらえるのがこの仕事のいいところだ。
今日の仕事はこれで全て終わり。もうやることはないので、ねぐらへと向かって真っすぐ飛ぶ。
野を越え、山を越え、街を越える。眼下に広がる地上に異常は無し。事故が起きなければ犯罪も起きない。今日もこの国はそれなりに平和である。
法定速度を守ってのゆったり飛行を続けること一時間程度、何事もなくねぐらにたどり着く。それは涼しげな高原にぽつんと立つ、一軒の黒塗りになった巨大な平屋だ。
家の玄関前に降り立って光の翼を収める。ドラゴン用のドアノブに前足をかけると、遠慮なく扉を開けて中に入った。
「おお、ようやっと戻ってきたか、シルギットよ。今日は遅かったではないか」
家の中に足を踏み入れると、さっそく主が出迎えてくる。この縄張りの主であるドラゴンのセランレーデさんである。
彼は首をこちらへ伸ばしてくると、まるで実子に対してやるソレのように、愛おしそうに黒い鼻先をすりつけてきた。
「仕事が予想以上に時間がかかっちゃって。すいませんね」
彼の愛情あふれる触れ合いに対して、その鼻先をぽんぽんと叩くことで応えてやった。
いつの日からか、セランレーデは自分の前にだけは地をさらすようになった。
以前の彼は、人を食ったような印象のクソガキ的言動をとっていたのだけど、それは外向けの仮面だったらしい。
彼は齢にして億を超える超高齢のドラゴンであるため、方々から老いぼれ呼ばわりされている。それを気にしていたために、若者風の仮面を身に着けていたのだ。
一度外面を取っ払ってみると、ドラゴンにしては割と常識的で話のしやすいやつであった。さすがに年かさなだけはあるか。
「仕事道具の調子はだいじょうぶか? 人間どもとの交渉事で悩んでいることはないか? 困ったことがあれば、すぐに我を頼るがいい。すべてを解決してみせようぞ」
「だいじょうぶですよ、全部うまくいってるから心配しないで」
「ならば良い。では、今日はどのような活躍をしたのだ? この我に話を聞かせておくれ」
というか、話をしやすいどころかデレデレで、こちらが遠慮してしまうほどだ。
ついに初孫を得たおじいちゃん・おばあちゃん的と言うか、それはそれはもう熱心に甘やかしてきてくれた。
今の彼は、今までにない類の生きがいを得て輝いている気がする。
彼は長年にわたって世代交代せずに、独りきりで生き抜いてきたドラゴンだ。どこか孤独を感じて癒しを求めていたのかもしれない。
まあ、何百年か経てば慣れて元通りになりそうだが。
「今日は依頼を三件片付けたんですけど、最後の依頼がなかなか大変でしたよ」
「ほう? おまえをして大変とな」
「頼まれたことが害獣狩りのお守りで、けが人を出さないように陰から支援してたんです。どこで助けに入るのかを慎重に判断しないといけないから、かなり気を遣いましたね」
「なぜそのように迂遠なことをするのだ? おまえが害獣どもを片付けてしまえば、それで終わるだろうに」
セランレーデは首を傾げると疑問をぶつけてくる。世界で一番経験豊富なはずなんだけど、こういう類の話に理解はないらしい。
こいつはもう少し人間を観察したほうがいいと思う。
「そりゃ頼まれたことは、あくまで護衛ですし。私が出張るわけにはいかないですよ。それに、私が勝手に動いて人間たちの仕事を奪ったりしたら、良い顔はされませんからね」
「素直に助けられていれば楽だろうに、面倒な連中よ」
「でも、大変なぶんはやりがいはありましたよ。次に同じような仕事がきたら、もっとうまくやれると思う」
「ほほう、それはなによりだ。今日の経験を糧に精進するのだぞ」
一日の報告が一区切りついたら、夕食づくりの時間となる。部屋の隅に簡易的なキッチンを増設してもらったので、そこで腕を振るうのだ。
部屋の隅に置いてある冷蔵コンテナから良さそうな食材を物色していると、セランレーデはやや沈んだ風に声をかけてきた。
「シルギットよ」
「ん?」
振り向いて顔を合わせてみると、彼はやや憂いげな顔をしているので、どうしたんだろうと思う。
「おまえが縄張りを出てから今日でちょうど二十年だ。あれから一度も帰っていないだろう。いい加減に里帰りはせぬのか?」
思い出したくないことを訊かれて、思わず目をそらす。
とたんに心の古傷がうずき始めた。耐えがたい苦痛を抑え込むために、牙を食いしばって拳を握りしめる。
狂おしい痛みに耐えきって、なんとかどす黒い感情を鎮めることができた。
「……まだ帰りたくないです」
「いつまでも目を背け続けることはできぬぞ。これはおまえたちの種の問題だ、我が関与できることではない」
「わかってますよ。でも、今はまだ……まだここに居させてください」
セランレーデはやれやれといったため息を漏らすと、漆黒の鼻先をいたわるように添えてきた。
「おまえが我の縄張りに留まることのできる期間は、あと三十年だ。それまでに決着をつけるのだぞ」
五十歳の誕生日を迎えた日に、双子の妹が縄張り内から姿を消した。その日を境に、存在がはたと消えてなくなっていた。
あらゆるつてを駆使して行方を追ったのにもかかわらず、あの子の姿を再び目にすることは叶わなかった。
程なくして母親に呼び出されると、妹を独立させたことを告げられた。自力で生きていくことのできる力を身に着けたから、どこにあるかもわからない遠い地へ、神秘の力でもって送り出したのだとほざいていた。
その瞬間から記憶がぷつりと途絶えて、気付いたときにはセランレーデの縄張りに駆け込んでいた。
いつか別れの日が来ることは、小さい頃からすでにわかっていた。
姉妹が持つものは違いすぎるのだから、別々の道へと進むことになるだろうと覚悟していた。
でも、このような形で別れさせられることになるだなんて、考えもしなかった。
二度と会えない形で知らぬ間に追い出してしまうだなんて、思いもしなかった。
あれから二十年経った今も、妹を追い出した母親を許すことができていない。
ヴァラデアも何一つ言い訳をせず、ただ沈黙を守っている。たまに縄張り境で顔合わせをすることはあるけど、あれから一度もまともに会話をしていない。
親子の溝は開きっぱなしだ。
セランレーデの縄張りに留まることを許された残り時間は三十年。それまでに心の整理はつくかはわからない。
今は無心で仕事に励むことで、心の隙間を強引に埋めながら過ごすことしかできていない。
ただ、最終的にやることだけは決まっている。
今はどうやったって無理だけど、いつか必ず、あの子を探し出して迎えに行ってみせる。いつの日にか、あの子と交わした“誓い”の通りに。
だから今は、自分の力に磨きをかけるべく、日々の鍛錬を続けていくのだ。
終
ずっとずっと息苦しかった。
ずっとずっと劣等感に苛まれてきた。
それでも言葉に出さずに堪えながら、同い年の姉の背中を追い続けていた。
でも、追いつくどころか一方的に離され続けるばかりだった。姉はひたすら手を差し伸べ続けてきたけれど、最後までその手を掴むことはできなかった。
母が告げてきたのだ、自分が五十歳になったら縄張りの外へ旅立たせると。そのための訓練を始めるのだと、ひどく痛ましげに言ってきたのだ。
姉に追いつくことは永久にないことが、自分が種にとって要らない子であることが確定した瞬間であった
それを告げられたとき、ふしぎと何も感じず、すんなりと受け入れることができた。今まで感じてきた息苦しさも、劣等感も、なにもかもが無くなって、心が空っぽになった。
そこに代わりの物が詰まった。それは『すべてを捨てて自分の居場所探しの旅に出よう』という決意だった。
その決意を姉に伝えることは、できなかった。
旅立ちは姉に内緒で行うことにした。
このことを知ったら、あの姉は絶対に命を賭けてでも止めに入ってくる。そんなことをされたら決意が揺らいでしまう。だから、姉が仕事に出かけている隙を狙って、全てを終わらせることにしたのだった。
姉の仕事場から遠く離れた草原のど真ん中へ、母と共に降り立つ。
降りてすぐに、母はすぐに神秘の力を集中し始める。全力の波動のブレスと同等の力を溜めて、眼前にすべてを解き放つと、何もない空間が文字通り割れて、色の無い穴が開いた。
亜空間潜行術。圧倒的な光の力は空間をも歪め、突き破ることができる。こことは異なる遠い場所への道を繋げたのだ。
この能力は世界中の誰もが知らない。自分たちの種が独占している秘奥中の秘奥である。母はたまに短距離ワープとかでこの技を使っている。
母は一歩下がって道を譲ってくると、覚悟を問うかのような深みのある声色で告げてきた。
「この先は、誰も知らない新天地に繋がっている。この私の見立てでは、おまえが成り上がるにふさわしい地のはずだよ。だが、この道は一方通行だ。一度通り抜ければ、おまえの力では二度と戻ることはできないだろう」
もはや後戻りできないことを念押しされるけど、迷うことなくうなずく。しかし母は顔をしかめると、苦しげに再確認をしてくる。
「本当に良かったのか? おまえはこれで良かったのか? あれだけ慕っていたシルギットに黙って旅立つだなんて」
「もう決めたことだから」
母の懸念は迷いない一言で封じる。
そう、すでに決めたことなのだ。誰が何を言おうとも、この決定を覆すつもりは無い。
ただ、一つだけ心残りはある。
「姉さんのことは、お願いね。きっと、すごく傷つくだろうから」
「言われるまでもない。おまえたちを産んだ時から、いつかはこうなることを覚悟していたんだ、せいぜい恨まれてやろう」
母の声には少しばかり震えが入っていた。
この後、姉がどのような行動をとるかは想像に難くない。間違いなく大もめするだろう。あとは母を信じて任せるほかあるまい。
足を進めて扉の前に立つ。扉に触れる一歩手前で、母が近寄ってくると鼻先をすり寄せてきた。
これが最後だと言わんばかりに、最上の愛を込めてひたすらにスリスリをし続けてきた。
「私たちは、長年にわたって人間だけが持つ能力を取り込むことを追求してきた。人間の強さを理解するために、人間の側に在り続けてきた。
だがおまえはもう、そんなことをする必要はない。おまえは私たちと同じものを追い求める必要はもはや無い。これ以上、おまえを苦しめるばかりの道を往くことは無いんだ。
これからは自由に生きなさい。一介のドラゴンとして、おまえの思うがままに生きなさい。おまえの行く先で、おまえだけの幸せが見つかることを、私は死の瞬間まで願い続けているよ」
どれだけの間、最後の触れ合いを続けていただろうか。鼻先を母の頬から離す。それから母の目を見る。
そこに姉の面影を見る。振り払う。
もう迷わない。
「さようなら」
最後の一言のあと、振り返ることなく光の扉へと飛び込んだ。
終
ここから先は別の話。
番外編という名の後日談はここまで。
姉妹はのちに再会することになるけど、千年以上あとのこと。