光だけど闇
数か月ほど前から、人間の街で騒ぎが起きている。“正義の味方”とか呼ばれているヤツが、街のあちこちで暴れてまわっているのだそうだ。
そいつの獲物は、いわゆる“悪いやつ”である。
騒音をまき散らす暴走族、人々から金品を巻き上げる暴漢、迷惑行為をする酔っ払いといった、わかりやすい連中を狙って叩きのめしている。
問題は二つある。
ひとつはやり過ぎること。相手を例外なく病院送りにしているという。
もう一つは相手を選ばないこと。悪と見なしたやつは、いっさい事情を酌むことなく狩ってしまうという。
一部の人間たちからは街の小さなヒーロー扱いをされているけども、基本的には過剰な私刑を下す厄介者として煙たがられているらしかった。
そいつはなかなかの曲者らしい。もう三桁を越える件数の被害が出ているというのに、誰もその姿を目にした者がいない。神出鬼没な上に正体不明なのだという。
ポリスが必死の思いで捜査を続けたようだが、結局は尻尾を掴むことができなかったのだとか。
それで業を煮やしたらしいポリスは、ドラゴンである自分たちになんとかしてほしいという依頼を出してきた。
ただし依頼先はヴァラデアではなく、子どもである自分のほうだ。
ヴァラデアはこういった類の依頼を『人間の英雄が生まれる機会を奪ってしまう』とか言ってやりたがらないのだ。
もらえる報酬はなかなかおいしいので、そうしてくれたほうが個人的には助かる。
ということで、喜んで依頼を受けることにした。
「さーてと……さっさと片付けるかな」
時間をかければかけるほど被害が広がっていくので、依頼を受けたその日から行動に移すことにした。
あれこれ準備を整えたら、屋敷の正面玄関から出る。それからすぐに光の翼を広げて高空に飛び上がる。
雲一つなく晴れ渡った西の空は、彼方に沈もうとしている太陽によって赤く染めあげられている。
夕明かりが遠ざかり、空が暗くなるにつれて、宵闇に沈むことに抵抗するかのように、眼下に広がる都市が人工の明かりをポツポツと灯していく。
もうすぐ夜がやってくる。一日の終わりの時間、街が眠り始める時間、人々が油断して無防備になる時間。
そんな時間には、良からぬことを企む連中が多い。“正義の味方”はそいつらを狙って、この時間帯に活動をするはずだ。
ポリスからの情報によると、標的の出現範囲はヴァラデア屋敷の近辺に集中していて、最近は毎日のように被害が出ているという。屋敷の周りを何周かしていれば、事件の発生を感知することができるかもしれない。
今日もどこかで上がるのであろう哀れな悪党の断末魔を捉えるべく、夕闇に包まれる都市へと向けて飛んだ。
で、五分もしないうちに誰かが暴れる気配を捉えた。
今住んでいる国は、前に住んでいたところに比べると治安が悪い。いきなり事件が起きるとは、なかなかの物騒さだ。
同時に、妹の気配も感じ取った。
なんでここであの子が出てくるのか、不審に思いながら衝撃波を出さない程度の速さで飛んで、すぐさま現場へと駆けつける。
そこは路地裏にある小さな空き地だった。
四方を薄汚れたビル壁に囲まれた狭い空間にあるものは、散乱するゴミくらい。いかにも世間に唾を吐いて生きている連中が巣食っていそうな雰囲気のするところである。
散乱するゴミに混じって、人相の悪い人間たちが四人だけ倒れている。その傍には怯えきった様子で壁にもたれかかっている背広姿の若い男がいる。
暴行を受けたのか、場の五人全員が顔にあざを作っている。
妹の姿は無い。軽く気配を探ってみると、それなりの速さでこの場から離れているところのようだ。
ここでなにが起きたのか、とりあえず話を聞いてみるべく背広男の前に降り立つ。が、彼はこちらを見て奇声じみた悲鳴をあげると、失禁しながら震えだした。
「ひいっ! く、食われる!」
「……はぁ、もう」
いきなり現れたのも悪かったが、開幕でこんな反応をされるのはちょっと悲しいものがある。
そんなほんのりとした苦みは無視して、とにかく情報を聞き出すために彼をなだめることにする。
「落ち着いてください、別に襲ったりしませんから。私はシルギット、ポリスから依頼を受けて、“正義の味方”について調査をしているところです」
「え? え、はい……そうっすか……」
一歩引いてから姿勢を正して座り、襲わないアピールを全身で表現しつつ、可能な限り優しく声をかけてみる。
間抜け面をしている彼は、呆然と口を開けっぱなしにしている。
「え、あ、あ……」
「あの、だいじょうぶですか?」
「あ、あのシルギット!?」
で、恐怖も怪我も忘れたかのように上気し始めると、興奮した様子で顔を寄せてきた。
いきなり少年のようなキラキラとした目を向けられて、さすがにちょっと引いてしまう。
「おお、シルギットだ、本物の生ドラゴンだ! こんな間近で見れるなんて! うぉーすげぇーなんだこれ、かっこいい! これが造形美ってヤツ? あのサインいいっすか!?」
「……はいはい、あとでいくらでもサインしてあげますから。ここでなにが起きたか教えてもらえませんか?」
今優先するべきことは情報収集だ。あえてしかめっ面を作りながら押しのけてやると、彼はちょっと頭が冷えたようで、恥じらいの顔を見せながら数歩下がる。
それから襟とネクタイを正して軽く身繕いをしたあと、やや緊張した様子で話を始めた。
「ええと、俺はここから近くにある会社で働いてるっす。えと、会社帰りに道を歩いてたら……そう、こいつらがいきなり囲んできて路地に引っ張り込んできたんっす」
彼は倒れ伏す男たちを見ながら、こわごわと肩を震わせる。
ただ歩いているだけでも事件に巻き込まれるとは、怖い話である。
「荷物を全部取り上げてくると、『会社の情報を全部吐け』とか言って殴ったり蹴ったりしてきたんすけど、急に誰かが乱入してきて、あっという間にあいつらをボコボコにしたんすよ」
「なるほど、災難でしたね。その乱入した奴って、どんな奴だったか覚えていますか?」
「ええと……んーと、すいません、なにも見てなかったっす。確かに誰かがいたと思ったんすけど……」
「そうですか」
彼は腕組みしてうんうん唸りながら考えてくれるが、これ以上有益な情報は出てきそうになかった。
とりあえず、状況からして例の“正義の味方”がここに現れていたようではあるが、嫌な予感がビシビシとしてくる。
この場所から妹の気配もしたことと、誰にも姿を見られることなく一瞬で暴漢を叩きのめす実力から、事の真相をいろいろと察せてしまう。
確証をとるために、倒れている男の臭いを嗅いでみると、あんのじょう妹の残り香を嗅ぎ取れてしまう。
とたん、やるせない気持ちでいっぱいになり、思わず天を仰いでしまった。
依頼が即日完遂できる目途が立ったのにも関わらず、喜ぶ気にはなれなかった。
男の身柄をポリスに届けたあと、屋敷に戻って玄関前で妹の帰りを待ち構えることにする。
それから二時間くらいで妹が帰ってきたので、すぐさまとっ捕まえて尋問を始めた。
「おい、話があるんだけど。今日は何をやらかしてきたの? 全部説明してもらうからね」
「え? なに? どうしたの? 急にそんなこと訊いてきて」
妹はくいっと首を傾げて困惑顔をする。今日もかわいい顔を見れてほっこりするけど、今は愛でている場合ではない。
「私は今日ね、ポリスから依頼を受けてさ、最近人間の街で暴れてるっていう“正義の味方”について調べ……」
「あ! 姉さんも“正義の味方”について気になった? 気になっちゃったー?」
なんのつもりなのか、妹はすぐに話を遮ってくると、嬉しそうにニカッと笑って食いついてくる。
「あー気になったね。だからそいつの正体を探りに街へ行ったんだけど……」
「そう! 私が噂の正義の味方だよ! 困ってるところを無償で助けてくれる良いヤツだって、人間からの人気がとってもあるんだよねー、ふふん!」
で、詰問するまでもなく堂々と自白してくれたので、思わずこけてしまった。
この子はなぜ正義の味方ごっこなんてやってしまったのか。とにかく理由を問いただすために、立ち上がって正面から向かい直す。
「ちょ、なんでそんなことをしてんのさ」
「私はすごく強いでしょう? だからこの力で人間たちを助けてあげることにしたの」
「いやね? だからさ、なんでそんなことをしようと思ったのかって言ってるの!」
「姉さんもその力で困った人間を助けてあげてるじゃない。だから私もそうすることにしたの。どう? 人間らしい考え方じゃない?」
妹は顎をしゃくると自信満々な面で胸を張ってみせるけど、こちらは頭を抱えてうずくまることしかできなかった。
「今すぐやめろそれ。おまえが助けてる以上に、たくさんの人が迷惑してるんだから」
「は? なに? なにが迷惑なの? この私がわざわざ悪いやつを懲らしめてあげたんだよ? 感謝されこそすれ、文句なんて言われる筋合いはないよ!」
妹の表情は一変して憤怒の形相へと変わり、獣らしく牙を剥いて威嚇してくる。
『わざわざ』、『懲らしめてあげた』、『感謝されこそすれ』とは、安定の超絶上から目線である。
こういうドラゴンらしく自分本位なところは、幼い頃からまったく変わらない。自分の行いにどのような問題があるのかは、完全に理解の外なのだろう。
「文句言われて当然だっての! おまえがやってることはね、縄張りを侵してるのと同じなの! 他のドラゴンの縄張りで狩りをして、獲物を横取りしてるのと似たようなものなんだよっ!」
実はこういうことは初めてではない。この子は似たようなことを何度かやったことがあった。
人間の側に立って、人間らしい振る舞いをしてみようとして、とんちんかんなことをやってみせたことがあった。
なぜそんなことをするのかは、前々からわかりきっている。
お姉ちゃんの真似をしているつもりなのだ。
世界中のドラゴンで唯一お姉ちゃんだけが持っている、“人の心”とか呼ばれている特別な力を手に入れるために、こうして人間の真似らしきことをしているのだ。
この子は赤ちゃんの頃から三十代に至る今まで、ずっとこんなことを続けている。長年に渡って解消できていない頭痛の種の一つだった。
「私……またなにか間違ってた?」
勢いに任せて説明をしてみせると、妹は急にしょげ始めて、上目遣いで見つめてきた。ようやくこちらの思っていることが伝わったらしい。
その頼りない顔を見ていると胸の内が温かくなってきて、つい説教ではなく鼻先スリスリで慰めてしまう。
「まったくもう。確かに私は人間の味方とかなんとか言われてるけど、私はそんなつもりはないよ。確かに困った人の手助けとかは……ついやっちゃうことはあるけど、それが人間のためだとか思ったことはないし」
「……ほんとなの?」
「ほんと。困った人間を助けてやったって私みたいになれるわけじゃないしさ、正義の味方なんてもうやめよ?」
「うん。姉さんがそう言うなら、きっとそれが正しいんだね……」
妹もお返しに鼻先をすり寄せてくる。これがとても心地よいのだ。
「おまえは人間の味方でいる必要なんてないよ。ただ、私の味方でいればいいんだから。無理して人間のふりなんかしないで、私だけを見ていなよ」
「姉さんさあ、そういう言い方は気持ち悪いから、いい加減やめなって」
いきなり素に戻った妹から思いっきり水を差されて、肘がガクっときてしまった。
今回の件は比較的穏便に解決できた。
だが、またいつか似たようなことが起きるだろう。
妹の暴走を未然に防ぐことは不可能だ。自分が一番でないと気が済まないドラゴンである以上、姉に張り合い続けることが宿命なのだから。
まったく、いつもながら手のかかる子であった。
終
越えられない壁にはどうやって立ち向かう?