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獣の晩餐

 いつもの平日の夜。何事もなく一日が終わったので、ドラゴン用マットレスの上で丸まって寝ようとしたのだが、今日はなぜか寝付けなかった。

 そばにいる妹はとっくに熟睡しているというのに、ひとりだけ眠れずに悶々とし続けるというのは、なかなか辛いものがある。


「ああもう、眠れんっ」


 横になってから二・三時間は経ったか。頑張って寝ようとしては目が覚めてしまうという、無意味なことを延々と繰り返しているうちに、うんざりしてしまう。

 とても寝ていられる気分ではないので、眠るのはもうやめにした。


 そもそもドラゴンは、毎日寝る必要など無いのだ。周りの人間たちの生活習慣に合わせるために、あえてそうしていただけなのだ。


 だから今日は無理しないことにする。

 とりあえず、うっ屈とした気分を晴らすために、散歩でもすることにした。


 立ち上がって寝床から出る。

 とっても気持ち良さそうに眠っている妹の寝姿が目に入る。尻尾でその頬を軽く叩いてみるが、まったく反応は無い。

 静かに育児部屋から出る。やはり妹が目を覚まして追ってくることはなかった。


 今の時刻は感覚からして夜半過ぎか。廊下は主照明が落ちていて、非常灯がぽつぽつと点いているだけなので、かなり暗い。

 でも、ドラゴンの目なら普通に闇を見通せるし、必要なら自力で明かりを作り出せるから、行動に支障はまったく無い。

 夜道を散歩でもするような気分で暗い廊下を歩きまわる途中で、何気なく気配を探ってみると、ヴァラデアとエクセラの存在を捉えた。


 ふたりがこの屋敷に居るのは当たり前ではあるが、居場所がそれぞれの寝床ではなく接客用の居間であることが気にかかる。


「あれ? まだ起きてるのか?」


 気配の様子や場所からして、ふたりとも起きているようだ。

 こんな時間にふたりして何をやっているのか、ちょっと気になった。


 様子を見に行こうかと足を動かしかけて、すぐ思い留まる。たぶん大人同士の付き合いをしているだろうから、そこへ子どもが水を差しに行くのは無粋であろう。

 大人たちのお楽しみを邪魔するべきではない。ここはそっとしておいて、暗中の散歩を続けることにした。


 と言っておきながら、気になるものは気になってしまうのが人情というもの。自然とくだんの部屋へと近づいていってしまう。


 こっそり覗き見をしてみるか、それができなければ聞き耳を立ててみるか、それもだめなら気配で様子だけうかがってみるか。

 あれやこれやとたくらみを思い浮かべながら歩いているうちに、無意識に導かれるがままに目的地である部屋の扉前まで来てしまう。


 廊下と居間を隔てる無骨な金属製の扉を見上げる。扉を開こうと前足を上げようとして、下げる。やっぱり上げようとして、でも下げる。

 やはりやめようか、しかし気になる、やはりやめようか、それでも気になる。扉の前での行ったり来たりを五回繰り返す。

 

 やっぱりやめよう、そうしよう。そう決意して引き下がろうとしてみるが、思っているのと逆方向へと動いてしまう。

 体の方は実に正直である。もはや己の行動を止めることはできそうにない。

 この行動には何の落ち度もない、気になることをしている大人たちが全面的に悪い、そういうことにして部屋に入った。


 扉の先にある居間は、やけに暗かった。照明が点いておらず、代わりに部屋の中央辺りに浮かぶ神秘的な暖色の光球だけが、慎ましやかに部屋中を照らしている。

 いい感じの雰囲気を作り出している薄闇の中で、グラスを片手に持つ大人たちは、一脚の机を挟んで向かい合っていた。


 机の上には高級そうな酒瓶が一本、その脇の床には蛇口付きタンクが置いてある。というか部屋が酒臭い。どうやら酒盛りをしていたらしい。


「シルギット様?」

「おお、やっと入ってきたかぁ。外でうろうろしてるから、もう声をかけようかと思ってたぞ?」


 二人は入室と同時にこちらに気づいて顔を向けてくる。


 エクセラは頬あたりが赤くなっている。酔っているようだ。

 ヴァラデアのほうの顔色に変わりはない。鱗で覆われたドラゴンの顔色が変わることなんてないが。

 でも、長い首をぐらんぐらん揺らしてヘロヘロになっているその様から、エクセラと同様に酔っぱらっていることが一目でわかった。


 ここに来たことを一発で後悔してしまう。さすがに酔っ払いとの付き合いなんてやってられない。


「……邪魔したね。子どもは寝てるよ」

「おいおい帰ろうとするな。せっかくだからおまえもいっしょに飲め! ははははは」


 酔っぱらっていても、大人のドラゴンは動きが俊敏だ。

 その場から辞そうとすると、一瞬で回り込んできてから首根っこをくわえてきて、成す術もなく同じ席に着かされてしまった。


「ええと、この子のグラスは人間用のでだいじょうぶ……だな!」

「シルギット様ってまだ十歳なんですけど、飲んでだいじょうぶなんですか?」

「お酒は大人になってからとか抜かす気か? ははは、なにをバカなことを。この子はドラゴンだぞ? だいじょうぶに決まってるだろうが。むしろ飲めば健康になれるね」

「それもそうですね」

「おいおいおいおいおい」


 なんか知らんが大人たちの間で勝手に話が進んでいって、いっしょに酒盛りする流れにさせられている。

 文句をつけようとしたところで、ふと疑問が生じる。ヴァラデアは見るからに酔っているのだけど、そもそもドラゴンは酒なんかで酔えるのだろうか。


 酒の酔っぱらう成分は、ある種の薬物であり毒物である。ドラゴンはあらゆる毒に免疫を持つので、酒が持つ毒素程度は一瞬で分解してしまうだろう。

 いったいなにを飲めばドラゴンが酔えるというのか、問題なのはそこである。


 ヴァラデアが慣れた手つきでタンクを操作して、エクセラから受け取った酒用のグラスに液体をなみなみと注ぐと、いい笑顔で突き出してきた。


「さあ、いけ! この酒はなー、この私が開発した、ドラゴンでも楽しい気分になれる特別製なんだぞ」


 とりあえずグラスを受け取って、いっぱいに満たされた透明な液体を観察してみる。

 水のように無色透明な見た目の割には若干のとろみがある。匂いを嗅いでみると、刺激の強い果実系の香りばかりがあって、酒臭さはまったく感じられないのが意外だ。


 試しに舌先でひとすくいしてみる。

 想像とは全く違い、ものすごく濃厚な血の味がした。


 口の中に含んだ途端に、隠れていた芳醇な血の香りが口内から鼻を突き抜けて、一撃で頭がクラっときてしまう。

 だが、クラっときただけに留まり、落ち着きのある気持ち良さで満たされていく。普段は血の香りを嗅ぐと、獣の衝動が一気に強くなって暴れたくなるのだけど、今回はそうならない。


 これは初めての体験だ。実にふしぎな感覚である。

 ふしぎ以前の突っ込みどころがあるので、まずはその謎を回収しておく。


「クゥゥ……ちょっと待て。なにこれ、思いっきり血の味がするんだけど」

「はは、そりゃあ当然、これは血で作った酒だからな。狩った獲物から肉を取ったあとの残骸をね、こうして再利用しているんだよ」

「は?」


 上機嫌な様子のヴァラデアは口元を持ち上げて、真っ白な牙を見せる笑顔を作る。獲物を喰らいたてで鮮血にまみれた口を幻視してしまい、ちょっと怖くなる。


「見た目は水だよね、コレ」

「ふっふっふ、それはだね、この私が長い年月と資金を投じることで開発した装置でろ過することによってね、色素が完全に抜けているからなんだよ」


 言われてグラスをもう一度振って、液体が揺れる様をまじまじと見てみる。本当に水としか思えない、もとが血だったとは思えない透明度だ。


「なぜそんなことを?」

「人間たちは、私たちがこういうのを喰らっているのを見たら引くだろう? だからこうして見た目や匂いを変えてみせたのさ」

「ああそう、それで」


 ドラゴンは人間以上の知性を持っているけれども、本質的にはどう足掻いても肉食獣だ。血肉への飢えを定期的に満たしておかないと、激しいストレスになってしまう。

 だからといって獲物を丸かじりするのは下品なので、こうしてお酒風にしてみたり、または栄養剤風にしてみたりと、いろいろ工夫をしてごまかしているのだ。


 ヴァラデアはそれでも我慢しきれなくなることがあるようで、ごくたまーに隠れて生餌を喰らっているようだが、それは余談である。


「違うのは上辺だけじゃないぞ? 成分を調整することでな、本能を刺激し過ぎず、ちょうどいい気持ち良さだけを引き出すことを実現しているんだ。

 これがお母さんの努力の結晶なんだぞ。ははは、どうだ私はスゴいだろう。とても賢いだろう。崇めてもいいんだぞ」


 ヴァラデアはふらふらと頼りなさげに体を揺らしつつも、いつも通りに胸を張ってふんぞり返った。


 そもそもなぜ血なのかについては問うまでもない。実際に血の酒を飲んでみたことで、ドラゴンであるヴァラデアがなぜ酔っぱらえていたのかもわかった。


 ドラゴンは酒ではなく血に酔う。ただそれだけのことだったのだ。


「あと補足しておきますけど、私みたいな人間といっしょにお酒を飲みたいから、そんなお酒もどきを開発したらしいですよ。普通のお酒じゃ酔えないからって、よくやるもんですよね」


 エクセラは実に軽い感じで言いながら、グラスに二割ほど残っている酒を一息であおった。さすがにそちらは普通の酒であろう。

 というか、よく血の香りにあてられて興奮している猛獣なんかと酒を飲んでいられるものだ。元傭兵の肝の座りようは一味違うようだった。


「……まあいいや」


 グラスの中身の正体が血だというのには驚かされたが、ドラゴンとして少し歳を重ねた今では、こういうのは自然なこととして受け入れ済みだ。


 普通にグラスに口をつけて、今度は一気に飲み干す。

 とたん、狩りに成功した時のような幸せな気分でいっぱいになって、ちょっとした悩みや苦しみが吹き飛んでいく気がする。くせになってしまいそうだ。


「シルギット、大学に通い始めて一か月経ったが、どうだ? おもしろそうな人間は見つけたか?」

「いや、特には。それよりも、やっとまともな勉強ができるようになったから、そっちに夢中でね」

「シルギット様は相変わらず真面目ですねえ」

「勉強はいつでもできるが、人間との縁はいつでも得ることはできんぞ。勤勉なのは結構だが、ほどほどにな」

「わかってるよ」


 机を囲んで一杯やりながら、大人たちと近況について語り合う。

 それぞれの意味でお互いに酔っているためか、普段はしないような内容の話ができるので、これがなかなか楽しい。


 ここに妹もいれば、もっと楽しいことになるのだろうが、今のあの子はおねんね中だ。自分の意志で目を覚ますまでは、なにをしたって起きたりはしない。今日はこの面子で夜を過ごすしかないだろう。


 次に機会があったら、あの子も誘おう。そう思いながら、おかわりを求めた。


  終

日々人間性をすり減らしながら、立派なドラゴンとして成長していってます。

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