最終話 遠い日の想い(9/10) 解脱
お母さんに抱えられて家路につく。かなり遠いところまでやってきているが、空を真っすぐ飛んで行けば、あまり時間をかけずに帰ることができるだろう。
最強ドラゴンの前足に包まれることの安心感といったらもう、言葉ではとても表現しきれない。縄張りを破ってから、死の恐怖やら緊張やらで張りつめ続けていた気が完全に緩んで、このまま寝入ってしまいそうだ。妹はもう気持ちよさそうに寝ている。
だが今は、まだおねむの時間ではない。話さなければならないことがある。
「お母さん、エクセラさん? どこまで……いや、なにを知ってるの? 全部わかってた風だけど」
なにか漠然とした怖さがあるけど、意を決して第一歩を踏み出す。
「おまえが昔の私たちに関わることを知っていることは、前々から察していたんだ。おまえがそれに惑わされていることもね」
踏み出した先で待っていた大人たちが、あまりにもひどい優しさで迎え入れてきた。
「実際察せたのは私のほうだけですけどね」
黒髪をたなびかせるエクセラからチクリとした突っ込みを喰らったヴァラデアは、すぐ黙り込むと妙な空気になってしまう。エクセラはやれやれと言いつつ溜め息を漏らすと、仕切りなおすように咳払いをした。
「前々からなにか変だとは思っていたけど、確信に至ったのは隠し宝物庫を紹介したときだったな。
あれから急に昔の地図を引っ張り出して調べだしたり、セランレーデから昔のことを聞き出したりしたものだから、なにをやりたがっているのかが大体わかってね。だから方々に手をまわして、おまえを守っていたんだよ」
本意を悟られないように気を配ってきたつもりだったけど、大人たちからするとバレバレだったらしい。というか、アドナエスだけでなくセランレーデまでもが裏でつるんでいたようだ。なにもかもが筒抜けになるわけである。
今までの覚悟は、苦労はいったいなんだったのか。道化っぷりにも程があって、かなりがっくり来る。
このお母さんはどこまでいっても計算高くて、イラつくほど抜け目がない。
だからこそわからない。
「なんで私を止めなかったの? これだけ大ごとになったっていうのに」
そこまでわかっていたというのなら、事前に止めることはできたはずだ。それをせずにあえて行いを見過ごしたのは、どういうつもりだったのだろうか。
当然の疑問を投げかけると、ヴァラデアはふっと薄笑いをする。
「おまえの様子を見てた限りじゃあ、どの道いつかはこうなっただろうからな。なら、さっさとガス抜きをしてもらったほうがいい。知らないところで暴発されるよりはずっといいよ」
確かに、その方が監視も援護も根回しもしやすかろう。もっともな話ではあるけど、どこか釈然としない。
「私たちもいい機会だから、おまえを見極めようと思っていたしな。結局にらんだ通りに、おまえはすべての障害を乗り越えてあそこまでやってきたわけだが」
「見極めるって、なにを?」
「まあ、うん。おまえは……そうだな、ああ、あれなんだよな」
思うところがたくさんあるのだろう、一言ごとに声がしぼんでいって、聞き取りづらくなっていく。
「さあて、ちょっと早いが性教育を始めようか」
「いきなりなに言ってんの」
が、不意に調子を明るいものにしてきたヴァラデアが、いきなり話の展開を飛ばしてきた。
で、突っ込みに応じることはなく、なんか知らんが講義を始めてくれた。しかも微妙に早口で。
「一般的な生き物は、オスとメスが交尾することで繁殖する。ドラゴンも力弱い種ならば同じ繁殖形態を採っているが、私たちみたいな最上位の力を持つ種は違っていてな、単独で分身を……いや、子を作るんだ」
いわゆる単為生殖というやつだろう。なぜそんなことを今ここで説明するのかは謎である。
「その方式を採用している理由は、もちろん私たちが最強だからだ。オス・メスという概念は、多産多死な下等生物が変わりゆく環境に適応することで種を存続するためにあるものだからね。私たちにそんなくだらん小細工は必要ない、よって今の在り方でいるというわけだよ」
『どうだと誇らしいだろう』と言わんばかりに朗々と語ってくれるけど、突っ込む気力がわかない。ちょっと自分を生物学的に客観視しすぎではないだろうか。
「ただし、無条件で子を作れるわけじゃあなくてな、とある刺激が必要になる。種によって内容は異なるんだが、私たちは、私たちの場合は……」
一方的にまくしたててきたのが一転、急に言い淀むと、数秒ほどの間を置く。
「ひとつの生命を取り込むこと」
そして、やけに不快そうに締めの言葉を紡いだ。
「なぜこのような生態なのかは、私自身わからん。だが、きっと必要なことなんだろうな。今の殻を破り、更なる高みを目指すのであれば、なんらかの形で新しい風を取り込むべきなのだろうから」
小さくかぶりを振ったあと、うなだれて押し黙る。
今ので話が終わったようだが、結局何を伝えたかったのかがわからず、唖然とするほかない。
「ヴァラデア様、それじゃなにも伝わりません。ここまで来たんですし、ちゃんと話しましょう」
そこでエクセラが物憂げに言いつつ、雑な仕草でヴァラデアの下顎に何度も蹴りを入れる。少しして、ヴァラデアは嫌そうにため息をついた。
「わかったよ。正直あまり思い出したくないことだったが、仕方ないな。私はエクセラ以外にも、もうひとりの戦友を持っていた。それは知っているな?」
「うん」
唐突に性教育をしてきたときとは違って、その真剣味のある声からは、なにか覚悟を決めたような意志を感じられる。とりあえず投げかけてきた質問に素直に答えて、成り行きを見守ってみることにした。
「最初はその戦友と、今まで出会ってきた友たちと同じように、大切な友として接していたんだ。でもな、しばらくひとつ屋根の下で暮らしているうちにな、アイツのすべてが欲しくなった。コイツは絶対に離さない、決して逃がしてはならないと思った。
それで私は、アイツを番として種に迎え入れることにした。この牙で喰らうことで、すべてを取り込んでやることに決めた。誓約を司るドラゴンである私がそう決めてしまったんだよ」
さっきの生態がどうのこうのという話は、これを言いたかったのかな、と何気なしに思う。
「もちろん抵抗はされたさ。だが私は言ったんだ。『生き延びたくば、私を力でねじ伏せろ。身一つで戦って殺してみせろ』とね」
淀みなく説明しながらも、いやに皮肉げな口ぶりであるのがやけに印象深い。
人間がドラゴンと戦って勝ちを拾うという話は多くの物語で語られていたりするが、そのどれもが“条件をガチガチにつけた知恵比べ”である。
単純な力のぶつかり合いで人間側が勝つのは、相当弱い種が相手でもない限りはまず不可能なのが常識だ。
絶対に生かして帰すつもりがないから、そんな無茶な条件を言い渡したのだろう。
それでも、諦めることなく立ち向かうことにした。
状況はまったく違うが、一度は勝ったことがあったのだ。人間をナメ腐っているドラゴン様を今度も出し抜いてやるのだと、気後れしないように決死の覚悟を決めた。
交渉してできる限り有利な条件を引き出してやったあと、決戦の地へとおもむいた。その場所は、かつてヴァラデアと初めて出遭い、敵同士として戦った、あの要塞だった。
加勢を申し出てきたエクセラとともに、一丁の愛銃を片手に最後まで戦い抜いた。結局あっさり負けたけど、決して折れることのない意地だけは見せつけてやった。
ヴァラデアは恍惚の表情のまま食らいついてこようとしてきたが、寸前でなかなか動けずにいた。大きな目から涙をぽたぽたと流して、番に選んだ人間を見つめていた。
この偉大な私と一つになること、これは互いに喜ばしいことなのだ。それなのになぜ、こうも涙が流れ出るのだ。なぜ私はこうせざるを得ないのだと、強大なドラゴンらしからぬ弱音を吐いて震えていた。
それも長くは続かなかったが。古来より受け継がれてきた大いなる本能の前では、ちっぽけな理性などは儚いものに過ぎない。
「そして私はあの要塞で、アイツと戦って勝ち……喰った。そうして生まれたのが、おまえたちなんだよ」
『喰った』の部分が特に忌々しげである。深い深い遺恨を感じさせる一言であった。
エクセラがなんの前触れもなくヴァラデアの下顎に蹴りを入れたのでビクリと来るが、ヴァラデアは構わずに話を続ける。
「まあ、そうだな。おまえが持つ記憶とやらは間違いなく、アイツの……私の、唯一人のもの……なんだろう。
そんなことはあり得ないはずだった。私以前の世代も番に選んだ人間を喰らってきたが、その子が番の記憶を持って生まれてくることなどは一度たりともなかったからね。
でも、例外もあったのかもな。それが新手の神秘なのか、偶然なのかはわからないが、現実に起きた以上は認めるしかない」
ヴァラデアは細く長く息を吐く。果てしない疲れを感じさせる、強大なドラゴンのものであるとはとても思えない、あまりにもか弱い息遣いだ。
「これが私たちの見たところの、おまえが持っている記憶の正体だ。どうだ、満足したな」
そこで話が途切れる。無言で飛ぶばかりで、続きを語ろうという気配はない。
なんというか、明かすべきことは明かした、これ以上話すことはなにもない、そんな隔絶した空気が漂ってくる。
でも、まだ終わっていない、なにも解決していないと感じる。
「やっぱり、赦せてはない、か。……一生いじめてやる。できるだけ長生きして、苦しめ続けてやる」
風切り音に混じって、あのエクセラから恐るべき呪詛を聴き取ってしまったのも相まって、ここで留まるべきではないと思った。
「ね、お母さん」
「黙れ」
畏れる心に活を入れ、勇気を出して声をかけてみるが、ヴァラデアはキッパリと拒絶してきた。
「シルギット、はっきり言おう。おまえはアイツとは似ても似つかんよ。性格も言動も何もかもが違うからな。おまえはおまえだ、アイツじゃあない。無関係なおまえが、私たちの想いをかき乱すようなことはするな。
すべては終わったことだ。私たちはあのときのことを、何十年もかけてやっと折り合いをつけたんだ。二度と蒸し返すような真似をするんじゃあないぞ」
言葉面は強いというのに、その語りはなんと弱々しいことか。
過去を振り切ったとか言っているが、どう考えてもそんなことはない。まだ終わっていない、彼女らはいまだに過去を引きずっている。
伝えなければならないことがある。この大人たちのわだかまりを解くことは自分にしかできない。
「ね、聞いてよ。その人はね……」
「黙れって言われたのがわからねえのか」
今まで聞いたことのない、荒くれ者のような刺々しい声が無慈悲に神経をえぐってくる。いつだって優しく声をかけてきたエクセラが、想像を絶する憎悪を込めた言葉を叩きつけてくることなど、今まで経験したことがなかった。
お母さんに怒られたときよりも、アドナエスに威嚇されたときよりも、ある意味でより寒気が立つものである。
それでも止まらない。止まってはいけない。
自分が知っていることを、彼女らに伝えなければならない。
「やかましい。いいから聞けよ、これが最後だから」
返事は待たない。勢いに任せてまくしたてる。
「その人は、確かに最期はすごく怖かったけど、納得はした。あれは諦めだったかもしれないけど、仕方ないことだって思ったんだ。お母さんのことを恨んではなかったんだ」
返事はない。
死の恐怖に慄きながら消し飛んでしまう前に見た、涙するヴァラデアの姿に感じたものは、人知を超える力と知恵を持つドラゴンであるにもかかわらず本能に抗えずに苦しみ悶える、惨めすぎる戦友への憐みだった。
「そして心配してたよ、あとであんたたちがケンカしたりしないかってさ。……これだけ。もう……なにも……言うことは、ない」
そして最後の瞬間にあったものは、残った戦友たちはどうなってしまうのかという愁いだった。
これ以上、言いたいことは思いつかない。
「あの人は関係ない。ガキがしゃしゃり出るな」
「ああ、これは私とエクセラだけの問題だ。身の程を知れ、無知な小娘が」
今度は返事があった。ふたりともが苛立ち全開の低い声で吐き捨ててくる。
「おまえは、私にとって何者にも代えがたい戦友だ」
「おまえは、この私にとって今世紀最高の宝だ」
だがしかし、ふたりは蚊の鳴くような声で言葉を交わし始める。ドラゴンの聴力でなければ聞き取れないような、とてもとても小さな声だ。
「でも、おまえがあの人を殺したことは、やっぱり今も許せて、ない」
「知ってる。許しを乞うつもりなど最初からない」
「知ってる。でも……」
「ああ……」
「ヴァデデア、私は……」
「言うな。もう受け入れた。だろう?」
「……そうだったな」
大人同士でぽつぽつと語り合ったあと、それっきり口を閉ざした。
なにか話がついたっぽいが、肝心の部分が以心伝心過ぎていて考えを推し量ることができない。
でもどうしてだろう、どうでもいいやと思ってしまう。やるべきことはやった、すべてが終わったと感じてしまう。
彼女らの間に割って入ろうと思えない。過去を知りたいという意思が働かない。昔話への興味がまったくわかない。心中を占めていたナニカがぽっかりと抜け落ちたような気がする。
今まで自分は、なんで必死になって“あの人”の思い出の場所を目指していたのだろうか。急にそんな疑問が湧いてきたので自問してみたら、答えられなかった。我ながら奇妙である。
もしや、今の言葉を伝えられなかったのが心残りだったから、ヴァラデアに捕食されてもなお執念だけが生き延びて、その子に宿ったとかなのか。思いを遂げた今、その念が消え去ろうとしているとかなのか。
ばかばかしいと思って鼻を鳴らす。生ある者は死ねば無に還るだけだ。そうだからこそ、生とその思い出は尊いものとなるのだから。
そんなことより小腹が空いた。丸一日以上何も食べていないのでお口が寂しい。琥珀色にきらめく濃厚タレを塗ったくった焼き肉を、二枚重ねにした大ぶりの菜っ葉で挟んでかぶりつきたい。
大地を見下ろしてみると、山々ばかりが一面に広がっている。そろそろ縄張り境を越えようかというところだった。