最終話 遠い日の想い(8/10) 縁の交わるところ
そこは、小さな山の上に建てられた要塞だった。
かつての内乱時の重要拠点として、政府軍と反政府軍との間で争奪戦が繰り広げられた地で、双方のおびただしい血を大地に吸わせたことで悪名高かったところだ。
最盛期は多くの人間が入り乱れたところだったけど、戦争が終わるとすぐに“ナニか”が出るという噂がたって、物好き以外は誰も寄り付かなくなってしまった。
かつては随一の堅牢さを誇っていた要塞壁は、大半が跡形もなく崩れて威容を失っている。建物もことごとくが潰れていて、まともな形で残っているのは一棟しかない。戦争が終わってから数十年経った今になっても、修復されずに打ち捨てられたままだ。
瓦礫の間からは草木がたくましく伸びていて、要塞の残骸を足元から飲み込み始めている。ネズミみたいな小さな獣がちょろちょろと駆け回る。羽虫がそこら中でひらひらと舞う。
人の住まう地のにおいは、もうどこにもない。きっとこのまま誰からも忘れ去られて、いつかは山の一部となって埋もれるのだろう。
そんなうら寂しい廃墟が旅の終着点である。
適当な高所に登って、すべてが終わったあとの死に絶えた地をぐるりと視てみる。やっぱりあるのは瓦礫の山ばかりで、特別に気になるものは見当たらない。
確かに見覚えのある場所だ。ここでなにか大きな出来事に遭ったのは間違いない。この場所に、生まれてからずっと望んできた“答え”があるはず。
そう思ってここまでやってきたというのに、頭は冷めたままで動き出さない。懐かしい感じのする光景が目の前にあっても、なにも浮かんでくることがなかった。
これはどういうことなのかと、血の気が引いて息苦しくなってくる。どれだけじっくりと風景を眺めてみても、やっぱりだめだ。何も見出だせない。
妹まで巻き込んで、文字通り死ぬ気でここまでやってきたというのに、なにも成果を得られずに終わるというのか。そんなことはありえない。
そう、ありえない。ただ、なにかを見落としているだけのはずだ。
「ね、ここを見て何か思い出すことはない」
「んー? なにも。コレただのボロ屋だよね。ここになにかあるの?」
顔面の平静を保ちつつ妹に尋ねてみるも、この子はもっと何も感じていないようで、なにがなんだかわからないといった風に首を傾げた。
ぎりと牙を食いしばる。
いや、まだだシルギット、まだなにも終わってはいない。ちゃんと探索をしていない。外観を見ただけで何かわかることがあるのか、いや無い。
そう自分自身を説得してくじけそうな心を立て直すことで、なんとか息苦しさを収めて立ち上がることができた。
絶望するには早すぎる。ちゃんと隅々まで探索しきってからでなければ、旅が終わったとは言えないのだ。
「うーん。とりあえず、あそこに入ってみよう」
唯一まともな形で残っている建築物を指さして、さっそく二頭いっしょに行ってみることにする。
うず高い瓦礫の山を乗り越え、雑草だらけのひび割れた道路を通って、問題の建物のもとまで真っすぐやってきた。
角ばっている無骨な石造建築物を見上げる。地上三階建てとそれなりの背丈の建物は、窓も扉もなにもかもが外されている。弾痕や亀裂などの損傷や色あせが激しいので、廃屋感たっぷりである。
でも、よく見てみるとそれほど痛んではおらず、他の建物のように崩落しそうな感じはまったく無い。ちゃんと修繕さえすればまだまだ使っていけそうだ。
外壁を軽く叩いて感触を確かめてみると、手ごたえからしてただの石ではない気がした。こいつだけが特別頑丈に作られていたのかもしれない、だから今も原形を留めているのだろう。
これならドラゴンの力でうっかり倒壊させてしまう心配はなさそうだ。とりあえず正面口らしきところからお邪魔することにした。
外観から想像した通り、中身もやっぱり寂れていた。
意外と天井が高くて広めの空間には物がなにも無くてだだっ広く、玄関や窓から雨風が吹き込みっぱなしになっていたため、緑の苔や土埃などで余すことなく汚れていた。
とりあえず、近くの通路に入っていっても印象は変わらない。部屋を覗き込んでもやっぱり何もなかった。
でも、どこか見覚えがある気がする。
足が自然に動いて、ある場所を目指し始める。
足取りに迷いが無いのがふしぎである。封じられた記憶やら本能やらが、自分が向かうべき場所へと導いているのか。なんの根拠もないというのに、この先に真の終着点があるのだと確信できた。
細い通路を抜けて非常階段に出る。二階に登ったら通路を真っすぐ行く。それから左に曲がって直進すると、ベランダを備えた大部屋の前に着いた。
そう、ここが本当の終着点だ。“三人目”は、ここでヴァラデアとの最期の時を過ごしたのだと、おぼろげな記憶がわずかに鮮明になって、かつての光景が目に浮かんできた。
より記憶を確かにするべく、すぐさま部屋へと足を踏み入れる。
物資をネジ一本に至るまで運び出されてがらんどうになった空間。照明はすでに死んで久しく、壁一面にある窓だった大穴から日光が差し込んできてはいるが、光量がまるで足りていないので薄暗い。山風がもろに吹き込んでくるためか、埃は散らされて空気は澄んでいるけど、それゆえに冷たさが絶えない寂しい場所。
すべてが当時のままだった。
居合わせる者も当時のままだった。
「やはりここまでやって来たか」
部屋のど真ん中で、ヴァラデアが逆光を背にして静かにたたずんでいる。巨体を揺らしてやおら振り向くと、切なげにつぶやいた。
意味がわからない。まったくもって意味がわからない。
なぜヴァラデアがここにいるのか。今まで熟睡していたのではなかったのか。なんでしれっと縄張りを超えて平然としてられるのか。様々な考えがぐるぐると周りまくって、頭がまるで働かなくなる。
すぐ傍の妹を見やる。この子は目をまん丸に見開いて、ぷるぷる震えながらお母さんを凝視していた。このわかりやすい驚きっぷりを見るに、お母さんとグルというわけではなさそうだ。
お母さんを見る。声をかけようとして、言葉にならず『クゥ』というか弱い鳴き声だけが出てしまう。小さくかぶりを振り、今度は勇気を出して音なき声を紡ぎ出した。
「お母さん、なんっで……?」
「あそこまで嗅ぎまわっておいて、気付かれないとでも思ったのか? 小娘ごときが私たちを欺くなど百年早いわ」
どこか疲れた感じで抑揚なく言ってきたところで、あらぬところから物音と気配がしたので思い切りビクっと来る。妹なんて悲鳴をあげると背中にひっついてきた。
気配が出てきた方を見る。部屋の隅のほうで、背景に溶け込むようにして全身装甲服姿の人間が無言で立っている。そいつがおもむろにヘルメットを外すと黒髪がこぼれて、見慣れた顔が現れた。気配でわかっていたが、やはりエクセラであった。
ふたりとも気配を消して潜伏していたらしい。ドラゴンにすらまったく存在を悟らせなかったとは恐ろしい。
「シルギット様のこと、実はずっと監視していたんですよ。セランレーデさんに私たちの昔のことを訊いていたことも、この場所について調べていたことも、全部わかっていたんです」
ひどく苦々しい顔をしているエクセラは、言いにくそうに白状してくる。
それを聞いたとたん、ひとりでに脱力してくずおれていた。つまり、ずっと大人たちの手のひらの上で踊らされていたということなのだ。道中でアリサたちの姿を見かけたときから嫌な予感はしていたけど、無情にも的中してしまった。
なんということか、途方もない屈辱、自分自身に向けられる憤りは抑えるに耐えがたく、自らの喉笛を掻っ切って死にたくなってくる。その程度じゃ死ねないし傷つけることすら無理だけど。
だがしかし、すぐ違和感に気付いて頭が冷える。そこまでわかっていたのなら、どうして縄張り越えまで許してしまったのだろうか。力づくで止めるなり、バカをやらないよう説き伏せるなりできたはずなのにだ。
大人たちがなにを考えているのかがわからない。底知れなさが恐れをもたらして、背筋に冷たいものが走る。
恐る恐る面を上げてみると、ヴァラデアが音をまったく生じさせない優雅な足取りで歩み寄ってくる姿を見た。
とても滑らかだが、一切の隙が無い動きで前足を眼前に持ってくると、衝撃波を伴うすさまじい打撃を顔面に喰らって、斜め上へと思いっきり吹っ飛ばされた。
一瞬だけ見えた動きから察するに、デコピンを繰り出してきたのだろう。人間が喰らったら頭を粉砕されている威力だ。
背後の壁や天井を突き破り、一気に建物の外まで弾き出される。天の彼方へと飛んでいく前に、瞬時に回り込んできたヴァラデアが受け止めてくると、鼻先を擦り付けながら力強く抱きしめてきた。
締め付けが強烈過ぎて痛い。でも、この上ない愛情を感じられる力の入りようでもあった。
軽い脳震盪でも起こしてしまったか、ぐらぐらする頭で地上を見てみる。山に建つ要塞がある。何も感じない。何も思い出せない。
ここにはもう用はない。なんとなくだがそう思った。
ヴァラデアはゆっくりと地上に降りると解放してくる。あと、妹も背中から離れる。この子はお姉ちゃんが吹っ飛ばされたときもずっと張り付いていた。よくやるものである。
揺れ続ける気持ちを落ち着けるために、一つ二つと深呼吸する。落ち着いた。
すぐ痛みが治まった顔をさすってみると、前足の平に血がついていた。自分たちの血の色は赤色だったようだと、血を舐めとりながら思った。
「おまえはこの場所になにを見た?」
ヴァラデアの音なき声は、今までにない不安定な響きをはらんでいる。怒り、悲しみ、困惑等々、多様な感情が入り乱れているように思える。
なにもかもが初めてのことで、次になにが起きるのかがさっぱり予測できない。
予測できない出来事、ひとつめ。
彼方から飛行機が近寄ってくる気配を感じる。すぐに銀色の機体が上空に現れて、適当な空き地へとホバリングをしながら垂直に降りてくる。
ヴァラデアと同程度の全長がある、ややずんぐりとした形の飛行機の扉が開くと、野戦服みたいな長袖の上下を身にまとった幼稚園の先生、アリサと丸メガネが降りて駆け寄ってきた。
「だいじょうぶ? シルギットちゃん、ちょっと血か出てるよ? きみもケガすることがあるんだねえ」
アリサは心配そうにあれこれ言ってきたあと、心底安堵したような表情を浮かべる。
「きみらの行動はぜーんぶ監視させてもらったよ。うちの技術がこんなに活躍するときがくるなんて、この仕事選んだ甲斐があったねー」
ぐっと握り拳を作っている丸メガネは、なにやらやり遂げたような顔をしていた。
ふたりが同時に言葉を被せてきて聞き取り辛い。
予測できない出来事、ふたつめ。
先生たちが降りてきた飛行機から、物騒な雰囲気を放つガタイの良い黒服男たちが三人出てくる。見た目物々しくはあるけれど、粗野さはまったく感じさせない人々だ。
「あ、この人たちは首相さんの直属の護衛の人たちだよ。きみたちの旅の安全を守るために、今まで協力してくれたんだ」
アリサが親指で背後を示してさらっと説明してくれる。一番前に立っていた男は、耳に手を当てて『対象の安全を確認、任務完了』とつぶやいたら、一斉に飛行機へ戻っていった。
どうやら裏で国も動いていたらしい。さすがに首相本人はここまで来てはいないようだったが。常識が守られた的な意味でほっとする。
予測できない出来事、みっつめ。
遠くから車がエンジンを全開にして、怒涛の勢いで向かってくる音を聴き取る。気配によると乗員は三名だ。
車は勢いを緩めることなく一気に山を駆け上ってきて、要塞の入口の方で止まる。皆の視線が音のした方向に集う。
それから少し待っていると、丸刈り先生にカレンとリュートらが手を振りながら駆け寄ってきた。
「よう、なんとか無事に終わったな! これでクビにならなくて済むぜ!」
丸刈りはのんきなことを陽気に言ってのけたあと、先生たちで集まっていった。まあ幼稚園の先生たちは総出でやってきたのだろうから、彼が出てくるのはわかる。ここまではわかる。
だがなぜ、ただの学生でしかないカレン姉弟までが、こんな危険な国にまでやってきているのか。これがわからない。
「ちょ、なんであんたらまで。ふたりとも学校はどうした、今日は平日なんだけど」
「そんなの関係ないでしょ? みんな心配してたんだよ、二度とこんな無茶しないで」
カレンが今まで見せたことのない年長者らしい真顔でぴしゃりと言ってくる。普段からこれならいいのだけど。
「今まできみにたくさん助けてもらったし。きみが大変なことになるってエクセラさんに聞いたから、無理言って手伝わせてもらったんだ。ま……ぜんぜん役に立てなかったけど」
リュートは目をそらしながら照れた感じでぼそぼそと言う。なんかこの子、やけにまぶしくて直視できない。
予測できない出来事、最後のひとつ。
エクセラ以外の人間たちが突然駆け出すと、一斉に飛行機へ乗り込んでいく。皆を乗せた飛行機は素早く上昇して、迷いの無い動きで今まで歩いてきた方角へとすっ飛んでいった。
それと入れ替わるようにして、反対方向から強大なドラゴンの気配が向かってきた。今この地にいるヴァラデア以外の“強大な”ドラゴンは、無論アドナエスしかいない。
縄張り破りを察知して殺しにやってくるか。しかし接近速度は意外にもゆるやかで、普通の航空機程度の速度で飛んでいる。先制攻撃が飛んでくることもない。ヴァラデアも奴がやってくる方を見上げて、特に警戒する様子は見せずに迎える態勢に入っている。
しばしのち、炎の鱗を輝かす屈強なドラゴンの姿が視界に入る。
彼女は速度を緩めずに真っすぐ突貫してくると、そのまま墜落した。相変わらず見た目に違わない乱暴さである。
ヴァラデアよりも一回り以上も大きな鱗のカタマリがゆらりと立ち上がり、こちらを一目見てからヴァラデアと視線を交わし、低い唸り声をあげながら裂けた口を笑うように歪めた。
「ほう、目論見通りに事が済んだようだな、予定魔」
「ふん、この私を誰だと思っている。狂いなく終わって当然だ」
アドナエスの挑発的な言葉に対して、ヴァラデアは鼻を鳴らして冷たく返すだけだ。
あいさつを済ませたアドナエスは、長い首をぐいっと伸ばしてこちらに顔面を近づけてくる。でかい、ごつい、厳めしいと三拍子そろった超強面だけど、なぜか威圧感や恐怖感はそれほどない。
「小娘よ、このような行いは今後慎むがいい。縄張りを侵すという行為は、きさまの想像を絶する出血を伴うことなのだ。このたびはきさまの将来性に免じて取引を受け入れてやったが、次は無いと思え」
で、思いのほか穏やかな調子で、まさかのまともな説教をしてきた。
というか、こいつまでもがヴァラデアとグルだったらしい。水面下でどれほどの大ごとになっていたのか想像すると震えてくる。
「では私たちは帰るぞ」
「うむ、直ちに消え失せろ。このアドナエス以外のドラゴンがこの地に存在するなど不快でならんわ」
ヴァラデアが姉妹を素早く捕まえて抱きかかえてくる。続いてエクセラが華麗な身のこなしで首にまたがる。乗せるべきものを乗せ終えると、ヴァラデアは素早く飛び立った。
これから向かう先は、もちろん自分たちの縄張りである。あまり速く飛ぶとエクセラが吹っ飛んでいってしまうからか、あまり速度を出せていない。縄張りを超えるまではそれなりの時間がかかりそうである。
「シルギット」
今まで乗り越えてきた、一面に広がる荒れ地を眺めていると、ヴァラデアが平坦な声でぽつりと呼びかけてきた。
「おまえの行いが、あれほどのドラゴンを、あれだけの人間たちを動かしたんだ。この事実を決して忘れるなよ?」
ひとりでにか細い鳴き声が漏れる。
深く染み入るような声は優しさに溢れたものだけど、お仕置きのデコピンよりもはるかに痛烈な言葉だった。
「ふふ、嬉しいようだな? それだけおまえ……たちは大切にされているということさ」
なんかよくわからんが台無しだった。