最終話 遠い日の想い(6/10) 縄張りの外・戦乱の国
体高よりも伸びた草やぶをかき分けて、深々として昏い山中を往く。
天をさえぎる木立ちからは、ぼんやりとした明かりがわずかに漏れている。今は早朝、ドラゴンの目は夜明けの慎ましい光を鋭敏に捉えて、うっそうと茂った山林ですらも明るく感じられる。おかげで行動に支障はまったく無く、一心不乱に突き進むことができていた。
歩いても歩いても見えるのは森ばかり。同じような景色が続いていたところ、途中で明るい場所に通りかかる。崖になっていて視界の開けたところだ。
休憩ついでに少し立ち止まって崖下を眺めてみるけど、透けるような朝日に照らされる山並みばかりがあって、変わったものは何もない。もちろん人工物なんてどこにもありはしないし、そういうのが出てくる気配も今のところまったくない。
いったいどれだけ歩けば街に出ることができるのか。じりじり感に全力で走り出したくなるけど、目立つことをしたらアドナエスに気づかれるので、絶対に焦ってはいけない。
小休止を終えて、忍び足を心掛けながら再び足を動かす。
退屈を紛らわす会話は無い。妹はついてきているのだけど、縄張りを越えてからは黙りっぱなしだ。気配が無く足音もしないので、知らぬ間にはぐれたりしないか心配になる。
その妹がちょいちょいと背をつついてきた。
「ん?」
振り返ると、妹が上を指差している。上になにかあるのかと思って見上げてみるも、残念ながら見えるのは葉枝ばかりだ。気になる物は特にない。
いったい何なのかという疑問は三秒で解決した。
遠くから風を切る音がする。続けて波動が勢いよく噴射する気配をひとつ感じる。その位置は雲よりも高いところにある。
これはドラゴンのものではない。他に空を往く者として思い当たるのは飛行機だ。今まで歩いてきた方角から勢い良く飛来してくる。
騒々しい共鳴音をまといながら真上あたりを通過して、これから向かおうとしている先へと飛び去って行った。
ここは飛行機の通り道だったらしい。とりあえずアレが消えた方向を目指せば、たぶん人が住むところに行き着くことができるだろう。山道続きで正しい方角に進めているのかちょっぴり不安が出てきていたけど、自分の知識と勘は間違っていなかったようで安心する。
気を取り直して山歩きを再開した。
こんな感じで歩いては休憩して、まれに気になったものを見つけて立ち止まったりをすることしばらく。太陽の位置からしてすでに昼を迎えたか。
心折れることなく歩き通した甲斐あって、ようやく緑以外のものを見つけるときがやってくる。
丈の長い草むらの先に人間の気配を感じる。何だろうと思って緑壁の向こうに行ってみると、人間の街が広がっていた。
ようやくここまでやってきた。アドナエスの縄張りの第一市街を発見だ。駆け出して観光したくなる気持ちを抑えて、茂みに潜みながら街を観察してみることにした。
小さな盆地にある、こぢんまりとした街だ。山の上から見下ろすだけで街全体を一望できる程度の大きさなので、規模的には村と呼ぶべきか。害獣避けと思しき鉄柵で丸ごと囲まれているので、箱庭感が強い。
雑居ビルくらいの大きさの石造りの建物が主にあるけど、全体的にオンボロさ目立つ。雨風で汚れきっている上に破損がそのままにされているという、取り壊し寸前っぽいのものばかりだ。
道路も整備なんてされていないのか、ひび割れ放題でデコボコしている。車で走ったりしたら揺れがひどいことになりそうだ。
そこに瓦礫などのゴミが満遍なく散らばっているのも相まって、廃墟っぷりがものすごかった。
「へえ、思ったより平和そうじゃないの。きったないけど」
裕福さとは無縁そうな街並みだけど、思ったより治安は悪そうではない。
街のこ汚さに比べて、往く人間が普通だ。エクセラを思わせる黒髪の人々がいくらか出歩いていて、その身なりは割としっかりしている。危なげな雰囲気をまとった者は見られない。
仲睦ましげに手を繋いでいる男女がいる。談笑している老人たちがいる。楽しそうに走り回っている子どもたちがいる。誰かが暴れる気配や音などがすることはない。住民たちは平穏に過ごしているように感じられた。
事前情報では、アドナエスの縄張りであるこの国では、また内乱が起こりそうだと聞いていた。数ヵ月前から政府と反政府組織との間で小競り合いが頻発するようになって、そのうち大きな戦いに発展しそうとのことだ。
でもこの街からは、そういった争いの気配は感じられなかった。
ちょびっとほんわかした気分で平和な街を眺めていると、妹がなにかを指し示しながら鼻先でちょいちょいつついてくる。
「どうしたの? ……なんだあれ」
なにかと思って妹の爪先を追ってみると、ここから向かい側にある山の谷間に、この街の出口らしき一本の道路が伸びているのが見える。そこで何十台もの装甲車が連なって街に向かってきている。またその上空では、軍用と思われる重武装のヘリコプターが三機追従していた。
車列は街の入り口あたりで止まると、中から武装した軍服姿の男女らが降りてくる。それから平和な街に向けて、手持ちの銃や大砲で攻撃を始めた。
いったい何が始まったというのか。襲撃者どもから視線を外して街の住人たちに注目してみると、全員がどこからともなく武器を取り出してきて、街を攻撃してきた連中に挑みかかっているところを目撃してしまった。
仲睦ましげに手を繋いでいた男女も、談笑していた老人たちも、楽しそうに走り回っていた子どもたちも、誰一人例外なくだ。
「ここが反逆者の本拠地だ! 取り囲んで弾幕を張れ! 一匹逃さず殲滅しろ!」
「ついにここを嗅ぎつけてきたか、政府の犬どもめ!」
「クソッ、見張りはどうしたの! まさかやられて……?」
「やつらを生かして帰すな! 僕らの力を思い知らせてやれ!」
全然平和じゃなかった。もう開いた口がふさがらない。
戦いに巻き込まれたりしたら色んな意味でたまらないので、遠回りになってしまうが山沿いに進んで迂回しようと思ったけど、その前にやるべきことに気付く。
不幸中の幸いというべきか、戦闘で混乱している今ならばやりやすい。どさくさに紛れて適当な家に忍び込んで、これからの旅のための物資をちょうだいしておくのだ。
急がないよう歩調は変えずに山を下りきったら、人間の気配が少ないところを選んで、背の高い柵を乗り越えて街に入る。
そこでさっそく物置小屋みたいな一軒家を見つけたので、木の扉を力づくで引っこ抜いて押し入ってみる。むわっと押し寄せてきた生活臭が少々キツくて顔をしかめてしまうけど我慢だ。
シミと亀裂だらけの壁や天井が目につくが、粘土らしいものでいちおう応急処置がされている。ベッドや机やタンスなどの最低限必要な家具は一通り揃っているけど、どれも使い古された感じで傷だらけ。物の配置も悪いのでせまっ苦しくてゴミゴミしている。典型的なボロ部屋である。
これなら多少荒らしてもきっとだいじょうぶ、悪いことはなにもないと自分をごまかしておいた。
いくつかあるタンスを開けてみると、服が入っているものを見つけた。その中から茶や緑などの地味な色のものを六枚選んだら、その辺にあった型崩れしている布カバンに全部詰め込む。
と、妹がカバンを見て不審そうに首を傾げているのに気付く。今盗っているものを何に使うのかわからない、といった感じか。いちおう小声で説明しておく。
「広くて隠れる場所が少ないところでは、これを着て隠れるの。私たちの鱗の色は目立つからね」
妹は目を見開くとコクコク小刻みにうなずいた。とりあえず納得してもらえたようだ。
これで欲しいものは手に入った。カバンの取っ手をくわえ持って、速やかにボロ屋を出て山に戻った。
これでもう、この街に用はない。
銃声が飛び交って怒声と悲鳴が響き、ヘリコプターが墜落して爆発し、街のあちこちから黒煙が立ち登るのを尻目にしながら、大回りで街の外周にある山中を進む。
あとは問題なし。少し時間がかかってしまったが、何事もなく街の出口である一本道にまでたどり着くことができた。あとはさっさと戦場から離れるだけである。
さて、ここから先の道はわかりやすい。記憶に従って道なりに進めば、次の目印である大きな街にたどり着けるだろう。
姿を誰かに見られないように身を低くして物陰に隠れながら、整備が行き届いていなくてくたびれた道路沿いを忍び足で往く。
忍び足というか小走りになっているけど、しっかり気配は消せているので問題なし。
静かな道である。右は山、左も山、道路以外の人工物は無い。人通りどころか車一台すら通りやしない。
これだけ人の気配がないなら、こそこそせずに道のど真ん中を歩いても良いかもしれない。けれども、アドナエスが近づいてきたら、すかさず身を隠せるようにしておかないとならない。少々かったるいが、警戒を絶やすことなく潜伏行動を続けることにする。
山歩きのときと大して変わらない退屈な移動時間が再びやってくる。歩いても歩いても一本道が続いて、終点はなかなか見えない。
でもそのうち終点に着く。このまま往けば、さっきの装甲車たちがやってきた街へと行き着くことは事前の調べでわかっているのだ。
だから四の五の言わずに足を動かす。心を無にして歩き続けていれば、気付かないうちに時間は過ぎていってくれるものだ。
「ん? あれは……」
実際そうなった。ふと陽が西の空に傾きつつあると思ったら、一本道の終点に気付いてハッとする。行く先の方に新たな街が見える。ようやくだ。
振り返り、妹がちゃんとついてきていることを確認したら、道路から外れて山登りすることにした。街に入る前に、まずは上の方から様子を見てみるのだ。
さっそく山に入ってみる。なんだかとっても登りやすい。
ここは縄張り境の山とは違って開けていて登るのが楽だ。あっちは十歩先も見通せなかったけど、こっちは山のてっぺんに生えている木だって見えるくらいに立木の密度が薄い。おかげで十分もかからずに登頂することができた。
それから地上を一望できる開けた場所を見つけたので、くわえていたカバンを側に置いてから伏せて街の観察に入った。
「お、広いよ。ついにここまで来れたか……」
一目見て口から出た感想に、妹は黙ってこくりとうなずく。
眼下に広がる大地には、人間の街が視界いっぱいに広がっていた。なだらかな稜線は霞がかかって見えるほど遠くにある。最初に訪れた街とはまるで規模が違う大きさの平野だ。
まず、銃声とか悲鳴とか黒煙とかが無いことに安心したら、大雑把に眺めてみる。
最初の街で見たものと同じような造りの建物が多くあるけど、露骨なボロ屋はほとんど見られない。道路もそれなりに整備されているし、ゴミが放置されていたりといった見苦しさはほぼ無いようだ。
人々の身なりも普通だし、車もまともなものが行き交っている。軍人っぽい人や軍用系の車両を多めに見かけることは以外は、普通に治安の行き届いた平和な街という印象だった。
なんだかほっとするけど、平和なら平和で少しばかり問題がある。
このように争いが起きていないということは、騒動に紛れて身を隠すことが難しくなってしまうということも意味するのだ。でも迂回することはできない。なんとかしてこの平和な街を、誰にも見つからないように通り過ぎなければならない。
「よし、こいつの出番が来たな」
地面に置いていたカバンを開けて、昼に盗んだ人間用の服を取り出す。
妹がじっと見つめてくるなか、一枚目の灰色の上着に頭を突っ込んで強引に袖を通す。体型が合わないので肩の部分がちょっと破れたけど、なんとか胴体に身に着けることができたので良しとする。
二枚目の緑色の上着の襟を裂いて穴を広げたあと、そこから後ろ足を袖に入れて、尾を胴部分に通す。長さが足りないけど仕方ない。
仕上げに三枚目の黒色の肌着を被ってフードとする。即席の都市潜入任務用スーツの完成である。
残りの服をカバンから取り出したら、ぽけっとしている妹に向けて放り投げる。
「さ、今やってみせたように着てみせて」
妹は一瞬ものすごく嫌そうな顔をしたけど、すぐにいつものかわいい表情に戻すと素直に服を着始めた。小汚い上着を頭からかぶって、ぐいぐいと捻じ入れていく。
「人間臭い……」
ぽろっと泣き言を漏らす妹は、ちょっと涙目である。それでもお姉ちゃんと同じように、ちゃんと服を身に着けることができた。
よく頑張りましたと、鼻先すりすりをして労っておいた。
これで装備は整ったので、さっそく街に潜入する、わけにはいかない。神秘でのステルス迷彩無しで明るいうちから都市で隠密行動というのは、目立つドラゴンの身ではちょっと無理がある。せめて暗くなってから行動するべきだ。
とりあえずその場に伏せ直して、陽が落ちるまで待つことにした。
何も指示しなかったけど、妹も同じように伏せるとピタリと動きを止めて気配を消した。きっとこの子も同じことを考えたのだろう。
太陽さんが西の空に沈み始めるまで、あと二時間程度といったところか。その間は“見るだけ観光”に勤しんでおくことにする。地平線の彼方まで見通すことのできるドラゴンの超視力を駆使することで、あたかも注目したところを実際に歩いているかのような気になってみる、観光の新しい形である。
無駄な行為ではない。これは潜入するための経路を確認するためでもあるのだ。決して無駄な行為ではない。
全身の力を抜いて山と一体化しつつも、首から上だけはちょっぴりだけ動かす。妹もそうしている。
まず街の入り口である一本道の出口を見てみると、さっそく気になるものを見つけた。道の終端は車が百台以上停まれそうな駐車場みたいな広場になっていて、装甲車やヘリコプター、果ては戦闘機まで停まっている。
そこで軍服姿の人間たちが主に動き回っているのだけど、一人だけ毛色の違う人間がいた。
まず軍人っぽい人たちは皆ヘルメットを被っているけど、その人物だけ頭を無防備にさらしている。この国で生きる人間たちは黒髪ばかりなのだけど、その人だけが明るい茶髪である。
なにより顔に見覚えがある。周りにいるどの軍人よりも迫力ある佇まいは、良く見知ったもの。幼稚園の先生であるアリサさんである。辺りをよく見れば他の先生もいた。
外国人であるあの人たちが、なんでこんなところにいるのだろうか。屋敷を抜け出してから丸一日近く経っているから探しにきたとかなのかもしれないが、待ち伏せる場所が的確にも程がある。偶然にしてもありえない。行く先を読みでもしなければ、こんなところで出くわすはずがないだろう。
だが、いや、しかし、でも、まさか、心臓を握りしめられたかのような鈍痛と、凍死でもしそうな悪寒が全身を貫く。
そもそも妹が姉の思いを察していたのだ。妹以外が察していても、おかしくなかったのではないか。
屈辱的な思いを追い払う。迷える者が正しい道を進むことはない、当初の覚悟を忘れず、己への信頼を絶やしてはならないのだ。
厄介者どもから視線を外して、街の方に目を向けた。今はそれだけで精一杯だった。