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最終話 遠い日の想い(5/10) 境界を超えて

 最近、毎晩のように同じ内容の夢を見るのだけど、今晩の夢は一味違う。

 宵月が頼りない明かりを地へと落とす夜々中、眠る街中の暗がりを、ひたすら真っすぐに駆け抜けている。全力で走っているのだけど、一向に目的地へたどり着けない。そればかりが続く退屈なものだ。

 これが夢だとわかっている。明晰夢というやつだろう。夢なら思い通りの展開にさせてくれと愚痴りながら、見知らぬ市街地を突き進む。


 どこへ向かっているのかはわからない。どこへ行きたいのかもわからない。でも体だけは行き先がわかっているかのように動き続ける。

 雑居ビルを駆け上り、屋上で踏み切って大きく跳びあがる。神秘の力でさらに跳び、風を切りながら宙を舞う。この大地から解放された無重力感が、空を飛んでいるかのようで気持ちいい。涼やかな夜風が鱗の頬を打つのも心地よい。


 砲弾の勢いで適当な建物の屋上に着地して、もう一度力いっぱい跳び上がる。これを繰り返すだけで飛行機並みの速度を出せる。

 もっと速く、もっと高く。夢うつつのなかで更に舞う。


 それにしても現実感がある夢だ。動いている実感がある、街は本当に存在しているかのよう、神秘を制御しきれずに飛べていないところなんて、ほんと無駄に現実的だ。

 夢にまで現実を持ち込むのか。現実はそう甘くないとわかっているからこそ、こうも不自由な展開しか想像できないのか。

 そんな不満は、走りに力を入れることで無理矢理に蹴っ飛ばす。


 無心で走り続けた末に、ふと周りの様相がすっかりと変わっていることに気付いて立ち止まる。

 周囲には人工の明かりはまったく無く、天然の闇ばかりがどこまでも広がっている。夜目が利くドラゴンの目でも細かくは見えない、深い深い暗がりだ。

 足裏の感覚は柔らかい。舗装された土瀝青ではなく、堅めの土と石ころに低い草になっている。ほかには草やぶや木などがある。顔を上げて遠くを見ると、星空のなかに黒々とした山容が溶け込むようにして隠れていた。


 どうやら人里から大きく外れたところまでやってきたらしい。ここはいったいどこなのかわからないけど、体は山向こうへ行きたがっている。

 闇の果てへ飛び込むべく、獣の筋肉を膨れあがらせる。


「しー、しー」


 背後からの音なき声で、ようやくまどろみから戻ってきた。

 全身を弛緩させる。頭を一振り、息を吸う、倍の時間をかけてゆっくりと吐いてから、今の自分の立場について考える。

 今までなにをしていたのか、なんでこんなところにいるのか。確か今日もいつも通りに、屋敷の育児部屋で寝たはずだったのだ。それなのになぜ、起きてみたらこんな人里離れた山のふもとにいるのだろうか。


「しー、この先にいくと縄張りを越えるよ」


 頭を抱える。なんでもクソもない。今の状況を見ればわかる。さっきまで見ていたのは夢ではなかった。明晰な現実だった。

 たぶん無意識のうちに屋敷を抜け出して、半分寝たままこんなところまでやってきてしまったのだろう。這ってでも“最期の場所”へ行くために。

 闇に隠れてわかりづらいけど、目を凝らしてみると山中に一本の鉄塔が立っているのがわかる。あれが資料室で調べあげた“最期の場所”へ向かうための目印のひとつだ。


 このまま進むと縄張り境を超えて、アドナエスの縄張りに突入することになる。


「ねえっ、しーってば!」


 いきなり背後から殴られる。獣の唸り声がするので振り向いてみると、なんか妹がいた。

 どうしてこの子がついてきているのか。それが問題だ。


「おまえ、なんでここにいるの?」

「質問してるのは私! 寝てたら急にどこかに行くんだもん、グァウッなにしたいの? ほら、答えて!」


 ちょっとイラっと来たようで、妹はひと咆えして威嚇しながら問い詰めてくる。

 正直まだ頭がこんがらがっているので、適切な返しは出てこない。とにかく落ち着かなければならない。

 ということで二度寝してみようと伏せてみると、妹が頭突きでかちあげてきて立ち上がらされる。適度な刺激のおかげか、ちょっとだけ頭がすっきりした。


「ごめんごめん、お姉ちゃんちょっと寝ぼけちゃって。さあ……」


 今すぐ引き返そうと思うけど、足が思い通りに動かない。目が覚めてもなお、脚は山のほうへ進もうとしているので、まさかと思う。

 ここまで来た以上は腹をくくって進むしかないのだと、理性以外のすべてが体を突き動かしてくる。肝心の理性もこの愚行を止めようとはしないため、衝動に抗うことはできそうになかった。


 生まれつき持っていた記憶についての真実を知りたい。そのために“最期の場所”に行ってみたい。でも、それをすれば命の補償が無い上に、方々へ迷惑がかかりまくる。だから今は自重するべし。

 そう思って耐え忍んできたのに、今は忘れようとアレコレごまかしてきたのに、結局はこれか。自分は思った以上に弱かったようだと自嘲する。状況的にはサッパリ笑えないが。


 我ながら愚かではあるが、抑えられないものは仕方ない。覚悟を決めてこのまま進むことにする。

 だが、死地に飛び込むのは一頭だけでいい。妹まで巻き込むわけにはいかない。


「危ないよ、おまえは帰れ」

「だめ。しーはずっとアドナエスの縄張りの地図を調べてた。縄張りを破るつもりなんでしょ?」


 妹の言葉にハッとして、あどけない顔を凝視する。この子はお姉ちゃんの考えを察していた。この頃はゲームとかで遊んでばかりだと思っていたら、実は細かいところまで見られていたという事実に驚愕する。

 妹はきりと顔を引き締める。幼さを感じさせない精悍な面、この子はこんな顔をするものだったかと、記憶とのズレにちょびっと現実逃避しかけた。


 気持ちが浮き立ちかけるのを気合で抑える。敵意すら感じさせる妹と視線で斬り結ぶ。

 でも撃退は叶わない。妹の目から、大粒の涙がぽろぽろと涙がこぼれてきたからだ。そこまで必死になって訴えてくる姿を見ると、なにか罪悪感のような胸を打つ感情がわいてくる。


「しーは言ったよね、私たちはずっといっしょだって。この先に行ったら殺されるかもしれないよ? そしたらもういっしょにいれなくなるよ? だから私がしーを守るの! 嫌ならしーを殺して私も死ぬっ!」


 妹は進行方向に回り込むと大口開けて咆哮して、飛びかかる寸前の徹底抗戦の構えを見せた。おまえ言ってること矛盾してないか、という突っ込みは無粋か。

 威勢はいいのだけど、脚をガクガク震わせているので迫力がいまいちだ。幼児の身で同格の種の縄張り破りなどしたら、まず殺される。その恐怖を隠せていないようだ。自分だって怖い。


 前足で地面を叩いて息を吐きって、嫌な考えを振り払う。

 この調子では、この子は死ぬ気でまとわりついてくるだろう。そうなれば自分の力では追い払えない。下手に着け回されて邪魔されたり野垂れ死なれるよりは、行動を共にしたほうがまだマシかもしれない。

 内心でそう決めたあと、鼻先を妹の下顎に寄せる。


「わかったよ。でも、これから行くところは……言うまでもないよね」


 妹は一歩踏み出してきて、首を絡ませてくる。震えは止まっていないけど、涙は止まったようだった。

 妹をそっと押しのける。息を継いで姿勢を正す。


「さて、これからアドナエスの縄張りに潜入するにあたって、私から注意することがあるよ。これから言うことは絶対に守ってよ、死にたくなければね」

「うん、絶対守る。だからいっしょに行く」


 なんか楽しげな顔をしている妹が素直にうなずく。“絶対”をつけるならだいじょうぶだろう。やると宣言したら必ず守るのが自分たちという生き物だ。


「アドナエスに見つかったら終わるから、向こうに行ってる間はこっそりやるよ。まず神秘は禁止。下手に力を使ったら気配ですぐに気づかれちゃうからね。暴れたり大声を出したりするのもだめだよ」


 妹は真剣な顔でこくこくと何度も相づちを打つ。


「それと向こうの人間にも姿を見られないこと。ヤツに告げ口されるかもしれないからね。いつも物陰に身を隠して動くんだよ。

 最後に私の指示に従うこと。なにが起きてもすぐに対処できるようにするためだよ。わかった?」

「うん」


 最後の『指示に従う』のところでちょっぴりムスッとしたのは見逃さない。ドラゴンは我が超強いから仕方ないけど、まあ今回は文句を言うことはないだろう。


 さっそく息をひそめて気配を殺す。足音をたてないように、山へと向けてしずしずと歩みだす。

 何も感じられないけど、横目で見れば妹もちゃんと付いてきているようだった。よく気配を消せましただ。


 無音を保ったまま山に入る。一歩一歩を慎重に、しかし緩慢にならない程度に動かして、山林を通り抜けていく。

 山風が吹いて葉が揺れる音、獣が動いて草むらが揺れる音、鳥か何かが寂しげに鳴く声、あらゆる物音が大きく聞こえる。

 なぜだか五感がこの上なく研ぎ澄まされている。今なら山の向こうで針が落ちた音だって聞き取れるような気もする。実に良いことだ、これなら恐ろしい敵が近寄ってきても、すぐに気づくことができるだろう。


 実際気付けた。縄張りの向こう側の遠くから、獰猛な風切り音とともに強烈な気配を感じ取った。

 気配の持ち主が何者かは考えるまでもないけれど、そいつが出てくることを疑問に思う。縄張りはまだ超えていないのだ。

 後ろを振り返って妹と顔を合わせると首を傾げる。この子もふしぎがっているようだ。


 恐怖せよ。世にはびこる戦乱の象徴、“昇華”を司るアドナエスさんの降臨である。


 空は幾重にも重なる木々の葉に遮られていて見えないけど、強大な存在が縄張りの向こう側でウロウロしているのは気配でわかる。

 奴の放つ気配の強さは、例えるならば落ちてくる月といったところか。力の差がどうしようもなく大きすぎて、もはや笑うしかない。


「小娘ども、このアドナエスの縄張りの近くで気配を消すとは、なんのつもりだ?」


 地獄の底から響いてくるかのような低い音なき声が、荒波のごとく覆いかぶさってくる。以前会って話したときとはまるで違う。本格的にトカゲじみて情がまったく感じられず、殺意だけがみなぎっているので恐すぎる。

 脳髄を針で貫かれたかのような致命的衝撃に震えてくる。これが本物の縄張り争いの空気というものか、これは生きた心地がしない。


 これが素人ならば、勘づかれたと思って土下座のち逃げ出すかもしれない。だがしかし、怯え切ってぷるぷる震えている妹を尻尾で引っぱたく、臆さずに観察すればわかる。奴はこちらの居場所がわかっていない。

 気配の動きは無軌道で頼りなさげだ。奴はこちらの居場所を把握できておらず、探しているのだろう。


 ならばやることは、このままやりすごすことだけだ。

 隠密ぶりを完全なものにするため、死ぬ気で存在感を消す。息を止めて、循環器系の働きも最小限に留めて、周囲の土や岩と一体化する。


 それをどれだけ続けただろうか。突如、つんざくような獣の咆哮が響き渡って、飛びかけていた意識を無理やり叩き起こされた。それだけで衝撃波が放たれて、眠りに落ちていた山々をにわかに騒がせる。

 わかりやすい威嚇だ。乗りはしない。


「姿を現せ! グルオオッ! この山ごと吹き飛ばしてやろうか?」


 地の咆え声をあげながら、苛立たしげに脅し文句を口にしてくる。

 言葉面はとても恐ろしいのに、言う事が陳腐すぎて不覚にも笑ってしまう。ヴァラデアはアドナエスのことを頭の足りない子呼ばわりしていたけど、それは本当だったらしい。


 ヴァラデアに匹敵するという彼女の力ならば、ここら一帯をまとめて消し飛ばすことなど造作もないだろう。警告なんてまどろっこしいことなどせず、さっさとすべてを薙ぎ払ってしまえば簡単に終わるはずなのだ。

 それをやらないのはなぜか? やったらヴァラデアの縄張りを激しく傷つけることになる。それはつまり、同格以上の力を持つヴァラデアに殺し合いを挑むことと同義。そんなリスクを冒す覚悟はないのだろう。だからあらぬ方向へ脅し文句を放つだけに留めているのだ。

 よって、今の言葉は本気ではないと判断できるので、無視すればいいだろう。


 アドナエスは粘る。こちらも負けずに粘る。

 沈む宵闇のなか、じりじりとした競り合いが続く。妹もちゃんとついていけているようで、ちょっとほっとする。


 存在を消し続けていると、東の空がやや白んできているのを感じる。もう夜明けが近いらしい。

 そこでアドナエスは、何か用事を思い出したかのように自分の縄張りの方を向くと、とんぼ返りをして飛び去って行った。


 絶対なる死は消えた。でもすぐ気を抜くと気付かれるので、しばらく気配を消したままでいる。

 それを一時間ほど続けただろうか、直感がもうだいじょうぶだと伝えてきたので、ようやく一息ついた。

 同時に全身の力が抜けて、思いっきり倒れこんで土と口づけしてしまった。

 立ち上がろうとするけど、前足にまったく力が入らない。肘がガクガクと弱々しく震えていて、上半身を持ち上げることさえもできない。完全に力が抜け切っているようだ。


 正直死ぬかと思った。でも、ヴァラデア級の力を持つドラゴンを相手にして生き延びることができた。それは喜ぶべきことだ。

 そう思うと気持ちが奮え立って躰に力が入る。再び立ち上がることができる。

 後ろを見ると、妹もちょうど立ち上がるところだった。たぶん同じ気持ちだったのだろう。


 本当に怖かった。今すぐに逃げ帰りたくなるけど、ドラゴンの誇りは逃げることを許さない。

 遥かという言葉すら生ぬるい格上相手にやり過ごせたのだから、この調子でいけば問題なく目的を果たせるだろうと尻を蹴ってくる。我ながら大胆不敵なものである。


「だいじょうぶ?」


 妹だけに伝わるような小さな音なき声をかけてみると、妹はカッと息を吐いて牙を見せた。

 バカにするなよ、このくらい朝飯前さ、そんな感じの強がりを言っているように思える。つい噴き出しかけたけど、喧嘩になるので自重しておいた。


 絶望が去ったところで、前に進むのを再開する。

 一歩ごとに全感覚が研ぎ澄まされていく気がする。柔らかな土を踏んでも、足音どころか足跡すら残さずに歩けている。今まではこんなことはできなかったのだけど、極限状況が成長を促進したのだろうか。より存在感を消しながら動くことができている。


 一歩、二歩、四歩、八歩、十六歩。隠密ぶりを保ったまま歩くこと六千九百十一歩目で、縄張りを超えたことを本能が告げてくる。とたん、立ち眩みのような血の気が引く感覚に襲われたけど、気絶しそうなほどの悪寒に耐えて、隣の縄張りの土を確かに踏んだ。


 もう後戻りはできない。

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